無職何日目?

毎朝、決まってBSニュースで世の中の動向をチェックする夫が、今朝はドラゴンボールを見ていた。人はこれをコロナ鬱と呼ぶのでしょうか。

わたしは「旅館の朝食」をテーマに(我が家ではたまに登場)品数多めに朝ごはんをこしらえて、無言で夫の気持ちに寄り添った。

 

 

iPhoneを触る機会を減らしたくって(スマホ中毒)SNSの使用時間を厳しく制限した結果、いっときは一日のスクリーンタイムが2時間を切ったのだけど、失業してから一気に5時間(!)を超えてしまった。今朝もベッドのなかでだらだらストーリーズを見ていたら、顔が好きでフォローしているヘアメイクアーティストが自分の顔をメイク中の動画をIGTVにアップしていた。行ったことはないけどいつか行きたいと思っているカフェの店主は自慢のちらし寿司のレシピを公開して、お気に入りのワイナリーは「おうちで楽しむ●●ワイナリーセット」を発売、大好きな個人書店は最近オンラインショップに力を入れているようで、せっせとおすすめ本を紹介していた。

 

うーん、私には見て楽しんでもらえるものがない、というか売れるものがない。お金につながらない。

 

メイクアップもそうだし、セルフ前髪カットやかわいいヘアアレンジ、料理の作り方等々、仕上がりはもちろんだけど、やり方、工程を知りたい人、それを公開することで誰かに喜んでもらえるものって結構ある。それをマネタイズするのが上手な人もいれば、この状況を「ファンづくり」として捉えて取り組む人、暇つぶしがてら楽しむ人、ボランティア的な人、いろんな考えがあるんだろう。

 

 

じゃあ、例えば文章を書く「過程」を見せる(公開すること)って、需要があるのだろうか。

(あわよくば小遣い稼ぎにつながるのだろうか)

 

 

そんなことを(ベッドの中で)ぼんやり考えていたら、去年あいちトリエンナーレで観た動画作品「10分遺言」を思い出した。趣旨はこんな感じ。

 

あなたは人生の最後に誰かに言葉を遺すとしたら何を書くでしょうか。わたしたちは、執筆のプロセスを記録し、再生するTypeTraceを使って、たくさんのひとびとから「ラストワーズ」―最後の言葉―を集めています。
  制限時間は10分。あなたが、大切な人に向けて「最後に」 紡ぐであろう言葉をぜひ、教えてください。

 

誰かを思って、10分の制限時間の中でメッセージを書く。何度も書いては消して言葉を選んだり、戸惑ってキーボードを叩く手が止まったり、一度書いた文章を納得がいかず全て消して新たに書き直したり。そんな様子が全て、映像に映し出されていた。

会場にはタイピング風景が20ほど一斉に映し出されていて、観客のなかにはすすり泣く声も聞こえた。完成されたメッセージと、その「過程」も含めて見るのとでは、圧倒的に「心」の伝わり方が違うのだった。

 

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#10分遺言 :人々の「最後の言葉」を収集するアートプロジェクト|WIRED.jp

 

YouTubeでも見れるよ)

 

きっとこの企画は「テーマ」が面白いのであって、私が暇つぶしにブログを書くサマを同じように映像にしたところで何も意味がないと思うけど、たとえばコロナ渦(この言葉はじめて使った)において、SNSで誰がどんなことを発信しようとして辞めたか、どんな言葉を選んだかというのは、この作品のように映像として見てみたい気もする。

 

 

 

わたしは、文章は取材対象と書き手の間に生まれるコミュニケーションこそ大切だけど、第三者にとっては「制作過程」はそれほど価値がないものだと思っている。

編集後記もそうだけど、SNSで「あの取材はこうでした」って、後日談とか裏エピソード的なものを語るのが苦手で、例えば800文字という制約のなかで書いたものが最大限のわたしの表現なので、後からその表現(文章なり取材)について語るというのは、「盛り込めなかったけど、ほんとうはこんなコメントも引き出せていたし、書きたかったんです」って言い訳するみたいで、なんとなくカッコ悪いな〜と感じちゃう。プライド高いな。

 

 

 

あ~何が言いたかったんだっけ!

 

とにかくお金を稼げない(稼いでいない)というのは、けっこう心的ストレスが大きいってことが、無職6日目(だっけ?)の実感です。