ライオンがサラダなんか食うはずねえじゃん

コロナ禍が始まってからというもの絶賛断捨離中で、二、三ヶ月前に大量の雑誌・書籍を手放したばかりなのだが、まだ部屋の容量を減らせる(減らしたい)と思い、改めて事業仕分けばりに厳しい目をもって押し入れに積み重ねられた本と対峙している。そこで見つけた村上春樹のエッセイ集。大学生の頃に買ったものだが手放す前にもう一回くらい読んでみるかと思って開いたら、まあ酷かった。私は本を読みながら気に入ったフレーズや心に刺さった文章のあるページに折り目をつける癖があるのだけど、当時は金色のラメペンで星(☆)マークをつけていた。かわいい大学生だった。10年前の私が気に入った箇所を引用してみよう。「ブルテリアしか見たことない」というエッセイにあった一文。

 

“僕もまだ一人の女性としか結婚したことがなく、「ブルテリアしか見たことがない」無知蒙昧な一人ではあるけれど、それでも厚かましく僕なりに、女性全般について長年抱いている説がひとつあります。それは「女性は怒りたいことがあるから怒るのではなく、怒りたいときがあるから怒るのだ」ということだ。”

 

とまあこんな調子のことが偉そうに書いてあったのだけど、自分の怒りを上手く言語化できず、またそれを男性に理解してもらえないまま村上春樹にいいように言語化された(つもりになった)私は、まんまと「村上様のおっしゃる通り!」と思ってしまったのだ。「そう、怒りたいから怒ってるだけであなたは悪くないのよ!」なワケがねえよ。大学を卒業し社会に揉まれ、フェミニズムと出会い、理解のある夫と結婚した今なら分かる。男(と一般化してしまうと、同じように「女性は」と書く村上春樹を責められないような気もするが)はそもそも、女性の怒りの原因を自分に見出そうとしないのだ。この文章はこう続いていた。

 

“結婚した当初は何が怒っているのかさっぱり理解できなかったのだが、回数を重ねるうちに「そうか、そういうことなのか」とおおよその仕組みがわかってきた。相手が怒っているときは防御を固め、おとなしくサンドバッグ状態になるしかない。自然災害に正面から立ち向かってもまず勝ち目はないからだ。賢明な水夫のようにただ首をすくめ、何か違うことを考えながら、無法な台風が過ぎ去るのを待つ。”

 

「水夫」という表現がまた癇に障るのだけどそんなことはどうだっていい。男性のこのような態度にだいたいの女性は呆れて何も言わなくなる。それを「無法な台風」と表現されてしまっては言葉も出ない。いま読めばツッコミどころ満載なのだけど、これを有り難がって読んでいた時期が私にもあり、おそらく同じようにこのエッセイを楽しむ女性がそれなりの数いたんだろうと思う。だって、このエッセイが掲載されていたのは、「anan(アンアン)」なんだもん。これほど書き手である「男」が女心を読み違えて、さらに見下しているのに、編集者もノーと言わずに掲載されるということは、おそらくこういう文章が重宝されていた時代があったのだろうな。本当に時の流れというのは面白い。

 

ワクチン接種後の副反応を言い訳に仕事をサボりまくっていた結果、激ヤバな状況に置かれているにも関わらず、それでもブログに書いておかないと気が済まないほどに色々と考えるきっかけをくれた『サラダ好きのライオン』。もうしばらく手元に置いておいて、またブログのネタにでもしようかと思う。ブログタイトルは同じくこの本を読んで呆れ返った夫が発した言葉です。