日記

大学生の頃アメリカ経済ゼミに所属していたんだけど、どんな研究だったか日本の空港のあり方について論文を書いた先輩がいて、内容も忘れちゃったけど、先生(教授)が「利用率も少ない地方の空港を維持するために一体どれだけの税金が使われているか。アメリカ国内を移動するのに飛行機が便利っていうならわかるけど日本なんてそもそも国土が狭いのだし新幹線を乗り継げばだいたいの都市にはアクセスできるんだから主要空港以外は廃止してしまえばいい」みたいなこと言ってたのをふと思い出した。経済学ってそういう学問だったよなあと。ある経済学者の「高齢者は集団自決」発言には全く共感しないけど、費用対効果とか経済的観点から考えるとそうなるのであろう。ツイッター歴かれこれ10年以上になるのだけど20代の頃、それこそ経済を一所懸命勉強していた学生時代に見かけてハッとしたツイートのスクリーンショットが今でも残っていて、「経済をやる人は抽象的な理論に強いけれど、その理論を構成しているのは人間で、人間がどう動くかということへの理解が少ないような気がしますね。人文系の教養がこういう事への理解には役立つのですが」っていう誰かの2012年5月16日のつぶやきをたまに思い出しては見返している。私たちは人間。

 

NHKばっかり観てるっていうか中学生の頃からNHKしか観ないんだけどこのあいだEテレで漁師でTikTokerの男の子とろう者でYouTuberの女の子が初対面で一泊二日の二人旅をするって番組があって、初めましての初日、女の子とコミュニケーションを取るために男の子はスマートフォンを駆使していっしょうけんめい会話をしようとして、で、一日目の振り返りのときに「相手がろう者の割にはがんばって会話もできたと思います」って誇らしげにしていたのだけど、女の子は「何も思わなかったです。目を合わせることがほとんどなかった」って感想を述べていて、たしかになあって思った。で、その女の子の率直な感想を聞いて男の子はハッとして、翌日は前日の夜のうちに覚えた手話を使ってみたり、とにかく言葉(文字)によらないコミュニケーションを心がけていて、そっちの方が二人のあいだに笑顔があったり盛り上がったり楽しそうにしていて、二日間の旅を終えて、二人のうちどちらかが「喋らなくてもコミュニケーションができた」って話していたのが印象的だった。自分とか特に言葉偏重になりがちなんだけど言葉による会話ってコミュニケーションの数ある方法のうちの一つでしかなくて、黙っていることもコミュニケーションだし例えば簡単な贈り物をするのもコミュニケーションだし一緒に歩くのだってコミュニケーションで、そういうことも大切にしたい。何かあったときに「何か言わなきゃ」とか「言葉で伝えなきゃ」とか思いがちなんだけどできることってそれだけじゃないよねっていう。

 

そんなことを考えていました最近。