お〜いお茶

ふとしたことがきっかけで、何かを鮮明に思い出すときがある。寒くなってくると思い出すのは、高校生の頃、学校まで父が車で迎えに来てくれたときに、寄り道したコンビニで買ってもらった、ホットの「お〜いお茶」のことだ。貧乏性で、ペットボトル飲料をほとんど買わなかった私。血行がよくて冷えとは無関係、ホットのお茶なんて買ったこともなかった。どうして記憶に残っているかというと、初めて飲んだそれが、ものすごく美味しかった(ように感じられた)のだ。「お〜いお茶」って、ペットボトルに詰めて温めるとこんなに味が変わるのか・・・当時高校生だった私の、純粋な感動だった。その頃、私と父は一緒に暮らしていなかった。たまにしか会わなかったから、ホットの「お〜いお茶」の温かさは、なんだか父の存在のようにしみじみと感じられた。

 

 

ところで、アメリカ大統領選でジョー・バイデン氏の勝利が決定した(現職大統領はゴネているけど、世界各国のトップが祝辞を送っている様子をみると確実だよね)。アメリカかぶれの私と夫は朝からアメリカ国家を爆音で流し、抱き合って彼の当選を喜び、ジョーとカマラのスピーチを涙を流しながら聴いた。そういえば、私はなんでアメリカが好きなんだったっけ。思い出したのは、生まれて初めて異国のカルチャーショックを受けたときのこと。中学2年から3年生に上がる前の春休み、私は2週間のショートプログラムに参加し、米国・ロサンゼルスにホームステイした。ある日、家族で99セントショップ(日本の100円ショップのようなもの)へ買い物に出かけたときのこと。カートを引きながら店内を歩いていたホストマザーが突然、「足が疲れた」といって靴を脱ぎ、そして買い物カゴの中にそれを投げ入れ、裸足になった。周りの目を気にせず(そもそもアメリカに「周りの目」なんてあるのか?)、裸足で買い物を続けるホストマザー。私はあまりの驚きに、同じ家庭にステイしていた日本人の女の子と爆笑した。なぜだか笑いが止まらなかった。一気に肩の力が抜けて、自分の視界が広がったような気がした。足が疲れたら、靴を脱げばいいのだ。まずは自分がどうしたいかが大切で、周りの目なんて、気にしなくっていいのだ。極めてささやかな一つのエピソードではあるけれど、私はそれ以来、アメリカの「自由」さにすっかり魅了されてしまった。そもそも、他人が誰かのスタイルに口を出す権利がどこにあるのか?そんな純粋なことに気付けた良い経験だった。