日記

家族みんな疲れて寝るらしくて暇だしすることないしブログでも書くかとはてなブログを開いたけどそんなに簡単に書けるものでもないよなと思ってそれから私は普段けっこう真面目にブログを書いているんだなって気づいた。できれば面白いものを書きたいし、ボツにしているネタはたくさんある。投稿数よりもたくさんある下書きの数。今日はどうかな書き切れるかな、パソコンのバッテリーの残量が33%だからちょっと微妙だ。田舎のヤンキーたちに囲まれて思春期を過ごしたから(こういうときだけ環境のせいにする)たまにポロッと口の悪さを披露してしまうのだが、文章ではむかつくとか死ねとかそういう言葉じゃなくてむしろ愛を込めて怒りを伝えたい。私は私が怒っていることを書きたい。発達障害支援センターに通っていた頃、朝はコーンフレークとりんご、昼は(上司から食事に誘われることがなければ)出先のパン屋で買ったパン、夜はサラダかアイスという食生活を丸二年間続けていたことを相談員に伝えたところ「年単位ですか」と驚かれたときに、自分がちょっと異常だったのだと気づいた。自分が食べたいものがわからない。その日によって違うものを食べたいみたいな気分も特にない。栄養を摂ろうみたいな意識の高さもない。流行りのものとか新しいものを食べたいみたいな興味もない。そもそも自分の食欲、お腹が空いていることに気付けない。振り返れば酷かったのは一人暮らしの頃で、自分で食べるものを自分で考え自分で調達するということが私にとってはけっこう難しかった。考えられる理由はいくつかあって、一つ目は生活における食の優先順位が著しく低いことだ。Chim↑Pom from Smappa!Groupのエリイちゃんが著書「はい、こんにちは」のなかで「生命を誕生させる為だけのセックスは必要ない。快楽由来のセックスには名分があるが」と書いていたのが私は気に入っているのだが、食(欲)に関して思いを巡らせているときにこの言葉を思い出したのは、私は栄養補給をするためだけの食事に魅力を感じていないのかも、と思ったから。生きるために栄養を摂る、とりあえず何かを食べるってなんて味気ないんだろう。どうせ食べるなら好きなもの、美味しいものを食べたい。でも、そんなに好きなものもないし食べたいものもない。生きるための食事と関連して、日々の食事というものがある。外食とかご馳走とかをハレの食事だとしたら、日々の食事はケである。その、ケの食事で何を食べたらいいのかわからない。たぶんこれはASDの特性によるものでもあるのだろうが、私は「適当にする」の感覚がよくわからない。たとえば服にも色々あって仕事に着ていくだけの服とか近所で着る用の服みたいな、適当な服的なジャンルがあるけれど、特別好きでもない服には一銭も使いたくないという理由から私のクローゼットには本気でときめいた服しかない(といっても大したものではないけれど)。で、先に書いたこととも被ってくるが、適当に食べるものって何を選んだらいいの?好きなものならわかるけど、となってしまうのだ。みんな「適当に」何かを食べていてすごい。ちなみにこの適当な(日々の)食事問題は結婚して夫と生活を始めてからほとんど解決した。食べたいものがない私はスーパーへ出掛けても自分が何を食べたいのか(作ればいいのか)わからなくて発狂しそうになってしまうのだが、子どもが生まれてからは夫が買い出し&料理を担当してくれるようになり、私は腹が減ったら家にある食べ物をただなにも考えずに食べればいいだけになったのである。そういえばASDは自分が抱えているストレスや疲労に気づきにくいのだが、それに加えて食欲にも疎いらしい。食の優先順位が低いことと、適当に選ぶということができないということ、それとまた別の理由が鬱だった。「朝はコーンフレークとりんご、昼は(上司から食事に誘われることがなければ)出先のパン屋で買ったパン、夜はサラダかアイス」という生活をしていた頃、正確に言えば新卒で入った新聞社で、入社と同時に生まれて一度も訪れたことのなかった北陸の地に配属となり、パワハラ上司とお局ババア、それから当時は珍しかった女性社員である私を嫌っている中間管理職というたった4人しかいない逃げ場のない支局で過ごした2年間はただでさえ鬱気味な私が完全鬱になるにはもってこいの環境だった。不幸中の幸いで残業は少ない職場だったが、仕事を終えていちおう毎日コンビニなりスーパーに向かうけれど脳がまったく動かない。どんな食材を見ても食べたいとか買いたいと思えず、節電のため薄暗いスーパーの中をぐるぐると何周もし、絶望して何も買わずに帰ってくるという日々が続いたことがあった。料理家の土井善晴は「くらしのための料理学」で「自炊するってのはちゃんと生活しようとしていることだからえらいで」みたいなことを書いていたけれど、まさにその逆で、自分の食を蔑ろにすることそれはつまりよく聞く言葉を使えばセルフネグレクトだった。そして「食事に関して無駄に迷ったり悩んだりするのはやめよう」と自分なりに考えて編み出したのがコーンフレーク、パン、サラダというルーティンだったのだが、ここでASDが悪いように作用して、今度は一度定着したルーティンを崩せなくなり、2年間も続けるに至る。そういえば会社員の頃、私のことを可愛がってくれる上司がいて、昼食どきになるとよく「一緒にごはんいこうよ」と誘ってくれた。で、私に気を遣って「ご馳走するし何か食べたいものある?」と聞いてくれるのだが、食べたいものが本当にない。というか、わからない。でも「特にないです」とも言えないし、どうしようって毎回困っていた。めんどくさいからラーメンが好きということにして(実際、ラーメンは深く考えなくていいから好きだ)毎回「じゃあラーメン食べたいです」って答えてなんとかやり過ごしていたような気がする。1700字くらいまでテンポよく書いていたのだが、倒れるように眠った夫が目を覚まし、このまま放っておけば寝るだろうと見込んでいた娘までも目を覚まし、ブログ執筆が中断してけっこうどうでもよくなってしまった今。なにが書きたかったのかな、つまり自分が食べるものを選ぶ、決めるというのは大変だということだ。zineのイベントに出展したくて申し込んだのだけど、途端に何を作ったら(書いたら)良いのかわからなくなった。書きたいことはあったけど、本当に書きたいことなのかとか。ブログを印刷すればzineになると言ってくれた人もいて、そう思ったこともあったのだが、できれば書き下ろししたい。

