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加担せずには生きられない 

NHKアナウンサー大越健介さんが書いたこのブログが、すごく印象に残っている


加担せずには生きられない 2013年07月17日 (水)
十本以上もその作品を見て、いくつかの関連記事も読みこんで、準備万端整え、そして一切を捨てて僕はインタビューに臨んだ。数々のアニメーション映画の名作を送り出してきた宮崎駿監督である。
監督はアトリエの外まで出迎えてくれた。中で椅子を差し向かいに据えて2人してカメラの前におさまると、「おっと、灰皿、灰皿」と慌てて立ち上がる。セブンスターを吸っているが、もともとチェリー派だった。すでに販売停止となり、最後のひと箱を大事に取ってある。
「でも、今さら吸ってもきっとおいしくないですよね、干からびていて」と笑う。
「ニカッ!」という言葉がぴったりくる、明るく、そしていたずらっぽい笑顔である。
最新作「風立ちぬ」は先の戦争で諸外国をその性能で驚かせた「ゼロ戦零式艦上戦闘機)」の設計者、故・堀越二郎さんをモデルにしている。美しい飛行機を作りたいという少年時代の夢に向かってひた走った二郎だが、結局それは日本の主力戦闘機として多くの尊い人命を殺傷し、さらには多くの犠牲とともに破壊しつくされた。
「僕は堀越二郎が罪はないとか罪はあるとか、そういう議論をしたいとは思わないんです。まさに(戦争に)加担している重罪を背負う人間のひとりですけど。でも、それを断罪することが現代に生きている自分たちにできるというのは間違いだと思います」
監督は言い切った。天才技術者として称揚することも、戦争責任者のひとりだと罪を着せることもむなしい。ひとつの時代を懸命に生きた。その時代は戦争の時代だったのだ。
ある時代を生きていて、時代と無関係に生きることなどできない。才能に恵まれた人であればなおさらだと宮崎監督は言う。
「アニメーションを作るのと、戦闘機を作るのとどこが違うんだと考えると、大して違わないんです。僕は『となりのトトロ』を作った時に、『映画なんて子どものときに1本見ればいい。せめて1年に1本にしてほしい』と言ったんですよ。でも何年も経つうちに、『ビデオ百回くらい見ました』とか、『うちの子どもは全部セリフ覚えました』とか言ってくる人がいる。それは子どもたちの何かを確実に奪っているんです。その時間は本当の生身の犬とか虫とかそういうものを相手にしなければならない時期なはずです。あるいは友人たちと過ごすとか。(中略)
でも、その時代に生きていて、何も加担せずに、20年後にこういう結果になっているだろうから俺はやらないと言っていたら、何も生きない人間になってしまいますよ。まして技術的なものを志向する人間はこの世の中にちゃんと必要なんですから」。
人間は、よくも悪くも世の中に関与しながら生きている。矛盾の中にまみれ、時にそれを抱え込みながら生きている。宮崎監督もそうだ。すぐれたアニメーション作品で見る者に感動を与えながら、そのことによって見る人の時間を奪い、時に感性まで変えてしまうことの重たさを宮崎監督は自覚しているのだと思う。時に罪深いことをしているとすら感じながら、それでも「時間が足りない!」と創作にまい進している。
そんな宮崎監督を見ていると、厳しい時代の中にありながら、「背筋を伸ばして最後まで誇りを失わないで生きた」堀越二郎という人物像は重なるところがある。そして、まさに堀越が生きた時代に、今の閉そくの時代が重なる。
長編を作るのは構想から5年くらいはかかるそうだ。しかもファンタジーが作りづらい時代になったと監督は言う。現在72歳。周りから、「風立ちぬ」が遺言ですかと冷やかされる。
「実際に遺作になる可能性は十分あります。長編というのは。いつでも最後の作品だと思ってやってきましたから。まあ、50年やったからいいじゃん、というか。もう『老害』になっちゃってるんじゃないかな」
またまたそんな。本当は次の作品を考えながらすでに七転八倒が始まっているんではないですか?
「いつも同じことですから。何十年前からまったく同じ話していますよ、僕は」
宮崎監督は「ニカッ!」と笑って見せた。それを見て、ああ、この人はまた新たなチャレンジに踏み出すのだな、と確信した。