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超メモ

 誰もが直面する可能性がある認知症高齢者の介護をめぐり、最高裁が注目すべき判断を示した。
 愛知県の認知症の男性(当時91歳)が2007年、家族が目を離した隙(すき)に家を出てJRの駅構内で列車にはねられ死亡した事故だ。JR東海が振り替え輸送費用の賠償を遺族に求めたが、最高裁は訴えを退けた。
 民法は、責任能力のない人が第三者に損害を与えた場合、代わりに親などの監督義務者が責任を負うとする。最高裁は今回、認知症高齢者と同居する家族の法律上の監督責任を限定的にとらえた。
 認知症の高齢者は500万人を超える。遺族に賠償責任があるとした1、2審判決に違和感を覚えた人は少なくないだろう。高齢化社会を見据えた現実的な判断と評価したい。
 訴えられたのは、男性の妻と長男だ。1審・名古屋地裁は妻と長男に720万円の賠償を命じた。2審・名古屋高裁は、離れて暮らす長男の監督責任は否定したが、妻の責任を認め、360万円の賠償を命じた。
 最高裁判決は、法律上の監督責任を負うケースを、監督義務を引き受けたとみるべき「特段の事情」がある場合に限定した。事実上、家族の監督責任を問うハードルを上げたもので市民感覚に沿っており、納得する人が多いのではないか。
 その判断に当たっては、監督者の生活や心身の状況、同居しているかや日常的な関わりの程度などを総合考慮すべきだとの基準を示した。
 その上で、男性の妻については、85歳と高齢のうえ足も不自由で介護認定を受けていた点を考慮し、監督責任はなかったとした。
 長男については、1カ月に3回程度男性を訪ねてきていたが、20年以上男性と離れて暮らしていた点から「監督を引き受けていたとみるべき特段の事情はない」とした。
 老老介護や遠距離を通っての介護は多い。そうしたケースで監督責任を問うのは難しくなったといえる。判決の影響は大きいだろう。
 判決からくみ取るべきは、認知症高齢者の介護をする家族を孤立化させず、地域や社会で支えていくことの大切さだ。
 10年後には65歳以上の5人に1人が認知症になると推計される。認知症の人が住み慣れた地域で安心して暮らせる町づくりが欠かせない。一部自治体で行われる認知症コーディネーターの養成や、町内会などが認知症の人を見守る「SOSネットワーク」などの取り組みをさらに充実させたい。
 一方、賠償責任が認められない場合に、被害救済をどうするかが課題として残る。公的保険で基金を作ることも、検討テーマではないか。議論を深めたい。
社説:認知症の監督責任 現実ふまえた司法判断 - 毎日新聞

 認知症の男性が徘徊(はいかい)中に線路に入ってしまい、列車にはねられて死亡した。この際の振り替え輸送などの損害賠償をJR東海が遺族に求めていた訴訟で、最高裁はきのう「遺族に賠償責任はない」との判決を下した。
 事故は2007年末に発生。一審は長男に、二審は妻に男性の行動を監督する義務があったとしたが、最高裁は「夫婦だから」「子供だから」というだけでは監督義務があるとは言えないと判断した。
 認知症になった人の言動に神経をすり減らしながらも、懸命に対応しているのが在宅介護の現状だ。判決は、実態に即したもので妥当と言える。
 今回のケースでは、同居している妻も要介護認定を受けた「老老介護」で、長男は遠隔地に住んでいた。家族が重い責任を負わされれば、認知症の人を閉じ込めることや身体拘束を助長しかねない――。介護に携わる人たちからはそんな懸念が出ていた。
 判決も補足意見で、介護する人に責任を負わせれば、認知症の人の行動を過剰に制限することになりかねないと言及した。人の尊厳を守る大切さを改めて指摘したと言えるだろう。
 一方で、被害を受けた側をどう救うのか、という課題は残った。民間の個人賠償責任保険などを整備・拡充することで対応できるのか。新たに公的な基金や救済の仕組みを考える必要があるのか。今後の検討課題だ。
 高齢化が急速に進む日本では、認知症になる人も増えていくと予想されている。一人暮らしや高齢者だけの世帯も増える。徘徊は防ぎきれないという前提に立って、個人や家族任せではなく、地域で広く支える仕組みが必要だ。
 先駆的な取り組みで知られる福岡県大牟田市は、認知症の人が行方不明になったときに行政だけでなく地域の各団体、登録した市民に一斉メールで情報発信するネットワークを作り、市全域で模擬訓練もしている。目指すは「認知症になっても安心して歩ける町」だ。こんな取り組みを各地に広げたい。認知症の人や家族が、初期段階から必要な医療を受けたり相談したりできる環境作りも欠かせない。
 昨年1月に公表された認知症施策の国家戦略「新オレンジプラン」で、政府は「住み慣れた地域で自分らしく暮らし続けることができる社会の実現」を掲げている。判決を機に、この歩みを着実に進めていきたい。
 認知症の人が安心して暮らせる社会は、誰にとってもやさしい社会になるはずだ。
(社説)認知症訴訟 問われるのは社会だ:朝日新聞デジタル

認知症介護の実態を重くみた最高裁判決
 認知症の高齢者が徘徊(はいかい)中に列車にはねられ死亡した事故で、遺族に賠償責任があるかが争われた訴訟の判決が、最高裁であった。判決は「家族が高齢者を監督することが可能な状況になかった」として、賠償を命じた二審判決を破棄した。
 高齢者を介護する多くの家族にとって、納得しやすい結論だろう。ただ、家族に責任はないとされても、亡くなった高齢者は戻ってこない。こうした事故を防ぐため、認知症の人を支える仕組みをつくる必要がある。
 民法は、責任能力のない人が第三者に損害を与えた場合に、監督する義務のある人が賠償責任を負うと定めている。裁判では、妻と長男に監督義務があるかが焦点となった。
 最高裁はまず、配偶者であることで直ちに監督義務を負うわけではないと指摘した。監督義務があるかどうかは、その人自身の生活や心身の状況、同居の有無、介護の実態などを「総合的に考慮し判断すべきだ」とした。
 妻は事故当時85歳で、要介護1の認定を受けていた。また長男の妻は近所に住んで介護にあたっていたが、長男自身は同居しておらず、月3回訪ねる程度だった。これらを踏まえ、判決は、妻も長男も監督が可能ではなかったと結論づけた。
 高齢化が進み、老々介護や遠距離介護のケースも増えている。一律に責任を負わせず、個々の事情を丁寧に見る判断といえるだろう。ただどのような場合に責任が問われ、どのような場合は問われないかは必ずしも明確ではない。
 何より大事なのは、こうした悲劇を繰り返さないことだ。
 政府は認知症になっても住み慣れた地域で暮らせる社会を目指すという。鍵となるのが医療や介護などを一体的に提供する「地域包括ケアシステム」だ。国や自治体は整備を急がなければならない。
 高齢者が徘徊した際に、市民にメールで連絡し、保護につなげる地域もある。住民の力も欠かせない。認知症の予防や治療のための研究の推進、見守りに役立つ機器の開発、損害を広く薄く負担し合う保険のような仕組みづくりが課題になるだろう。
 認知症の高齢者の数は2025年には約700万人に達するとの推計もある。誰もが当事者になる可能性がある。一つ一つ、地道に対策を積み上げていくしかない。
日本経済新聞