日記

躁は昨日まででした、というか一度集中すると休憩することはおろか息をすることも忘れて作業に没頭してしまい、気がつけば何も飲んでも食べてもいないし酸欠になってて今すぐ倒れそうみたいになっていることが多い。100人に1人がASDらしい、ということを聞いて意外と少ないなと思った。インターネットを見ていると、自分がそういう情報を選んでいるからなのだが、結構ASD多いな〜と思っていたから。ASDが苦手とすることを一つ挙げるとすれば(他にもたくさんあるのだが)、それはネゴシエーションだと思う。会社員のとき、上司や会社から与えられた目標を達成できない人は努力不足だと思っていた。頑張るのが当たり前、締め切りを守るのが当たり前、目標は達成するのが当たり前。それは、いま振り返ると「そんな締め切りじゃ、私の休日がなくなっちゃいますよ」とか「与えられる仕事量が多すぎます」みたいなネゴシエーションをすることが頭になかったからで、やれと言われればできるまでやらなきゃいけないと思い込む(新聞記者の頃、「365日✖️2年間、欠かすことなく新聞記事の書き写しをしていた」ことは以前ブログに書いた通りである。それでも日常を書きます - nov14b’s blog)だから勤務中は昼食も食べずにずっと仕事をしているし、平日は取材ばかりで原稿を書く時間が作れないから土日を潰してまとめて原稿を書くみたいなライフスタイルで、仕事が「できる」から連載も突発的な業務もどんどん任される状態になっていた(そんなことをしていれば、他の人よりも「仕事を頑張っている」と評価されて当たり前だ)。つまりは自分の生活を優先させる選択肢を知らなかったのだ。昨日、県立図書館で6時間ぶっ続けで仕事をしていたら夜から体調を崩してしまい今朝も具合悪くて死にそうなのだけど、具合悪いっていうか胃が気持ち悪い理由が来週中に完成しないといけない案件のプレッシャーからくるものでもあるような気がして、思い切ってバイト先にシフトを変更してもらえないか相談のラインを送った。ネゴシエーション少しずつできるようになりたい。ついでに書くか今年度参加することになった保護者アソシエーションのこと(オブラートに包んだつもりだが丸わかりのような気がする)。このあいだ役職を決めるための初会合に参加してきたのだけど、学級委員会かよって感じでちょっときつかった。たぶん一般のこういう集まりでよくあることなのだろうけど、みんなの緊張をほぐすためにわざとギャグや冗談を言って笑いを取ろうとする人がおり、空気を読んでそれに乗っかる人がいるみたいなそういう構図。それ自体は悪くないのだが(私は苦手だけど)、その笑いを取るためのネタが特定の人物の悪口で最悪だった。そもそも私たちはある目的のもとに集まっているのだから、その目的さえ力を合わせて(役割分担をして)達成できればそれで十分で、無理して親しくなる必要なんてないはずだ(そもそも、親しくするとはどういうことなんだろう。少なくとも、誰かの悪口で盛り上がることではないと思う)。久しぶりに「空気読む」人たちが集まり愛想笑いを求められる環境に置かれて極度にストレスが溜まった私は会合のあとドラッグストアに直行し、普段食べないポテトチップスを三袋と炭酸飲料を買って帰った。こういうところがASDなんかなあ、知らんけど。

