政治的に正しいブログとは

会社倒産の直前まで一生懸命作っていた特集がございまして。

(解雇された日は入稿予定日だった)

 

それは金沢市の真上(北)にある津幡町内灘町かほく市を深堀りして魅力を再発見しよう!という企画だったのだけど、このエリアには公園が多く、しかも開設面積が広かったり遊具や運動用の設備が充実していたりして何かと使い勝手が良い。プライベートで超使えそう!というのが、取材を通じて知った嬉しい発見の一つだった。

ちなみに公園は昨今の状況により、(サンミツじゃないから)利用者数が増えているそうだ。

 

で、今日は久しぶりに晴れて気持ちが良かったので、午後から夫、お犬様と津幡町の『あがた公園』に行ってきた。週末なので家族連れが何組か、それからスケボー(スケート)の練習に汗を流す若い男の子たちと、キャッチボールを楽しむカップル。みんながマスクを着用しているのを除いては、視界に入る景色は平和そのものだった。人はそれなりにいたけれど、言っても公園だ。混雑のため半径2メートル以内に他人がいる、なんて状況には決してならない。わたしは犬が「これ以上はもういいです~」となるまで思いっきり一緒に走って、整備された道でスケボーをたのしんだ。夫もインラインスケートやスケボーを自由に楽しんでいた。心地よい疲労感に包まれ帰路に就いた井上家。(完)

 

 

・・・と、ここまでが今日の超事実なのだけど、たぶん私がいまマスコミ業界で働いていたら、こんな事実なんて絶対SNSでは書けないだろうなあと思う。(ブログ然り)いや、マスコミじゃなくてもか。

 

 

あなたが公園で遊ぶ姿を見た(知った)人が、自分も公園に行きたくなったらどうするんですか?いまはみんなでステイホームをがんばるときじゃないんですか?公園に人が殺到したらどうするんですか?自分ばっかりスケボーですか?医療従事者の人たちは・・・(略)

 

 

被害妄想なのかもしれないけれど、この状況になってからというもの、たくさんの顔も存在も分からない人たちの意見に押しつぶされて、結果、自分の「今日」が正しかったのかどうかさえ、わからなくなっている。なんでかわかんないけど、誰かに対して後ろめたい気持ちがずっとついて回っている。

 

想像しうる「全ての」人たちに配慮すると、「今日はいい天気だけど、青空は家の窓からでも楽しめる。スケボーはしばらく我慢しよう。地元の飲食店を応援したいから、お昼(夕ご飯)はテイクアウトしてきました。#ステイホーム」としか、しようがない。

 

 

さいきんSNSでの表現(発信)の幅がぐんと狭くなったなあと感じていて、過激が良いということでは決してないんだけど、ふだん(平時)は深く考えもしなかった「自分の発言に対する責任」や、「誰か」の視線を必要以上に意識しているような気がする。でも、いまは誰かの言葉尻を捉えて互いに消耗しあうのではなくて、ポジティブな発信はもちろんだけど、自分の不安や疑問を発信して共有していくことも、ストレス発散や、誰かとの共感につながるんじゃないのかなあと思うのだけど…。SNS、怖いけど気にしていたらキリがなくて、わたしがスケボーした事実で怒る人はリムーブして下さい、わたしがスケボーした事実でスケボーしたくなった人は、どうぞ自己責任で公園に遊びに行って下さいとしか言いようがないと思ってしまうのだ。難しいなあ。それか山にでも籠って黙ってるか、でもそれじゃあ息が詰まってしまうよね。わたしだけかなあ。

 

 

そこでふと思い出したのが、なぜ買ったのかも、なぜ手元にあるのかも分からない本、『政治的に正しいおとぎ話』(ジェームス・フィン・ガーナー著、デーブ・スペクター&田口佐紀子訳)。

 

ざっくりまとめると「ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)を追求したら、おとぎ話がこんな風になっちゃうけど、それでいいんだよね?」というメッセージを伝えるために書かれた本だと思う。中身はこんな感じ。

 

昔、赤ずきんという名前の女性が、お母さんと二人で、大きな森のそばに住んでいました。ある日、赤ずきんはお母さんからおつかいをたのまれました。新鮮なフルーツとミネラルウォーターが入ったバスケットを、おばあさんの家に届けるのです。それが女性の仕事だからでは、ありません。とても親切なことだし、共同体感覚(コミュニティ)も生んでくれるからです。それに、おばあさんだからといって、病気だというわけでもありません。おばあさんは肉体的にも精神的にも健康そのもので、自分のことは完全に自分でやれる成熟した大人だったのです。バスケットをさげて、赤ずきんは森の中を歩いていきました。森は、悪いことの起きる予感がする危険な場所、と信じていた人もたくさんいて、彼らはけっして森に足を踏み入れませんでした。でも赤ずきんはそんな、見え見えフロイト派的なイメージにはおびえません。性的にはすばらしい思春期にいる自分に、自信をもっていましたから。道の途中で、赤ずきんはオオカミに呼び止められ、バスケットに何をいれているのかたずねられました。「ヘルシーなおやつをおばあさんに持っていくんです。もちろん、おばあさんは成熟した大人として、自分のことは完全に自分でやれる人ですけど」赤ずきんが答えると、オオカミはこう言いました。「可愛い子ちゃん、わかってる?おちびの女の子が森を一人で歩くなんて危険だよ」「女性差別にあふれた口のききかたで、きわめて不愉快ですね。でも気にしません。あなたたちオオカミは伝統的に社会ののけ者という立場におかれてきましたから、そのストレスのせいで、ものすごく説得力のある世界観をもつようになったのでしょう。さてと、よろしければ失礼します。先を急いでますので」(赤ずきん冒頭より)

 

(久しぶりに読んだら面白くて引用が止まらなかった)

ポリコレと今回の件はちょっと違うけど、なんていうか、この世の中において全ての人に対して中立にいることはできないし(そもそも多様性の時代に、”全ての人”なんて想像できない)、誰も傷つけない、なんてことはできない。いまの時代、政治的に正しいブログとは、SNS発信とはどんなものなのでしょうね。

 

 

夕方、公園から家に帰り夕食の支度をしていたら、ワイドショーで都内の公園を空から眺めた様子が映し出されていた。「走っている人がたくさんいますね、あ、自転車も合流しました。人がちらほらといますね。どうなんでしょうか」。

 

 

こういうものに、わたしの心が縛られたり、消耗させられたりしたくない。

 

 

手作りの餃子を食べながら、例の「消毒液を注射」発言が映し出されて感情が爆発、映画『God Bless America』ごっこをするために百均で買ったおもちゃの銃口を彼に向け、ちょっとすっきりしたのだった。

 

 

みんな、適度に息抜きしようね。無職5日目。

 

※このブログは外出を推奨するものではありません。

※公園の利用は自己判断でお願い致します。

 

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