余談

究極に会社を辞めたくて仕方なかったとき、本当に苦しくて誰に相談したら良いのかもわからなくて、かほく市のラブマシーン赤井さんに声をかけてせせらぎ通りのルロワと満月とワインに飲みに行ったのはたしか2018年の秋だった。その日はしいのき迎賓館緑地でイベント「秋の空」(だったと思う)が開催されていて、待ち合わせまで時間があったわたしは、石引パブリックの砂原さんを見つけて仕事の愚痴を聞いてもらった。(いま振り返ると、わたしは真夏のスイカ畑に設置されたスプリンクラーのごとく、どこでも誰に対しても、なりふり構わず仕事の愚痴を撒き散らしてた。ちょっと反省)

 

時は流れて、計画していたようで図らずも退職、いや、解雇されたわたしが2年前の出来事を思い出した理由は今後の生き方について否応なく考えさせられているからである。

 

「秋の空」に出店していた石パブで見つけた『余談 スチャダラパー・シングス』。わたしは本について、いわゆる「運命的な出会い」があると思っていて、何気なく手に取りパラパラめくって読んだこの本にわたしの心を揺さぶる文章が掲載されていたのだ。ここにある言葉を自分のそばに置いておきたくてこの本を買った。

 

その道23年(当時)になるフリーランスのテレビマン・岡宗秀吉さんのコラム「ヒマが大事だと先輩は言った。」は全てに蛍光マーカーを引きたいくらい素晴らしいものなのだけど、いつ読んでも特に心に刺さるのがこの部分。

 

(一部抜粋)

実際僕も三回ほど無一文になりました。それでも何にも代え難い良さがフリーランスにはあります。それは「嫌なことはやらない権利」とも言えるような気がします。企業の中で保証される給料と引き換えに嫌なことを引き受けている人たちの中に、仕事に対する異常なドライ感を見てしまう時があります。そりゃそうです。嫌なことをやっているのですから愛情を持つことが難しいのです。しかしそういう姿勢で作品に関わる人ばかりで、作品が当たることはまずありません。なんの世界でも「普通」に作るだけでも大変で、そこにキラリと光るモノを乗っけることだけが難しいのだろうと思います。僕にとって、その難しさに立ち向かうには、作品に対する愛情や情念が絶対に必要です。そうして初めて作品に血が通うようになるのですが、実際は愛情と情念だけではまた当たりません。そこに戦略やセンス、予算、人間関係などその他の「条件」が深雑に絡み合い、結果が出るんだなとだんたん分かってきました。だからこそまず、必要な愛情と情念だけは落とすまいと思うのですが、その環境を守れるのがフリーランスという立場でした。

 

・・・

 

先日、金沢倶楽部時代に大変お世話になったある方に退職(というか解雇)のご挨拶をメールで送ったら、とても丁寧なお返事をいただいた。「自分の芯となる思いに誠実に仕事をすればきっと大丈夫です」。

 

 

『余談』にある言葉と、メールにあったこのメッセージを反芻しながら、自分の「芯」とはなんだろう、わたしが「愛情と情念」を持てるものはなんだろうと、改めて考えている。

 

 

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