無職、20日目。

トルコに行ったのは2012年だった。

 

そのとき私は大学4年生で、出発日を丸一週間後に控えた10月末、九段下にある業界新聞社の秋採用最終面接を受けた。社長面接だった。

 

大学ではアメリカ経済ゼミナールに所属して、リーマンショックオバマ大統領(当時)の経済政策、バーナンキFRB議長の金融政策などを研究していた。当時、金融・経済界のホットな話題は「ギリシャ危機」だったと思う。

 

 

社長のフルネームだけ覚えて挑んだ最終面接、初っ端から「君はアメリカ経済を勉強していたんだね。じゃあ、ギリシャ危機の影響をアメリカと日本、それぞれの立場から考察した君の意見を教えて」と聞かれて、金融専門紙の社長らしいなあと思ったのを今でも覚えている。

 

 

面接の最後、なにか質問や聞きたいことはあるかと問われて「来週にはトルコに行くので内定の連絡は早めにほしい」と伝えたらその場で内定が決まった。それ以来、何故だかトルコに感謝している。

 

 

トルコに行くことを決めた理由は思い出せないけど、とにかく遠くに行きたかった。

 

 

その頃、わたしは独りになりたかった。

高校時代に様々な出来事が重なって以来、孤独に弱くなっていた。

東京の大学に進学した理由も、ほぼ保健室登校していた頃に先生が「思い切って地元を離れた方がいい」と言ってくれたのが大きかったと思う。

大学では仲良くしてくれる友だちに恵まれたけど、近くに人がたくさんいる分、独りでいると「周りには人がたくさんいるのに独りでいる」状況に耐えられなくなることがあった。

 

一人で海外に行くと、周りに自分を知っている人はもちろんいないし、頼れる人もいない。必然的に独りだからかえって孤独を感じずに済んだ。

一人旅をするにはハードルが高ければ高い国の方が、自分の命を守るために全神経を集中するから孤独を感じずにいられた。生きることに集中する時間が心地よかった。

 

 

11月6日、22:30成田発のフライトでドーハを経由しイスタンブールへ。

 

 

わたしにとって移動は自分と向き合うための大切な時間で、海外旅行の際は行きも帰りも機内にある適当な紙の裏面(真っ白)に心の内を書き出すのが恒例だ。手元に残っている紙には「たとえば震災後は、洋服を買うとか、全てが無駄、贅沢という風に感じられた。自分の生き方がわからなくなった」と書いてあった。

 

トランジットのため、ドーハ国際空港に到着したときの感動が忘れられない。

初めて嗅ぐ匂い。初めて浴びる空気。空港の中からだったけれど、初めて見る乾いた景色はこれまで見たどの景色とも違った。初めての中東だった。

 

 

イスタンブールには昼頃到着した。

ちなみに大学生の頃の私は「スーツケースをゴロゴロ転がしながら旅するなんてかっこよくない」と思っていて(いつかインタビューしたミニマリストの彼と一緒だ…)、無印良品で買った国内2泊3日用くらいのトートバッグに荷物をぎゅうぎゅうに詰めて旅をしていた。

 

空港から電車を乗り継ぎイスタンブール中心街へ。

ホテルは初日だけ予約していた。街中のゲストハウスだった。

チェックイン後、相部屋のオーストラリア人の女の子に「夕ご飯食べに行かない?」と誘われ、本当はグランドバザールでケバブを食べたばっかりだったけど、断るのがもったいなくて一緒に外に出た。初めてのトルコピザを初めて出会った女の子と食べる。新鮮だった。その日はブルーモスクにも行った。

 

 

同じ部屋に宿泊していたのは、わたしのほかに3人。オーストラリア人の彼女と、アメリカ人の友達同士2人だった。

疲れのため爆睡した翌朝、髪の毛が寝癖でひどいことに二段ベッドの中で気づき、起き上がる前にグーグルで「寝癖 英語」と調べてから「わたしの寝癖やばくない?笑」ってカッコつけて起きたことを覚えてる。

 

 

ゲストハウスのスタッフに相談したら親切に当日以降の旅程を組んでくれた。

移動手段や宿泊先の手配も済ませて、夕方には国内線の飛行機でカイセリ空港へ。

 

その晩はShoestring cave hostelに宿泊。(いま調べたら立派なホステルでびっくり)

カッパドキアを訪れたのは、世界遺産に指定されているギョレメ国立公園で名物の気球に乗るのが目的だった。

 

 

トルコ3日目の早朝、雨が降っているため気球ツアーが中止になりそうと連絡をもらうも、晴れてきたため参加できることに。

わたしは一人旅だったので、オーストラリアから団体で来ていた年配の人たちと同じ気球に乗って空から世界遺産を眺めた。オーストラリア人のおばあちゃんたちはわたしを好機の目で見て、「ひとりなの?」「偉いわね」「洋服がかわいいわね」と優しく話しかけてくれた。

 

午後からはツアーに参加。

ロシア人の中年男性、新婚旅行でトルコを訪れた韓国人夫婦、トルコ人カップルと一緒に行動する。伝統工芸の工房やトルコ料理店を回ったような気がする(あまり印象に残らなかった)。最後にロシア人に求婚されたことだけは面白かった。

 

 

