日記

誰かが書いた文章を読みながらその人らしさを感じること、文章に限らず例えば手書き文字とか、仕事ぶりとかからも伝わってくることがあるけれど、そういうのに触れたとき、はたして誰かから見える私らしさとは何なのだろうと考える。大学生の頃にいちど「人のセックスを笑うな」を読んだことがある気がするけどそれ以外の本はほとんど触れたことがなかった山崎ナオコーラの、妊娠をきっかけに手にした「母ではなくて親になる」がとてもよくて(作家相手にこんなことを言うのもなんだけど、この本はわたしが書いたのかと思うほどわたしの気持ちを言い表していた)、その後、著書やメディアで取り上げられた記事などを追っていた時期がある。山崎ナオコーラがモットーとしている「誰にでもわかる言葉で、誰にも書けない文章を書きたい」という言葉にもめちゃくちゃ共感していて、わたしは奇をてらったことはできないし一般常識とかあまり勉強してこなかったし、なにより自分がカッコつけた文章やテクニックで唸らせるようなことができないし好きでもないので、誠心誠意、まじ精神論って感じだけど本当に誠心誠意、誰にでもわかる言葉で書くことしかできない。そもそも大した語彙力がないのだから大前提として誰にでもわかる言葉で書くことしかできないのだけど、伝わる言葉で書くことはだいじだと、かねがね思っている。で、じゃあ、山崎ナオコーラのように「誰にも書けない文章」を書けるのかというとその自信はまるでなく、人生経験も特別ではないしずば抜けた文学的センスもないし破天荒なこともしないし日々の暮らしも考え方もふつうというか一般的で、私は何を大切にできるんだろう強みにできるんだろうと考えてみたら、むずかしいけどありふれた日常に向き合い、正しく言葉にすることなんじゃないかなって思った。わたしはその日に感じたこととか思ったこととか気になることとか感動したこととか心の揺れ動きを言葉にしたくなる。それは、自信を持って言い切れないけれど目の前にいるひととか事象とかなにより自分の心を大切にすることに繋がっている気がしなくもない。わかんない。もしかしたら言葉がめちゃくちゃ好きだから何かを書くために日常を観察しているのかも知れないや。ああなにが言いたいのかよくわからなくなりました。こういうときは一度保留にするのが一番なのに書き始めたらとりあえず完成させたくなってしまう。尊敬する人が「テーマを決めて書いてみたら」と言ってくれたのは数年前なのに一生テーマなんて決まらない気がするし、古本屋で買った益田ミリの4コマ漫画に影響されまくっていて、このままじゃいけない気がするし何かを頑張りたいけど何をしていいのか分からない。とりあえず寝る。