日記

昨日の朝、てきぱきと身支度を済ませていざ出発というタイミングで保育園から着信があった。事務の先生によると、娘が登園後すぐに嘔吐し、しばらくしてまた胃液のようなものを吐いているとのこと。夫が気を利かせて「俺が迎えに行くよ」と言ってくれたので、娘のことは任せてそのまま県立図書館へ向かい、取り急ぎの原稿を仕上げて昼過ぎに帰宅した。家に戻ってきてから少し食事をとったものの、依然としてだるそうにしている娘。風邪のような症状はなく、熱もなく、ただだるそうにぼーっとテレビを見ながら横たわっている。そんな娘に寄り添って横になるうちにいつの間にか一時間ほど眠っており、気づいたら隣には暇そうにしている犬がいて、反対側には一時間前と変わらない様子でディズニープラスを視聴し続ける娘がいて、窓の外には青空が広がっていて、なんだか穏やかでいい日だと思った。その後、夫は仕事のため外出。娘が「ママ、あそぼう」と誘ってきたので付き合ったものの、体力が落ちているのかすぐに横になっていたので、寝室まで連れて行って寝かせることに。突然手持ち無沙汰になった平日の午後4時。1ヶ月以上手をつけていなかった手書きの日記帳を久しぶりに開いて、まとめて記録を書くことにする。ほとんど記憶のない3月のこと、そして先日のディズニーリゾート旅行のこと。ディズニーでの出来事を振り返るなかで、娘に対し「いろんな経験をさせてくれてありがとう」と書いてハッとした。「いろいろな経験をさせてあげたい」と思っているのは親である自分だったはずなのに、気づけば娘を通じて新たな経験をしたり見たことのない景色を見せてもらったりしている。先生が胃液と話していたのは、娘が朝飲んだオレンジジュースだった。オレンジ色に染まった内履きは、ウタマロ石けんでは汚れが落ちなくてドキッとしたけれど、ハイターに浸けるとすぐに元の白さを取り戻した。長い昼寝から目覚めた娘に好物のドーナツを食べるかと聞くと、「ぐあいがわるいときはドーナツたべちゃだめなんだよ。ぐあいがわるいんだから。ごはんをたべないとだめだよ」と言って元気に白ごはんを食べていた。

