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20年前の9月11日夜、寝室で眠っていたらお父さんが仕事から帰ってきて「大変なことが起きた」と言って慌てた様子でテレビをつけた。その騒がしい様子に私は目を覚まして、お父さんとテレビの前に並んでニュースを見たことだけ鮮明に覚えている。当時私は小学4年生で、子供ながらに大変なことが起きているということは理解できた。調べてみたら午後9時46分のことだった。お父さんは「ニューヨークでお世話になった人にまだ連絡が取れない」と言っていた。

 

世界中の報道機関が集まるニューヨークでは、瞬く間に世界中にニュース速報が流され、ヨーロッパやその他の国々でも緊急報道特番が放送されました。この時、日本は午後9時46分。NHKでは「ニュース10」の放送直前にテロの速報が外電され、急遽、放送内容を切り替え、ニューヨークからの映像を放送しました。この時は、事件か事故かの確認中でしたが、そのわずか3分後、2機目となるユナイテッド航空175便が世界貿易センター南棟に激突しました。この激突で日本でも初めて「テロの可能性」という情報が入りました。この映像は全世界にリアルタイムで中継されたため、多くの人が衝撃を受けました。

https://www.homemate-research-tv-station.com/useful/12387_facil_090/

 

人生初の海外旅行はアメリカだった。中学2年生から3年生に進級する前の春休み、外部のプログラムで短期ホームステイプログラムに参加した。ロサンゼルス郊外のホストファミリーの家に滞在した。ホストマザーは白人、ホストファザーは中東系のようだった。初めての外国がアメリカだったことがきっかけで、私はその後、何度もアメリカを訪れることになる。

 

高校生の頃、ギスギスした雰囲気の家に帰るのがいやで学校帰りに図書館へ通っていたことがあった。ある日、自習用の大きなテーブルで英語の勉強をしていたら隣に座っていた外国人の女の子が紙で「英語に興味があるの?」と英語で書いたメモを渡してきて(図書館内は私語厳禁なので)、その後フリースペースで何度かおしゃべりをして親しくなった。彼女はアメリカ出身で、インターネットで出会った日本人男性と結婚するために来日したと言っていた。別の日、約束をして街中のスターバックスで待ち合わせをした。彼女は「初めて日本で知り合った友達だ」と言って簡単な花束と手作りの焼き菓子をプレゼントしてくれた。フラペチーノを味わいながら雑談を楽しんでいたときに、私が「9.11に興味がある」と話を切り出したら、彼女が突然泣き出してしまった。遠い親戚を9.11で亡くしたのだと教えてくれた。

 

大学3年生になり、そろそろワールドトレードセンター跡地を訪れてみたいと思ってニューヨーク行きの航空券を予約した。旅は2011年の4月に予定していた。出発の1ヶ月前、東日本大地震が発生した。金融市場が荒れ円高が進み、一時、1ドル=76円まで円の価値が上がった。このまま円高が続けばラッキーだな、くらいに考えていた。旅行の予定は変更せず、私は寒さが残るニューヨークに一人行き、念願のメモリアルミュージアムも訪れた。だけどその時の記憶は何でかほとんど残っていなくて、代わりに街なかのショップで見かけた「Pray for Japan」という張り紙と、「あなた日本人?家族は大丈夫だった?」と話しかけられたことだけ記憶に残っている。

 

9.11。本も読んだし映画もたくさん観たけど、向き合い方というか、いまだに自分の心の整理がついていない。直接的な被害を受けたわけでも親しい人を失ったわけでもないのだけど、言葉にするには思いを巡らせなくてはならないことが多すぎるような気がする。思い出したことと言葉にできないこと、雑記。