六十日目(か、六十一日目)

わたしが出産してまもない頃、実家の母がわたしの幼少時代が懐かしくなったのか古いアルバムを押入れから引っ張り出して写真を見返したみたいで、いくつか写真(の写真)をラインで送ってくれた。生まれたばかりの目も開いていないわたしの写真は、ほとんどがピンボケしていたり、解像度が低かったりしていてぼんやりしていた。当時はデジカメなんてなかった時代で(わたしが中学生に上がった頃に、周りでデジカメを使う人がちらほら増え始めた気がする)、昔の写真といえばイコール荒っぽい写真のイメージ。けれど、当たり前だけど当時の母や父が見ていたのは、焦点が合わないわけでもぼやっとしている訳でもない、くっきり、はっきりとした赤ちゃんのわたしだったんだよね。モノクロ写真時代の人たちがモノクロの世界に暮らしていた訳ではもちろんないし、絵でしか再現できない時代の人たちが絵で描いた世界を生きていた訳でもない。どうしてか、ザ・アナログな写真を見ると自分がその世界観に生きていたように錯覚してしまうのだけど、母や父にとっての鮮やかな記憶、思い出のなかの家族はどんなものだったんだろうとふと想像してしまった。うーん、上手く言葉にできないな。娘が生まれてから、いわゆる親心、いや親心と呼べないかもしれないけれど、親の立場から子の面倒を見ているとこれまで抱いたことのない感情が次々と溢れてくる。あのとき母は(または父は)どんな気持ちでわたしと接してくれたんだろうと考えるだけで、胸がきゅーっとなって苦しくなる。

赤ちゃんが寝てる合間は、イコール自由時間じゃない

赤ちゃんが寝てる合間を狙って何かしようとしないこと。いつ寝るか分からないし、寝かしつけるためにどれだけの労力を払いその結果どれだけ自分が疲れているかも分からないし、寝たとしてもどれだけ寝続けるかは神のみぞ知る………30分で起きることもあれば2時間眠り続けることもあるけれど、こちら(親)としては「いつ起きるかわからない」緊張感がずっとある。途中でぐずったらまたあやしてあげなきゃいけないし。深い眠りに入ったことを確認したら、仕事に取り掛かる前にやらなきゃいけないことがたくさんある。溜まった哺乳瓶を洗って乾いた洗濯物を取り込んで加湿器の水を補充してオムツのストックを補充して………残りの時間で頭使う仕事なんかできるかよ。ということで、在宅で育児しながらの原稿書きは不可能だと悟った今日。まず集中できないもん、無理すぎる。一方で、原稿を書くために外に出かけたところで、毎回エンジンがかかるまでに最低2時間はかかるのが私だ……………夫に子守りを頼んでスタバへ行き3時間滞在したとしても、そのうち実際に原稿を書いているのは1時間あるかないかだと思う。原稿書きって思いを巡らせるのにどうしても時間がかかる。どうして大変な思いまでして仕事をしようとしているんだろう。単純に、自由に使えるお金が欲しい。育児で疲れた自分を慰め元気づける消費活動がしたい。しかしそんなことよりも、仕事を通じて社会とつながっていたい気持ちが大きいんだと思う。育児だけがわたしの価値にはなりたくない。育児以外にも役割が欲しい。育児はかけがえのない経験だけど、外に出て家族以外の人と関わることも自分には欠かせない要素だ。それから、子育てしながらも仕事を続けられるという自信が欲しい。すぐには無理でも、試行錯誤しながら、実現できるといいなあ。

最近のこと

今日もブログを書こうとして、結局育児に追われて書けず、書きたいことは忘れてゆき、フラストレーションだけが溜まっていく。

 

昨日かな、夫が「子が生まれる前の方が良いということではないけど、あの時はあの時で楽しかったよね」と言っていた。わたしも最近同じようなことを考えていたところで、これまでの夫婦プラス犬一匹の無責任で自由な生活、思いつきで飲みに出かけたり県内外、国外へも行こうと思えば実現しちゃう感じ、夏の夜に自転車で銭湯に行き、食堂に寄って冷やし中華を食べて帰ってくる感じ、スキーとスノボのために有給とって3泊4日しちゃう感じ、いま振り返ると「大人の青春」みたいで楽しかったなあと思う。一方で、子どもは早ければ高校卒業と同時に親元を離れる。たったの18年間だ、子育てが終わったときにはやはり今と同様に、過去を振り返ってあの頃はあの頃で楽しかったよね、と笑い合えるんじゃないかなと思った。何歳になっても、過ぎ去った日々は青春時代のように懐かしめるのかもしれない。

 

妊娠中と出産後の漠然としたつらさ。何でかなと考えていたら、原因のうちの一つは、自分の身体を自分でコントロールできなくなることにあるんじゃないかと思った。つわりもそうだし、出産後は胸が張ったり生理が再開したりしなかったり・・・。特に出産まで(妊娠中)は薬による対処療法もできないから、ただ耐え凌ぐしかない。自分の身体に振り回される感じが何ともつらいのだ。

 

