2012年、私が大学4年生だった頃、東京の『日本科学未来館』で開催された企画展「世界の終わりのものがたり~もはや逃れられない73の問い」に行ってきた。当時の日記を読み返したら「学校まにあわず」から書き始めていたので、たぶんサボったんだろうな。時が経っても、このときに知ったことや投げかけられた「問い」をふと思い出す。
あるコーナーでは「動物園で飼育されているゾウの寿命は17年弱、それに対して野生のゾウは平均56年生きる」ということを初めて知り、ひどく衝撃を受けた(数字は思い出せなかったのでロイターの記事から引用/動物園のゾウは野生よりも短命=英研究 - ロイター)。会場内は「予期せぬ終わり」、「わたしの終わり」、「文化の終わり」、「ものがたりの終わり」の4つのセクションに分けられていて、それぞれのセクションで来場者に様々な疑問を問いかける。そのどれもが自分のこれまでやこれからの生き方を嫌でも意識させると同時に深く考えさせるもので、8年後となった今、改めて振り返りたくなった。
記録魔だった当時の私、親切なことに(?)印象に残った「問い」を日記に書き残していたので、ついでに記しておこうと思う。
・あなたの身をおびやかす危機を予測できるとしたら、知りたいですか
・今の生活で変えたくないものは何ですか
・どこまで私なのでしょう
・10年後の私は何をしているのか
・あなたが死んでもなお残るものはなんでしょう
・50年前の生活に戻ることはできますか
・人は百年以上先の未来について本気で考えているのでしょうか
・あなたではない誰かの未来を本気で考えることはありますか
・百年後の人が望んでいるものはなんでしょうか
・「持続可能」とは「今」を持続することでしょうか
・変化と多様にみちた世界の中であなたが残したいものはなんですか
・ムダのある世界とムダのない世界どちらがよいのでしょうか
・あなたの幸せとみんなの幸せは同じでしょうか
・なぜみんな一人ひとりちがうのでしょう
・あなたに本当に必要なことはなんでしょう
本企画展開催の丸1年前に発生した東日本大震災と、福島第一原子力発電所の事故。
多かれ少なかれ、私を含む「わたしたち」は、これまで「当たり前」と思っていた暮らしや、科学技術に支えられた生活、経済活動を根本から見直した…はずだったのだけど、たったの9年前のことなのに、なぜだかその時の反省が全く生かされていないように感じられる。
2020年の今、再び「世界の終わりのものがたり」展を観ることができたらと思った。
企画概要引用
すべてのものごとには「終わり」があります。人の一生も、自然も、文明も、そしてこの宇宙でさえも。にもかかわらず、私たちは忙しい毎日の中で、あまり「終わり」を意識せずに過ごしてきました。
2011年3月に発生した東日本大震災は、平和で穏やかな生活が一変する可能性があることを私たちに思い知らせました。科学技術に支えられた私たちの生活が、こんなにも危うく、脆いということも突きつけました。
震災から一年を経た今春、「終わり」という必然を踏まえた上で、何を大切に生きていくべきか、科学技術とどうつきあっていくかといった問題をあらためて考え、一人ひとりが自分なりの答えを持つべきではないでしょうか。本展は、これらの本質的な問題に正面から向き合う機会となる展覧会です。
会場に入ると、「終わり」をさまざまな観点から捉えた「問い」が次々にあらわれます。回答へのヒントとなる科学トピックを見ながら、問いについて自己対話をしたり、友人や家族と語り合ったり、他の人の回答をのぞきこんだり。そうして73の「問い」に答え終えたとき、自分にとって大切なことが、くっきりと立ちあらわれることでしょう。
「終わり」を知ったうえで、それでも続いていく"生"への希望を見出していく。この展覧会で、「終わり」から始まる新たな希望のものがたりが生まれることを願っています。