本と記録

私の場合、ひとたび本を読み始めると、それが自分と相性が良かったときに限るけれど、ストーリーを楽しむというよりも「読み終える」ことが目的になってしまう。

読み終えるために読む。可能な限り、早く読む。その本を面白いと思えば面白いと思うほど、私は生き急ぐ人のように物語に没頭し、ページをめくる。

私にとって「読み終える」ことの次の目的は「多く読むこと」である。だから、よっぽどのことがない限り、一度読み終えた本を読み返すことはない(ここで書いている「本」とは大体が小説のことです)。

 

つい先日、夫が久しぶりに『サラバ』(西加奈子)を読みたいと言い、押入れの奥の段ボール箱の中に眠っていた本を引っ張り出した。このあいだ私が買ってきた『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(ブレイディみかこ)を読んで、あまりの口(文体)の悪さにショックを受け、「正統な小説、良い文章が読みたい」と思ったのだという。

※私たち夫婦はブレイディみかこの本を読むのは初めてで、この本を知ったのは新聞書評がきっかけだった。たしかにその書評はよく書けていて・・・というか、短い文章ながら、書評自体が作品のように面白かった。評する対象を超えていた。

 

夫は過去に読んだ本をよく読み返す。中古ではなく新品を書い、一度読んだら二度と読まない私と比べて、エコで良いなと思う。

そんな夫が「こことか、いま読むと面白いよ」と教えてくれたのが、無痛分娩で生まれた弟・歩に対して自然分娩で生まれた姉・貴子が話すシーンだった。

 

「母親って、お腹を痛めて産んだ子を愛するって言うけど、私はそうじゃないと思うわ。お腹を痛めれば痛めるほど、苦しめば苦しむほど、その痛みや苦しみを、子供で取り返そうとすんのよ。分かる?あんたはいいわよ、麻酔してなーんにも分からない間に、するっと生まれてきたんだから、何も取り戻す必要ないの。ほらあんたって、全然期待されてないじゃない?でも私は、覚えてないから迷惑な話だけど、だいぶあの人を苦しめたわけでしょ、だからあの人は、私から何か取り戻したいのよ。あんなに苦しんだんだから、せめて可愛い子であってほしい、とか、優秀であってほしい、とか。ご希望に添えなくて、申し訳ないけどね。」

 

たしかに、妊娠する前は読み飛ばしていたようなシーンだけど、今読むとやけに面白い。

 

『サラバ』と同じ段ボール箱に、『ツリーハウス』(角田光代)が入っていた。

大学生の頃に読み、内容は覚えていないけれど、とにかく壮大なものを読んでしまった、という感想だけが記憶に残っている。当時の自分が何に感動したのか思い出したくなって再び読み始めたら、4分の1くらい読み進めたところに、金色のラメペンで「思い出すのはつらいけど、父は父で、私は私で、母は母で、妹は妹で、幸せになれたらと思う」と落書きがしてあった。

本が出版されたのは2010年で、私は当時、大学3年生だった。両親が離婚したのは高校3年生になる前の春だったけど、この本を読んでいた当時も引きずっていたんだなあ、なんて懐かしくなった。時が経つと懐かしめることもある。

四人で幸せになることはできなくても、四人それぞれが幸せになることはできる。

 

 

今日は妊娠6カ月の定期検診で、前回と同じく塩分の摂りすぎを厳しく注意された。それはそれで落ち込んだけど、お腹のなかの赤ちゃんが元気で生まれてくるため。ずっと気になっていた性別が判ってよかった。