三月一日は出産後初めての仕事をした。片道一時間、高速道路を運転して取材先へ。運転は良い。好きな音楽を聴くのは楽しいし、変わりゆく景色を見ながら考え事をするのも楽しい。人に会って話を聞くのはもちろん楽しくて、だから私は意地になってこの仕事を続けているのだけど、この日話を伺った方がきのう話を伺ったひとが「人に会うのが楽しくて宿をやってる」と語っていたのが印象的だった。生計を立てるのももちろんだけど、私たち、お金を稼ぐためだけに仕事をしているわけじゃないのだ。生活を維持するための仕事だけど、それはお金を得るためだけじゃなくて、生きていることを実感するためでもある。育児は楽しいし娘が好きだ。でも、仕事も同じくらい楽しい。もっといろんな人に会いたいしいろんな景色を見たい。もっともっと色んな景色が見たい。

 

やっぱりnoteが書けない。フリーライター・編集者の私、というのを意識したとたんに、自分が他人からどう見られたいかが分からなくて、どんな自分として文章を書けばいいのか分からずに迷子になる。

 

取り止めがなくなってきたけど、育児生活が始まってから袋麺やレトルト食品、スーパーの惣菜に頼るようになった。これまでカップ麺もほとんど食べなければレトルト食品を毛嫌いし、スーパーの惣菜なんてほとんど買ったことがなかった。好き嫌いの問題ではなく、ただ単に、これまでは時間があったんだなあ。

 

三月三日、生後59日の今日は娘の初節句。「初節句」という言葉は聞いたことがあったけれど具体的に何をしたら良いのか?雛人形って何のためにあるの?って感じだったので、とりあえずスーパーの雛祭りコーナーでちらし寿司を買い、ケーキ屋さんで食べたいケーキを買って娘と格闘しながら美味しくいただきました。おわり。

よく寝る五十三日目。

午前中は前職の直属の上司が遊びにきてくれました。「なながお母さんだなんて」と、私の父と同じように、感慨深そうに娘を見つめていた元上司。振り返れば前の会社に転職したのは25歳のとき。結婚して一年たったばかりの頃だった。丸4年間、家族よりも誰よりも長い時間を過ごしたと思う。4年間でたぶん私も変わった。その変化を近くで見てくれていた元上司に、子どもを持ったことを喜んでもらえて嬉しい。

今日が五十二日目

生後カウントずれまくり。

 

近所のドラッグストアに行ったら、子どもの可愛らしい笑い声が聞こえてきて、見たらお母さんと2、3歳くらいの子が楽しそうにじゃれあいながら買い物してた。娘を産むまで、子どもの存在が苦手で、声を聞いて可愛いと思ったこともなくて、遊び方もあやし方も分からなくて、そもそも興味がなかった。いま振り返ると子連れの人に親切にできるシーンっていろいろあったんじゃないのかな、とか、子どもが近づいてきたときにもっと優しく接してあげられたんじゃないのかな、とか。子どもを育ててる人が偉いとか、一生のうちに一度は出産や育児を経験すべきとは思わないけど、子どもや子育て世帯を社会全体で大切にする世の中だといいなあ。

五十日目

生後五十日目!娘、よく生きた。

 

今日は一気に150mlのミルクを飲み干した記念日。最近細切れ授乳が多く一度に少量しか飲まない=授乳回数が増える(=その分手が掛かる)ので、夫も私も少々疲れ気味だった。一度にたくさん飲めるようになるといいのだけど。育児をしていると、どうしてもこちらの都合で褒めてしまうことがある。一度にミルクをたくさん飲んでくれると、嬉しくてどうしても「偉いねえ」とか「すごいねえ」とか言ってしまう。でも、一人ひとり胃の大きさは違うし満腹になるタイミングも異なるので、たくさん飲めるのが偉いってわけでも、一度に少量しか飲めないから悪いってわけでもない。以前夫とそういう話をして、じゃあなんて声掛けをしたんだろうって考えたときに「よかったね」だったらいいんじゃないかということになった。いっぱい飲めてよかったね。少なくても良かったね。子がそのときに満足そうにしていれば、それで良いのかなと思う。

 

先日、夫と娘と三人で出かけたときに、夫に赤子を任せてわたしは買い出しに行った。夫に「できればオムツを替えておいて」と伝えて別れたのだけど、オムツ替え台があるのは女性用トイレだけで、男性用トイレにはなかったのでできなかった。オムツ替え台、男女共用トイレとか、多目的トイレに設置してくれればそれで良いんだけどなあ。子どもをトイレ内で座らせておく台とか、オムツ替え台とか、多くの商業施設で女性用トイレにしか備えられていないことが多くて。夫婦で出かけていればまだどうにかなるけど、男性がひとり子連れで出かけたときとか、男性同士のカップルとか、大変なのは想像に難くない。

 

一日のうち、強制的に育児から離れられる時間があるのが有難い。わたしは毎日家事・育児で疲労困憊だけど、夫だって仕事に育児で疲れている。そんななかでも家に滞在している時間は育児を拒まず、私が一人になる時間を作ってくれる夫にいつも感謝している。育児は大変だけど、子を持つ全ての親が同じように苦労している(はず)なかで、それでもちょっと踏ん張って仕事をしてみたり、趣味の時間を確保してみたり、そういうことができれば自分の自信につながるのかなと漠然と思う。来週は出産後、初めての仕事。ぼちぼち頑張りたい。

四十八日目

春のような陽気で、いまが二月ということを忘れそうになる。久しぶりにピアノが弾きたくなって大卒で入社した会社の初任給で買った電子ピアノを引っ張り出したけど、さすがに頭の中から色んな楽譜が抜け落ちていた。

 

来月の長距離移動に向けて、子を連れて総湯へ。駐車場まで歩いている途中、子を抱きかかえた夫が「100年分の人生を抱えている気分」と言っていた。いい表現だと思う。