日記

毎日、一日5通くらい自分宛にショートメッセージを送っている。内容はその日のスケジュールとか忘れたらマズいこと(ペーパーフィルターを買うとか何かを提出するとか)、あとは生活していて気になったことやあとでしっかり書きたいと思ったことなど。この自分宛のショートメッセージが増えるときというのは、心療内科の主治医の言葉をそのまま借りると「アンテナが高くなっている」ときで、ざっくり言えば躁スイッチがオンになっているときだし、ASD的には感覚過敏になっているときであると考えている。昨日、一日で4件取材したからなのか、久しぶりにロックンロールを聞いているからなのかわからないけど朝から躁で自分宛にメッセージを送りまくっている。ということで締め切りをたくさん抱えていてやばいっちゃやばい状況なのだけど、天気もいいことだし箇条書きのメモを一つずつ文章にしていくことにする。①基本的に、ミュージュシャンの名前が覚えられない。というか、覚える必要がないと思っているからそもそも知ろうともしていない。めちゃくちゃ好きなバンドはいくつかあるけれど、メンバーの名前を聞かれても答えられるものはほとんどない。例えばブログで繰り返し言及しているシガーロスであってもボーカルを務めるヨンシーの名前しかわからないし、別にこれはアイスランド人だから名前が読みづらくって覚えにくいとかそういうのじゃなくて日本人であっても全然わからない。興味がないのだ。だからおとといXのタイムラインを見ていて、突然、亀川千代さんの訃報に悲しむ人投稿が増えたときに、誰のことだろうって疑問に思って調べたらゆらゆら帝国のベーシストだったことがわかった。ゆらゆら帝国は中学か高校時代、メールアドレスを「3x3x3@」にしていたくらいにはハマっていたし聞いていた。誰が私にゆらゆら帝国を教えてくれたんだっけ、と振り返っていたら思い出した思春期にどっぷりハマっていたインターネット掲示板「タレコミ」のこと。当時は一日中タレコミを見ていて、一日中死にたいと呟いている日もあれば、ひたすら草を生やしている日もあれば、顔も名前も年齢も知らないお兄さん(推測)たちが一所懸命ロックを語っているのを見たりたまにおすすめしてもらったりしてもらう日もあった。多感な時期に本当にかっこいいものに触れることができたということに今でも感謝していて、それこそ顔も名前も年齢も知らないお兄さんたちだったけど、今でもありがとうって思っている。タレコミで知らなくてもいずれゆらゆら帝国聞いてたかもしれないけど。だからどれだけインターネットが汚く見えてもどうも憎めないし嫌いになれないのだ。②昨日は終日取材のため外出しており、金沢、いや石川県きっての観光地である兼六園を久しぶりに訪れる機会があった(余談だが、取材のあいまにお茶屋さんで見つけた抹茶茶碗を衝動買いした。べらぼうに高いわけでもないけれど、決して安いわけでもないその抹茶茶碗の絵柄に一目惚れしたのだ。抹茶を立てたことすらないのに茶器を買う時点で「躁」は始まっていたような気がする)。兼六園は想像以上にすごい人だった。しかも外国人だらけで日本語を話す人は極めて少ない印象。かたや午前中には能登の復旧(復興ではない)がまるで進まないことや、北陸応援割の使い勝手の悪さについて話を聞いてきたばかりである。元旦から時間が止まったままの能登、を有する石川県と、進む円安でますます増える外国人観光客と、物価上昇に伴う賃上げがあるわけでもなく、実質的に消費できるお金が減っている私と。兼六園のあまりの賑わいぶりに、パラレルワールドに迷い込んだような、そんな感覚になった。なんか世の中がへん。