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他人を信じる。より良い未来を信じる

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わたしは、夢見がちです。どんなに関係が拗れてしまっても、対話を続ければ、お互いに理解できる日が来ると信じている。国家権力が絶対でも、市民による草の根運動で変えられる社会があると信じている。決して他人の言うことを聞き入れようとしない、考え方が凝り固まった社長にも、色んな人の意見や自分自身の考えを訴え続けることで、いつかは聞く耳を持って、もしかしたら私のために行動してくれる日が来るかもしれない。そう信じている。
そうじゃないと、絶対に人は変わらないと、未来は変えられないと、決め付けてしまったら。なんてつまらない人生だろうと思う。何につけても諦め、自分の力では何もできないから、あの人が、世界の指導者が、牛耳っていることだからと人のせいにして、自分はこの範囲で幸せなんだと縮こまってしまったら。なんてつまらなくて、不幸なんだろう。

写真はキャプションの通り、抗議デモで警官に立ち向かう少年。圧倒的に自分の立場が不利でも、弱くっても、味方よりも敵の方が多くっても、自分が信じる正義を貫く。私は、こういう人の姿が好きです。心を揺すぶられます。

最近は日経夕刊にハマっていて、一面から最終面までけっこう隈なく読んでいる。そんな中で見つけた記事。

あすへの話題 性善説性悪説 元駐中国大使 宮本雄二
 小林陽太郎氏が亡くなられた。氏の人となりにかねがね敬意をいだいていた私は、その評伝に付された「『性善説』の経営者」というサブタイトルに納得した。人に対する信頼と期待を持ち続けた方だと感じていたからだ。最近、岡崎嘉平太氏のことを少し学ぶ機会があった。氏の言説には、公平なまなざしと相手に対する深い思いやりを感じた。その評伝のサブタイトルも「信はたていと 愛はよこ糸」であった。中国の友人が崇拝してやまない西郷隆盛の言葉も「敬天愛人」である。やはり人に対する慈しみに貫かれている性善説の世界なのだ。人間社会の現実は、醜くて汚い。しかし、それにもかかわらず人に対する信頼を持ち続けた、こういう先達たちの存在は、一服の清涼剤であり、希望を与えてくれる。
 だが性悪説が古くから多くの人たちに支持されてきたのも事実である。確かに人間はそういう側面を持つ。だから会計法規や安全保障の考え方は、人は悪いことをするという前提に立ち、それを予防するというものになる。ところが、人間に対する悲観的な見方ばかりが跋扈(ばっこ)したのでは、人類の未来は暗い。人間の悪い面を抑えこむことには成功するかもしれないが、良い面を引き出すことはできないからだ。つまり楽観的な未来を思い描くことは不可能となり、進歩への憧憬も消えてしまう。これでは困る。
 考えて見ればこの世に絶対的な悪人も絶対的な善人も普通はいない。一人の人間が両面を持ち合わせている。結局、人間社会をどう見るかの問題となる。先達にとり性善説かどうかは、つまるところ自分の生きざまの問題だったのではないだろうか。私自身迷いながら、そう思う、昨今である。
(強調はわたし)

綺麗事だと言われても、じゃあ、綺麗事すら言えない社会って、世界ってなんなんだよ。と思う。
無駄だと言われたら、無駄なことするのが人間だろうと思う。無駄がないのは機械だけだ。無駄の中に文化や、喜びや悲しみがあるんだろう。と思う。

「諦めたらそこで試合終了ですよ」
とバスケ青春漫画のある監督は言っていたけれど、諦めたら試合どころか人生終了だと、わたしは思っちゃうのです。