判子が無エ、スーツも無エ

2015年春、富山県のある信用金庫で5年定期積金を契約した。勤め先で担当していた信金だった。その名も「北陸新幹線開業応援定期積金」(的な)。1本契約する毎に抽選券が付与され、みごと当選すれば東京までの片道切符(座席はグランクラス)がもらえる、という触れ込みだった。当たらなかったけど。

 


掛金1万円で、満期には60万円が貯まっている計算だ。5年の間に私は結婚して姓が変わり、二度住所が変わり、職も変わって最終的に無職になった。こつこつ貯め続けて5年。今年3月にようやく満期を迎えたのだけど、働いていた頃は平日9:00〜15:00の間にわざわざ富山まで行ってお金を下ろすなんてできなかった。いつか時間を見つけて貯まったお金を下ろしに行こうと思っていた矢先、幸か不幸か失業した。

 

解雇された翌日、その日(4月21日)の昼には報道によって多くの人が倒産・廃刊を知り大騒ぎになるんだろうと思ったら心がザワザワして、現実逃避を兼ねて、夫を誘って富山に行った。ようやく、60万円が手元に戻ってくる。現金なわたしは期待に胸を膨らませた。ちなみにわたしが口座を作った本店営業部までは車で片道1時間(下道で)かかる。解約に必要な書類を忘れたために、せっかく足を運んだのにお金が引き出せないなんて嫌だったから、事前に窓口へ電話をして「証書と現在の姓の判子があれば大丈夫」というのを確認して家を出た。

 

 

平日の昼の信金は空いていた。結論から言うと、窓口の女性に「旧姓の判子がないと引き出せません」と言われて、わたしの60万円は引き出せなかった。5年間貯め続けた60万円。再会を楽しみにしていた60万円。

 

…そうならそうと言ってよ!ただでさえ失業したばかりでささくれだっていたわたしの心は、定期積金を引き出せなかったことにより、崩壊寸前だった。実は、念のため家を出る前に旧姓の判子を探したのだけど見つからなかったのだ。その場合は判子の紛失届を出さなくてはいけないので、少なくともあと2回、富山に行かなきゃならないらしい。5年かけて貯めたお金を引き出すのが、結婚したためにこんなにハードだなんて思いもしなかった。日本の悪しき判子文化たるや。「こんな街とっとと出てってやる!」わたしの怒りになぜか夫も参戦し、高速に乗ってそそくさと金沢に帰った。お金は下せなかったし、ドライブもたのしくなかった。なんだか夫に申し訳なくなりココイチのカツカレー普通盛り4辛(+サラダ)を奢った。

 

 

(後日、対応してくれた窓口係から「わたし、旧姓の判子が必要って言ったじゃないがですか、すみません。それだけじゃ足りなくて、旧姓といまの姓が両方記載されている公式な書類(戸籍謄本等)も必要ながです(富山弁)」と電話があった。トラップが多すぎる)

 


 

 

きょう。部屋の片付けをしていたら、前の会社に勤めていた頃、東京本社転勤が決まったお祝いに父が買ってくれたスーツ(上下)が無くなっていることに気付く。スーツ無くすってなんやねん。判子(旧姓)がない、スーツもない。

 

「俺ら東京さ行くだ」のリズムで「判子も無エ、スーツも無エ」と口ずさんだら、夫に「無職決定だね」と言われた。(完)