③路上喫煙を禁止する条例に基づき、東京都内の一部の区では違反金として2,000円を徴収していることに対し、外国人観光客が「2,000円を(チップ感覚で)払えば路上喫煙が認められる」として平然とタバコを吸い違反金を払っているというネットニュースを見て、ついこのあいだ夫が「あんまり人に迷惑とか考えすぎないようにしようと思って。迷惑だったら注意されるだろうし、だったら注意されるまでやったらいい」と話していたことを思い出した。特に子連れで出かけると、こんなところではしゃいで迷惑かなとか走ったら邪魔にならないかなとか、いろいろと周囲に気を遣うシーンがあるのだが、実は誰からもこんなところではしゃぐなとか走るなとか注意されたことがない。勝手に気を遣って勝手に窮屈な思いをして勝手に生きづらくなるくらいだったら、自由にやって、誰かから注意されたときに改める、それくらいがちょうどいいのだろう。ちなみに夫の好きなところは芯にロックンロール精神があるところで(私が27歳の誕生日を迎えたときに、「27歳は偉大なロックンローラーが死ぬ年です!おめでとう!」とメッセージをくれた。ロックだ)、ゆらゆら帝国然り、いつも心にロックンロール精神を持っていることはまじで大切。④発達障害について。発達障害って脳(発達)の異常(かなり雑な言い方だけど)だと思われていて、個性的だよねとか人と違う考え方や世界の見方をしているよねとか自分のリズムで動いている人だよねみたいに言われることが多く、それ自体は間違っていないのだが、私の大きな困りごととしては一つ感覚過敏が挙げられる。音が気になってしょうがない。匂いが気になってしょうがない。服の肌触りが気になってしょうがない。それだけで十分、世界は生きづらい場所になる。音が気になったり匂いが気になったり、そんなことよくあることだよって少なくない人が言うけれど、たとえばこんな経験はあるだろうか。私は就職活動をしていたとき、一次選考を兼ねた会社説明会で、隣の人の匂いが気になって途中退室したことがある。昨秋はせっかく富山まで車を走らせてお気に入りの温泉を訪れたのに、露天風呂に入っていたら金木犀の香りが気になりすぎて発狂しそうになった。夫と娘と新潟の温泉宿を訪れたとき、いざ寝ようとすると換気扇なのか何なのかわからない雑音が気になって入眠できず、言葉どおり一晩中「音」の原因を探して部屋のなかをうろうろしたことがある。そういうの全部、発達障害は障害ではない!個性的で素敵!で済ませることできるだろうか。ちょっと前に人から言われてビミョーって思ったというかすごく考えさせられたことがあって、それは話の流れで私が「発達障害があって」と言ったら、「いやいや、そんなこと言わないでくださいよ。障害っていうとあたかも悪いことみたいな言葉だけど、人と違ったペースで生きているだけですよね」みたいに返されたことがきっかけだった。先に書いたように人と違うペースで生きている、そんな大雑把なものではなく明確な困りごとがある。発達障害は「変わってる(Strangeな)」わけではない。でも違いはある。だから「あなたは別に変わってないし、私たちと同じですよ」みたいなこと言われると頭のなかにハテナが浮かぶ。いやいや、違いはありますよ。発達障害があると自認することに対して、「考えすぎ」とか「その言葉に頼らない方がいい」とか「自虐的」みたいに思われることがあるけれど、別に発達障害を自認する(診断を受ける)ことはネガティブではない(「障害」を「障がい」にすれば何かが解決すると思っているのと同じような話だと思う)。一回忘れようと思っていたけどやっぱり書き残しておきたかった。以上、原稿に戻りま〜す。