19時、指定された場所に行き夜行バス「Suha」に乗車。

席に着くや否や、小遣い稼ぎをしているツアーガイド?の男の子(10歳くらい)にジェスチャーで何か飲むか聞かれて「ティー」と答えたら伝わらず、「チャイ」と言い直したら分かってもらえた。『深夜特急』で沢木耕太郎が「ティーとチャイの発音の分かれ目が、文化の分かれ目」的なことを書いていたことを思い出す。

 

 

それは10時間の長旅だった。私は一睡もできなかった。

周りにはトルコ人(と思しき人)ばかりで、英語も通じない。人生で初めての10時間に及ぶ長距離バスでの移動に興奮していた。

 

 

 

早朝、パムッカレに到着。

その日参加予定のツアーまでは時間があったけど、時間がくるまであるホテルのロビーで待機することまで手配済だった。

受付スタッフがYouTubeで繰り返し東日本大震災津波の映像を見ていて、わたしに気付き声を掛ける。何人死んだのか。原発は今、どうなっているのか。そんなことを聞かれた。

 

「朝食食べるか?」と聞かれたけど、有料だったからお金もないし要らないと答えたら(貧乏旅行)、フランスパンを丸ごと一本くれた。ジュースもついてきた。

人生で最も印象に残っているフランスパンは、今のところこのときに食べたフランスパンだ。

 

パムッカレの観光はインド人カップルとインドネシアから訪れた友人同士の男女、カナダ人ファミリー3人と一緒だった。このとき出合ったインドネシア人の二人とは、現在も連絡を取り合う友人になった。USJにも上野公園にも一緒に行った。

 

 

コロッセウムを案内してくれた現地ガイドの男性が「自分は海外に行くことができないけれど、英語が話せれば、こうやって海外から来た人たちに出会うことができる。これまでに〇カ国の人に会ったんだ」と話していた。

 

 

 

パムッカレは綺麗で、野良犬がフレンドリーで一日楽しかったけど、それ以上に人との出会いを楽しんだ。

 

 

 

夜、空路でイスタンブールに戻る。

その日はホステルに宿泊、宿で偶然日本人の年が近い女の子と出合い、屋上のバーで一緒に飲んだ。両親がクリスチャンで生まれたときからキリスト教を教えられて育ってきたという彼女は、イスラム教徒になりたくてトルコを訪れたと話していた。わたしたちはイスタンブールの喧騒を眺めながら夜中まで話した。

(その後、彼女はムスリムと結婚して、海外でムスリムとして生活している)

 

 

最終日、早く目が覚めたので海岸まで歩く。

イスタンブールは焼き立てのフランスパンを売り歩く人が朝の風景だ。

一日5回、街中に設置されたスピーカーからコーランが流れる。

コーランが流れるのを、内容は分からないけどただ聞く。

全てが心地良かった。その日の昼の便で、行きと同様カタールを経由して日本に帰った。

 

 

 

 

夕方、日本に着く。

成田空港には当時同居していた妹に加えて、離れてくらすお父さんがわざわざ駆けつけて待っていてくれた。

わたしは就活が上手くいかなくなってから、耳が痛くなるようなことを言われるのが嫌で、お父さんと一切の連絡を取らなくなっていた。ほぼ半年間、音信不通だった。

 

 

なんとなく気まずさもあったけど、それ以上に安心感が大きかった。

家族と会えた喜び、温かさ、安心感。待っていてくれる人がいる有り難さ。

独りがさみしいと言っていたことが申し訳なくなるくらい、わたしは独りじゃなかった。

 

妹と二人暮らしをしているアパートに三人で帰って、宅配ピザを注文して、積もる旅の話を聞いてもらった。

 

 

 

突然ちゃんと向き合いたくなったトルコの旅、わたしの過去の話。以上。

 

 

 

 

iPhoneで撮影した写真ダイジェスト(時系列バラバラ)。

※「荷物が少ないのがクール」と思っていた当時の私は、なんと一眼レフも日本に置いて旅に出た。インドネシア人の友人には「せっかくのトルコ旅行なのにアイフォンでいいの!?」とびっくりされた。今後悔していることの一つ。

 

 

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イスタンブール中心街


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飛行機から見下ろす、イラクのあたり(だったと思う)

 

 

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最後の夜に泊まったホステルから見下ろす風景。

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人生で最も印象に残ったフランスパン

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パムッカレにて。

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どこもかしこも野良犬

 

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フランスパン(再)

 

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ケーブホステル付近だったと思うけど…

 

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マッシュルームロックと、野良犬。

 

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簡易カフェ。少し治安が悪いエリア。観光客をギラギラした目で見ている人たちが多く、なんとなく怖い思いをした。数年後、このすぐそばで、日本人の大学生が事件に巻き込まれて亡くなったと知る。

 

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フレッシュザクロジュースが有名。

 

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気球にて。オーストラリア人のおばあちゃんたちと一緒に。

 

 

 

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ターキッシュエアラインの機内食が美味しかった。

 

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イスタンブールは猫も多い。

 

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フランスパンの売り歩き。

 

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ブルーモスク。

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ブルーモスクのなか。

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わたしがトルコを旅した当時は、シリアで内戦が始まったばかりだった。カタール空港からイスタンブールへ向かうとき、飛行機の空路はシリア上空を通るルートになっていて、心がざわざわした。トルコでは、国内テレビではだいたいシリア情勢が報道されていたような気がする。

 

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グランバザールで食べたケバブ

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グランバザールのランプ専門店。

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トルコと言えば、絨毯。

 

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 一生忘れない、初めて中東で迎えた朝。