無職26日目、雨

ささやかな幸せもいいけれど、激しい感動とか、激しい悔しさとか、激しい怒りとか、激しい喜びとか、そういうものが恋しくなってきた。これまでずっと、そんなものを求めて生きてきたような気がする。

 

 

 

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今朝、思い立って数年ぶりに新聞の定期購読を再開した。

中学生の頃から新聞が大好きで新聞を読まない人生なんてあり得ないと思っていた。

それが金沢倶楽部に入社して以来、あまりに忙しくて読まなくなってしまったのだ。

 

無職のいま「忙しい」は言い訳にならない。そもそも「忙しい」って、たった一人、自分のことさえ納得させられないつまらない言い訳だったと今になって思う。

 

今日の朝刊で「(八方塞がりの中で)進むも地獄、退くも地獄なら、進むしかないではないか」という言葉がすごく印象に残った。検察庁法改正に反対する検察OBの意見書要旨の記事にあった一文。わたしはいま、進んだ先も退いた先もどうなるか分からない。だから進むしかないのではないか。

 

 

 

無職で特にやるべきことがない状況になっても、相変わらず後回しにしてしまうものってある。例えば富山の信用金庫に定期積金を解約しに行くとか、売り込みのためのポートフォリオを作るとか、マイナンバーカード作るとか…それなりに「マスト」なやるべきこと。

 

 

一方で失業してから優先してやっていることはというと、こうやってブログを書いたり、ピーツと自然のなかをたっぷり散歩したり、雑誌や本を読んだり、好きな人と話をしたりそういったものだったりする。

 

別にブログはいつだって書けるし、犬の散歩は近所でもできる。雑誌や本をあえて今、急いで買う必要はないのかもしれないし、会いたい人に会って話すのは無理に今日じゃなくても良いのかもしれない。「不要不急」という言葉をよく聞くようになったけれど、不要不急を取り除いたら、わたしに残るものって一体何なのだろう。

 

 

いまだからこそ思うこと、それはいわゆる「不要不急」の中にこそ、人間らしさ、人生の豊かさみたいなのがあるんじゃないかということ。

「不要不急」を排除したら、ただ生きるために生きるだけの、あまりに味気ない人生になってしまうような気がする。不要不急にこそ、その人らしさが表れるのではないか。誰かにとっては無駄だと言われるようなことが、明日でもいいことが、やらなくっても死ぬわけではない大して意味もないことがしたい。

 

 

 

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昼、夫と久しぶりに大額の『真打』に行って真打ラーメンを食べた。飲食店が営業しているのは嬉しいし、あの店の雰囲気のなか、店主の顔を見て(それから失業を心配されて)、出来立てのラーメンを食べるのはやっぱり嬉しかった。

 

 

 

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無職25日目の昨日(5/15)は、人生初のzoom会議の日だった。

zoomを使いこなせるか不安で事前に妹に相談したら、妹の職場ではteamsを使っているということだった。時代はどんどん変わってゆく。

 

 

 

 

 

いま出来なくなってしまった表現もあれば、いまだからこそできる表現というものもきっとあるはず。私は今こそ作れる雑誌を作りたいなあと、ぼんやり思う。