 

日記

 ネットを見ていて、日本政府や政治家の方針や言動に「日本は戦争に向かっている」とか「戦争はすぐそこ」みたいな投稿を目にすると、何ていうか、戦争が起きてほしくないと望んでいるはずなのにむしろ戦争を欲しているように見えることがある。もちろん危機感や不安から発せられる声なのだろうけど、結果として、そういう声が大きくなることが戦争へと向かう空気を醸成するみたいな、パラドックス的な。SNSの普及・浸透に伴い言葉偏重の傾向はどんどん強くなっていっている気がしていて、言葉で説明できないものは存在しないとまではいかないにしろ、言葉で表現すること、もしくは言葉で表明することが求められている、そんな雰囲気を感じることが多くなった。言葉を仕事にしている自分が言うのもどうかと思うが、本当に、言葉はそこまで重要だろうか。逆に言えば、なぜそこまで言葉が求められているのだろうか。例えば、嫌味な言い方になるかもしれないけれど、戦争が起こるを怖がることそれ自体は決して悪いことではないが、本当に戦争を回避したいのであれば「戦争はすぐそこだ」と煽るよりも、もっと重要なことがある気がしていて、それはあなたが平和に生きることなのではないかと思う。態度で平和を表すこと。平和な日常を大切にすること。平和を続けていくこと。「声をあげて平和を求めるだけではじゅうぶんではない。平和を勤め、平和に生き、平和のうちに暮らさねばならない。」とは私が度々引用している北山耕平の本『月に映すあなたの一日:ネイティブ・アメリカンの364のことわざが示す今日を生きる指針』に出てくるシェナンドー族に伝わることわざだが、平和を求めるというのは決して禁欲的に生きることではなく、貧しい人と共に貧しくあるのでもなく、率先して平和を謳歌すること、平和の輪を広めていくことではないだろうか。また、今年に入ってから読み続けている『植物と叡智の守り人』にはこう書かれていた。「もしもあなたが教師であるにもかかわらず、あなたの知識を伝えるための声を持たないとしたらどうだろう?もしも言語というものが存在せず、それでも何か伝えなくてはいけないことがあるとしたら?あなたはそれを踊りで表現するのでは?あなたはそれを演技することで表現し、あなたの体の動きの一つひとつが物語を語りはしないだろうか?そのうちにあなたの表現はとても豊かになり、誰もがあなたを一目見れば言いたいことがわかるようになる。」あなたが平和を表現すること。言語だけに頼りすぎないこと。それは決して難しいことではなくて、言葉に飲み込まれないためにも、すべきことなのだ。三年前、産後一ヶ月が経った頃、前職でとてもお世話になった上司が生まれたばかりの娘に会うため家まで遊びにきてくれた。上司はバウンサーの上で気持ち良さそうに眠っている娘の顔をじっと見つめて「赤ちゃんは白目が美しいよね。大人になってくるとだんだん濁ってくるけど、赤ちゃんは青白いくらいに白目が綺麗なんだよ」と話していた。結局、深い眠りについていた娘は上司が家にいるあいだ一度も目を覚ますことはなく、初めての育児に疲労困憊していた私は上司の話を聞きながらもよくわからずにいた。先週、昨年の冬に予約して以来ずっと楽しみにしていた東京ディズニーリゾートへ家族で遊びに行ってきた。早朝に目を覚まし、手際良く支度をして、まだ目も開かない娘を抱き抱えてタクシーに乗り金沢駅へ向かう。二時間半の新幹線乗車を経てまたタクシーに乗り到着した先は舞浜駅。ホテルに荷物手続きをするためウェルカムセンターへ向かうと、これまで見たことがない建物や制服に身を包んだスタッフを目にして舞い上がった娘は「ドレス着たい」とさっそく持参した「アナと雪の女王」のエルサのドレスを着た。すれ違う人たちに「エルサ!」と声を掛けられて上機嫌のままリゾートラインに乗り、まずは東京ディズニーシーへ。手荷物検査を終えて園内に一歩足を踏み入れると眼前に現れる大きな大きな地球儀、そして足を踏み出すのも忘れて立ち尽くす娘の姿。両手を胸に当てて、ただただ地球儀を眺める娘の表情、そして透き通るように美しい目を私は今も忘れることができないし、これからも一生忘れることがないだろう。誰にも私の平和を邪魔させないし、平和を壊させもしない。そして強さとは、強く生きるとはこういうことなのではないかとそのときに思った。

