振り返る4月。

頭のなかで考えを巡らせているうちに、「書いてみようかな」って思えるようになってきた。つわりが始まってから考えることも書くことも放棄していたけど、今は集中して映画を観られるようになり、本も読めるようになり、こうして日記レベルのブログも前向きに書けるようになり、さらに、いま取り掛かっているお仕事のことを一日中考えられるようにもなった。脳がちゃんと機能するって嬉しいことだなあ。

 

先日、『仕事本』(左右社)を散々迷ったあげく購入した。出版が決まってからずっと読みたいと思いつつ、妊娠したとたんいきなり節約モードに切り替わり単行本にはなかなか手が伸びなかったのだけど、ある日の朝日新聞「折々のことば」で本書にある言葉が引用されていて、ピンときたのだ。

 

様々な「仕事」をする人たちがつづった、緊急事態宣言さなかの日々の記録。それぞれの立場から見た世の中、誰かが発した言葉に対する感情、自分自身の思い、政治に対する不満や憤り、怒り、そんなものに触れるにつれて、私が経験したあの混沌の時期を振り返りたくなった。思い出すとヘンなことがたくさんあったし、私の考えもその時々で大きく変化した。思い出したついでに書き残しておこうと思う。

 

※時系列順不同

・マスクが手に入らなくなってきた当初(3月中旬~下旬?)。ドラッグストアを何軒もハシゴするのも、運よく店頭で見つけたマスクを買い占めるのも嫌だった。限りある物品をより必要な人に使ってほしいと本気で思っていた。「マスクは感染者が他人にうつさないためにするものであって、非・感染者の感染防止には役立たない」と言い張り、社内の8割くらいがマスクを着用していても「そもそも家にマスクがない」と言ってマスクを着けなかった。

・ネットでマスクの転売が盛んに行われ始めたころ。まだマスクは国内製造されておらず、離れて暮らす家族が通常であれば一箱50枚入り800円ほどで販売されていたマスクを5~6,000円で注文したと聞き(しかもいつ届くか分からない)、思わず怒る。というか、バカにしてしまった。「コロナコロナって、そんなに怯えるものじゃないよ」って、わたし確かに言ったと思う。

・社内で誰かが「毎朝、母が近所のドラッグストアの開店前に並んでマスクを買っているんです」と話しているのを聞いて内心うんざりする。いま振り返ると、私も我が子…というか家族のためだったらいくらでも開店前のドラッグストアに並んでマスクを買ってしまうなあと思う。他人の言動に対して、気持ちがささくれ立っていた頃。

・マスクを手に入れるために必死な思いをしたくないという変なプライドがあったと思う。夜な夜な、使わなくなった手ぬぐいやハンカチで手作りマスクを手縫いする。なんでか、悔し気持ちでいっぱいだった。戦時中かよ、と心の中で呟く。

・緊急事態宣言の最中。自主休業中の夫と私。毎晩ヒマで、東山界隈を散歩していた。自分たち以外、一人もいない夜のひがし茶屋街はとても趣があって、楽しくなって二人でダンスしたり走ったりしてiPhoneで動画を撮影。インスタグラムにアップするも、直後に「これ、不謹慎って叩かれるんじゃない?」と不安になって削除した。

・4月の中頃だったと思う。会社から、社員の新型コロナウイルス感染防止のためのマニュアルのようなものがリリースされる。そこに「冠婚葬祭への出席は禁止」(葬儀も対象だったっけ…)とあった。5月初旬に大好きな後輩の結婚式に出席する予定があった私(結果、延期になってしまった)。当時は会社からこのようなお達しが出ることも「仕方がないこと」だと思っていたけれど、今振り返るとどう考えたっておかしい。そこは、個人の判断に任せて良いのでは?

・週末に夫と映画「スキャンダル」を観に行く約束をしていたのだけど、前日になって夫が「今は辞めておこう」と言い出し、ささやかな言い争いに発展。夫の立場としては「複数の生徒を抱える立場上、自分の安易な行動で生徒たちを危険に晒すわけにはいかない」とのこと。わたし「映画がダメなら、その基準に合わせて他の行動も決めてほしい」と怒った(気がする)。結局映画を観に行かずに上映期間も終わった。

・ときどきチェックしていたグルメ系インスタグラマーが、「皆さん、このままでは大好きなあの店も潰れてしまいますよ!少しでも外食に出かけて、食べて応援しましょう!」と呼びかけた翌日に、どうやら批判の声が複数あったようで「これからはテイクアウトの情報に徹します」とトーンダウンしていた。マスコミ業界にいる人であれば、自社媒体なり自身なりの発言・発信が受け手にどのような印象を与えるか熟慮するものだと思うけれど、そういったトレーニングを受けていない、例えばインスタグラマーのような人の発信をそのまま受け取り信じる人がきっと多いのだろうなあと思い、色々不安になる。

・離れて暮らす父が、会社の従業員のためにマスクを探しているという。週末訪れたホームセンターで「1箱4,000円(50枚くらい入り)お一人様2箱まで」というのを見つけて、すかさず2箱買って郵送する。

・インスタグラムでフォローしているモデルやタレントが一斉に「ステイホーム」コールを始める。自宅が快適で、オンラインショッピングを楽しめて、働かなくてもしばらくはお金に困らない人には、自宅から出られない息苦しさや、外に出ざるを得ない人たちの心の葛藤は一生分からないよ、と卑屈な気持ちになる。

・人によって新型コロナウイルスに対する理解や判断が全く異なるから難しい。何をリスクととらえ、何を大丈夫・安心だとするのかも違う。例えば「もう会社に行きたくない」と言う人。「近所のスーパーなら(感染者が出ていないから)大丈夫」と言う人。歩いて1分の英語塾にも、我が子を通わせられなくなった親。いま振り返ると、緊急事態宣言のさなかに学校や塾を休んだのと、現在の状況でそれらに通っているのとでは、何が違うのだろうと思う。「安心感」?

・4月上旬、帰省の予定がなくなり…というか自粛したので、少しでも華やかな気持ちになってほしいと思い、会えなくなった母に花を送ることにした。花屋さんは「ありがたいことに、こんなときだからこそと花を買い求めてくれる人が増えているの。でも私が店を開けている限り、人は外出してしまうから」と休業を予定していることを教えてくれた。5月上旬に他の花屋さんを訪れた際にも、同様の話(ステイホームだからこそ花を飾りたい人の急増)を聞いた。

・ミシンを買いに家電店に行くも「入荷は1カ月以上先」と言われたので、展示品で良いので売ってくれと頼んで衝動買い。

・4月上旬?金沢市内で市中感染の疑いがあったことから、無自覚のうちに自分自身が感染者になっている可能性も否めないと思い、毎日マスクの着用を始める。夫の両親の家を訪ねるときにも、マスクを欠かさないようにする。

・ドラッグストアで、店員さんに「次のマスクの入荷はいつになるか」と聞いているスーツ姿の男性を見かけて「自分で作れば良いのに」って思った。

・大好きな会社の先輩が我が家に遊びに来てくれた日、幸い天気は晴れていたので、家じゅうの窓を開けて換気した状態を保つ。

 

 

 

 

ほか。また思い出したら追記しよ。