#fuckingfreethefuckingnipple

乳首問題。問題?問題はどこにあるのだろうか。なぜ問題になっているのだろうか。胸元がゆったりしている服を着れば「他の男に見られるのが嫌だから隠して」、乳首の輪郭が分かるようなブラ+Tシャツを着ていれば「ノーブラに見えるから着替えたほうがいい」。これは過去に男性から私が実際に言われたことがある言葉で、そういったことを言われるたびに勝手に私の胸や乳首を性的に見ないでほしいと思い続けてきた。だいたい、「ジーンズの女はやれる」とか「ノーパンの女は誘っている」とか、アンダーヘアを脱毛しているのはそういう性癖だとか。なんでも性的な文脈で回収させることに心底辟易している。私は数年前からノンワイヤーブラしかつけていない。理由は楽だからで、それ以上でもそれ以下でもない。だけど育児のために一日中部屋着でいる(ブラを付けない)日々を経験して、もはやブラジャーなんて要らないのではと思い始めた。加齢と共に胸が重力に負けて垂れるのは防ぎたいとかとかお椀型をキープしたいという人もいるだろう、でも私は、胸の形なんて、乳首が見えることなんてどうでも良いのだ。お願いだからノーブラタンクトップで外を歩かせて。そして私の乳首を誰も性的に消費しないで。女性の乳首は男性を刺激してしまうのだろうか。刺激する側が悪いのだろうか。そもそもなんで女性の乳首に性的に興奮してしまうのか。最近読んでいる『ありがとうもごめんなさいもいらない 森の民と暮らして人類学者が考えたこと』のなかで印象に残っている章がある。「ふたつの勃起考」。以下引用する。

経済人類学者・栗本慎一郎はかつて、文化人類学の「儀礼論」と、フランスの哲学者ジョルジュ・バタイユの「蕩尽論」をミックスさせて、動物の中でヒトだけがなぜ「パンツ」をはくのかという問いに挑んだ。栗本の結論は、ヒトという動物は「脱ぐために、パンツをはいている」というものだった。パンツとは、脱ぐことによって得られる快楽を極限にまで高めるための道具であり、措置なのである。栗本の「パンツ理論」を援用すれば、早い時期から、女の子の裸体を衣服で覆うことは、男たちの欲望の視線から女を守るためという単純なことではない。そうではなくて、それは、男たちが、日常では衣服の下に隠された女の裸体を妄想するだけで、欲望をひたすら内側にためこみ、非日常で一気に蕩尽するために、おとなたちによって仕組まれたたくらみなのだと言えなくもない。

 

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