日記

なにかのなにかで(なんにも覚えてない)滝沢カレンが、誰かと喋っているときに話があっちへいったりこっちにいったり、はたまた話の展開が急に変わったり、遠くに行ったと思ったらまた戻ってきたりすることはヘンだとか支離滅裂みたいに思われてしまうけど、文章であれば、話が急に展開したり話が飛んだりというのは別に変わったことではなく、そういう意味で自分は安心して文章を書くことができるし、人に読んでもらうことができるし、だからこそ文章が好きであるみたいなことを語っていたのがなんとなく印象に残っている。私が言葉(文字)に頼るのもそういう理由かもしれないと思ったのは、対人でのやりとりにおいて圧倒的に失言や余計な一言をしてしまうことが多いからで(このあいだも取引先の目上のひとに発達障害があることを暴露したばかりである)、緊張すればするほど余計なことを言ってしまうし、興味がない話は聞いてないし、適当にうなずくし、関心があれば無限にマニアックな話をしたりどんどん話が変わっていく、というのは他人から指摘されてよく気づくことなのだけど(10、20代の頃は「ぶっ飛んでる」みたいに表現されることも少なくなかった)、書き言葉、文章であれば失敗が少ないから、本当は自分はこういうことを言いたいのだ、伝えたいのだということを形にしたくて文章に頼っているというところが多いような気がする。先日少し書いて下書きに戻したブログがあって、それは、私はライターと呼ばれることに違和感があるという話なのだけど、消した理由の一つは世の中にはライターという肩書きに誇りを持っている人がいるから(当然のことだ)で、そういう人たちをサゲたいわけではないということ(でも自分が書いた文章ではそのように伝わる恐れもあった)、もう一つは、別に自分はライターという肩書きを目の敵にしているわけではないからだった。そのときの気持ちをもっと掘り下げて考えてみたのだけど、まだ上手にまとまらないままでいる。下書きしていた記事を引っ張り出して改めて読んでみる。ずっとライターという肩書きに対する抵抗感があった。コロナ禍で会社が潰れて、あらためて起業に就職する気にもならないし流れでフリーランスとして仕事することを決めたものの、フリーランスとして自分は一体何ができるのか。新聞記者だった自分。地域情報誌の雑誌の編集部員だった自分。でも会社という枠から離れると、記者でもないし、編集部員でもない自分。記者はライターなのだろうか。記者はジャーナリストではないか。私はジャーナリストなのだろうか、ちょっと違う気がする。雑誌時代にはライターと編集者を兼ねていたし、編集者として連載を担当することもあったけど、編集者という仕事を理解している人は地方にはあまり多くないように感じる。取材をしたり文章を書いたりすることはできるからひとまずライターを名乗ったけれど、ライターと名乗ることにより、これまで積み重ねてきたキャリアをかなりざっくりと、ライターとそれ以外に分けて切り捨ててしまうような寂しさがあった(いちおう名刺にはライター・編集、みたいに書いているが、だいたいの人からは「ライターさん」と呼ばれる)。以前ブログに、キャリアがなくても書くのが好きとかちょっと得意みたいな感じで誰でも簡単にライターと名乗れてしまうことが嫌、みたいなことを書いたことがある。現実として、編集プロダクションや出版社などでの経験がなくてもちょっとした店紹介の記事程度なら書けるという人が活躍しているweb媒体などは多い。それ自体が悪いことではないのだが、一緒くたにライターといわれると少し抵抗感がある。表現に関わる人であれば、個人的には一度でいいから大きな組織に属して表現することや発信力を持つことの恐ろしさ、書くことの加害性を認識した方がいいと思っている。独立したばかりの頃に私がそんな話をしたら、夫から「メジャーで活躍しているサッカー選手が、高校で一所懸命サッカーしている青年たちのことを“俺たちと同じサッカー選手を名乗らないでほしい”なんて思わないんじゃないか」と言われて一度は納得したけれど、よくよく考えてみたらメジャーで活躍しているサッカー選手、それはつまり「プロの」サッカー選手である。さて、プロというのは誰が決めるのだろう。自分で勝手に名乗っていいものではないような気がする。とすると誰かから与えられるお墨付きのようなものなのか。例えばライターや編集者、デザイナーが自分自身で「プロのライター」や「プロのデザイナー」などということはあまり聞かない。私はいつになったらプロになれるのだろう。というか、私は何を目指しているのだろう。自分はフリーランスになった時点でこれまでのキャリアやプライドを脱ぎ捨てたつもりでいたのだが、実はこれまでやってきた仕事に対するプライドや誇りがあったのだということに気が付いたのは最近のことである。SNSで親近感を抱いている同業者の方が「編集という仕事とライターという仕事は、似てるし兼任できるし、お隣さんって感じなんだけど、結構役割が違くて、」と書いていた。そう。似てるし兼任できるしお隣さんって感じなんだけど、そこには当人にはわかる違いがあるのだ。そして、細かいことにこだわるようだけど、その違いを意識すること、こだわりを持つことはフリーランスとして仕事をする上で実は大切のような気がする。秋月圓(しゅうげつえん)というひとり出版社から、秋峰善さんが書いた「夏葉社日記」という本が出版された。私はこの本に編集協力として携わったのだが、本が完成したときに、秋さんから私は編集者としての仕事をしたと言ってもらい、とても嬉しかった。ライターでも編集者でも、キャリアに関わらず自ら名乗ることができてしまうものだからこそ、他者から認められる・評価される経験というのはとても大きなことである。ライターでも、編集者でも、プロになりたい。というかこれで仕事をしているプロであるとそろそろ自信を持ってもいいのだ。プライドを持つべきなのだ。良い仕事というのは、関わった人が新しいことに挑戦できたり、良い仕事ができたと自信がついたり、関わることができて良かったと実感できることだと思う。秋さんが「夏葉社日記」の制作を通じてやってきた仕事は関わる人にも大きな影響を与えているし、私は「夏葉社日記」に関わることができて、自信につながった。良い経験をさせてくれてありがとう。

