無職34日目(5月24日の日記)

朝、夫とピーツと森林公園。最近決まってどこかの山にいるような気がする。

無職なのに仕事の夢を見る。

 

午後、身体が鈍っていたので卯辰山を歩いて登って下りた。

 

 

会社員として働いていた頃は仕事を中心として朝や夜の生活のリズムを作ることが簡単だったけど、働いていないと時間の区切りがなくなるなあと思った。

朝、まったりとピーツの散歩。日中ピーツと遊んで、夕方ピーツの散歩。なんじゃそりゃ。24時間の構成しなおしが必要だなあと思って、ひとまず夫と同じ時間に起きて、日中にオンライン英会話を始めることにした。そろそろ何か生産性のあることがしたいような気がする。勢いが大切だ。

 

 

夜、へぎ蕎麦と各種天ぷら。

私たち夫婦はへぎ蕎麦を心底愛していて、特に夫は茹で加減や冷水で引き締める段階にこだわる。おかげでいつも美味しい蕎麦が食べられる。

 

新聞記者時代、社員旅行で福井を訪れみんなで越前蕎麦を食べたときに長野出身の若手記者が「やっぱり蕎麦は長野が一番」と言って、社員旅行幹事を務めていた当時の支局長にキレられていたのを時折思い出す。私はへぎ蕎麦派だし、やっぱり故郷の味というのがあるんだろう。

 

 

 

義理のお母さんが「失業中だからこそ読めるような、難しい本を読んだ方が良い」と言って『<政治>の危機とアーレント 『人間の条件』と全体主義の時代』(佐藤和夫)を貸してくれた。

 

まだ読み始めたばかりなのだけど、本書で引用されていたハンナアーレントの「愚鈍だというのではなく、何も考えていない」という言葉を読んで、あぁそうなんだよなあと思ってしまった。

 

 

高校の廊下で、片一方の端にいる私に対してもう片方の端っこから大声で「〇〇(私の苗字)死ね」って言われる感じ。当時流行った無料で作れるホームページの「日記」昨日に、ひたすら自分の悪口や「死ね」と書かれる感じ。

 

もし、自分の発言がきっかけで私が自殺することを少しでも真剣に「考え」たら、こんなことできたのだろうか。実際は何も考えていないだけなんだろう。

 

 

いちいち考えていたら生きるのがつらすぎるっていうのもあるんだろうけど、そういう社会ってどうなんだろう。

 

 

 

 

重たくなりがちだけどライトに消費する必要もないと思っていて、きっと忘れることはないけど覚えているうちに読める文章にしたいと思った。