日記

制作が立て込んでいるので昨日のうちから「明日は朝から外出して仕事するから」と夫に伝えていたら、今朝は私がセットした目覚ましよりも30分早く「そろそろ起きなよ」と起こされた。早起きしたついでに顔も洗わずパジャマの上にそのまま上着を一枚着て犬の散歩に出かける。一歩外に出ると、完全な冬の終わりを感じさせるような暖かさ。朝から良い天気で、日差しも心地良い。犬は近所の散歩だと盛り上がらないから、用を済ませると踵を返して早々と家に戻る。夫と自分のコーヒーを淹れて、四月の天気予報について話をしながら頭を起こし、娘が目を覚ましたタイミングで出発。長く暗い冬を過ごしたあとの青空というのは本当にありがたく感じるもので、自然と感謝の気持ちが芽生える。図書館へ向かって車を走らせていると、ふとレイキャビクの朝を思い出して、景色が重なって見えた。どこに住んでも同じというのは、絶望ではなく希望である。自慢できるほどたくさんの国を訪れたわけではないけれど、人並み程度には海外旅行をしてきた。アメリカは4回、中国、韓国、タイ、ベトナムマカオ、トルコ、トランジットで訪れたカタールに、最後に行ったアイスランド。日本以外の国を経験して戻ってくるたびに移住したいとしつこく言ったけれど、最近では、文化や街並みの差こそあれ、見える景色も含めて、結局どこに住んでも同じだと、人間の営みというのは本質的には変わらないのだと、みんな生きるために生きているのだと、そんなことを思うようになった。子どもが生まれるまでは夫のスキーの付き添いで新潟や福島、長野などの山奥を訪れる機会も少なくなかった。スキー場の近くで生活している人たちのなかには夏は農業、冬は民宿経営といったスタイルをしている人も少なくなく、また時間の流れ方がゆっくりしているように感じた。自然が豊かな場所に住みたい。開発とか文明みたいなものから離れていて、街の喧騒がなくて、すぐそばに自然を感じられるような場所。そう思ったこともある。だけどいま住んでいるところにも自然はたくさんあるのだ。「岩も木もみんな生きて心も名前もあるわ」とは私が幼いころから大好きな映画「ポカホンタス」の主題歌の一節だが、たとえ大自然ではなくてそれが街路樹であっても、公園のなかの草花であっても、それらの存在や息遣い、表情を見出すことはどれだけでもできる。すべては私次第で、私の態度や向きあい方次第で、日常の見え方はいくらでも変えることはできるのだ。だから、どこに住んでも同じである。どこに住んでも同じというのは、どこに住んでも自分の人生は変えられないとかそういう意味ではなくて、あなたの心持ち次第で景色の見え方はいくらでも変えられるということ。

カタールの朝(2012年)

モニュメントバレーの朝(2015年)

レイキャビクの朝(2018年)

ソウルの朝(2019年)