生後99日目

赤子は最近スイマーバを気に入っていて、使い始めてしばらくはスイマーバで遊んでから頭と身体を洗っていたのだけど、それだとまだ遊んでいたくて(?)泣くので、昨晩は順番を逆にしてみたら上手くいった。今日は妊娠中ぶりに、アカチャンホンポに行った。赤子を連れて行くのははじめてだ。私たち夫婦は生まれる前に「あかちゃん用おもちゃ」の類を用意していなかった。有り難いことに出産祝いで布製の絵本やラトル、ぬいぐるみなどをいただいたので急いで揃える必要もなかったのだけど、最近の娘の成長はめざましく、そろそろ月齢に合った手で掴んだり口に入れたり、目で追いかけたりできるおもちゃを探そうと思った。久しぶりの夫とのアカチャンホンポは楽しかった。日頃のお世話のことではどうしても私の方が赤子と接する時間が長く、夫にああした方が良いこうした方が良いと口出ししてしまう。でも豊富に揃ったおもちゃを目の前に、どれだと赤子が喜んでくれそうか、楽しんで遊ばそうかと選ぶのは私たちが同じ目線に立っての作業で、赤ちゃんが遊ぶ姿を想像しながらの買い物は楽しかった。洋服もまた然り。出産して育児が始まってから、これまで何度も夫と喧嘩(衝突)をしている。結婚してから、ここまで価値観が合う人は他にいないし、ここまで理解し合える相手は夫以外に一生見つからないと思っていた。それでも、である。よくこんなに衝突するタネがあるなと自分たちのことながら感心するくらい、毎日のように衝突がある。ふたりとも、それだけ育児に必死で、自分がしていることに誇りを持っていて、一方で不安も抱えながらなんとか頑張っているのだ。衝突は楽しくない。声を張り上げることもあれば傷つける事もあれば、傷つけられてなく泣くこともある。でも、この作業は「二人で」育児をする上で避けては通れないものだとも思う。しんどいけど、決してマイナスなことではない。そう思いながら、これからも二人で足並み揃えて頑張っていきたいと思う。

生後94日

夕方は子とダラダラひま散歩。出勤まもなく赤子ロスになった夫の職場にちょっと顔を出して、近くの公園に立ち寄り桜を眺めていたら、子連れのお母さんが「写真撮りましょうか?」って声をかけてくれた。「二人で写真撮ることあまりないでしょ」って。そのあと、子育て大変だよねとか、余力があったら二人目欲しいよねとか、雑談。その後、たらたら歩いて家に向かっていたら、赤ちゃんを連れた親子(母娘)が「赤ちゃんかわい〜!」って声をかけてくれた。話をすれば、お母さんと私は同郷だった。外に出たら同じくらいの子どもを連れた大人たちがそれぞれの時間を過ごしていて、ちょっとした時間の重なりを楽しんで、子は気づいたら眠っていた。世の中は思っていたより優しくて、嬉しくなった。

石碑

石碑って、すごくないですか。その土地に「刻まれる」感じがすごくある。長野の白馬から戸隠に向かう峠ルート、まさに昔から残る村というような風景が広がっていたのだけど、石碑がちょいちょいあるんだよね、「●代村長▲▲▲▲」とか、旧村名の碑とか。私の実家の近くには、100年前の水害で人が亡くなったことを伝える石碑が立っているし、先日訪れた戸隠には、「ここで馬から降りなさい」と告げる「下馬」の石碑や、そのほかにもたくさん石碑があった。ずっとずっと先の「後世に伝えたい」と考えたときに、確実に伝わる方法は、紙でもデータでもなく、石なのではないか。そんなことを考えていたら、これまで見つけた石碑の写真をとりあえず撮って、石碑コレクションでもすればよかったなあと思った。

備忘録

実家に帰省中。夫は早朝から一泊二日のスキー旅行に出かけて不在にしているのだけど、今日、育児まじ暇だな何でだろうって考えたら、そうだ家事がないんだった。洗濯は母、食事は祖母が作ってくれている。育児だけだと暇、というか超楽。でもそれと引き換えに、よくSNSで見かける世代間ギャップびっくり発言もたくさん繰り広げられている。哺乳瓶でミルクを飲ませる私に対して、祖母が放った「おっぱい足りないんか」。泣き止まない赤子をみながら祖母「抱き癖つけたな」etc。なんだこりゃ。家事をやらない楽さと、育児に口出されない気楽さ、天秤にかけたらどっちが勝つかな。そんなの、結果が目に見えている。それにしても家事がないというのは驚くほど楽。ありがとうございます。

七十二日目

子、はじめての予防接種。前日から緊張しちゃって(私が)夢にまでみた。子を予防接種に連れて行く夢だった(そのまんま)。私の緊張とは裏腹に子は診察の直前まで爆睡、先生を目の前に驚き一瞬ぶわっと泣いたものの、右腕、左腕、右足、最後に経口ワクチンとそれぞれ嫌がるんだけどすぐにけろっとして、診察後にはニコニコご機嫌の様子だった。たくましい。家に帰ったら、子よりも私の方が疲れていて、言葉通り無気力に。久しぶりに子に腕枕して昼寝をしたんだけど、子は温かくて、ふわふわしていて、気持ちよかった。

当事者と非当事者

よく戦後生まれの人のことを「戦争を知らない世代」と言うけれど、平成2年生まれの私でも(程度の差こそあれ)第一次、第二次世界大戦ベトナム戦争朝鮮戦争などは歴史の授業で学んだり本で読んだりして「知っている」。その時代を生きた人として、戦争を経験していないだけだ。2012年以降、毎年この時期は東日本大震災について見聞きする機会が多くなる。テレビを付ければどこかの局で震災特番やドラマを放送しているし、新聞には毎日のように震災関連の記事が載っている。ラジオで被災した人の声を聞くことも多い。東日本大震災の発災当時、私は小田急線沿いの小さな学生向けアパートで一人暮らしをしていた。私が住むエリアは震度4強くらいの揺れがあったと記憶している。幸い家の中のモノが倒れたり壊れたりすることはなかったけれど、すぐさま近隣のスーパーやコンビニに買い物客が殺到し、品不足となった。なんとか食糧を調達したくてコンビニを訪れたものの、あらゆる陳列棚が空っぽになり、蒟蒻(なんで?)とボールペンしか残っていなかったのには衝撃を受けた。小田急線はしばらく経堂〜新宿間しか運行せず、私は友人に会うこともできず、しばらく一人、余震の恐怖と戦っていた。発災から一ヶ月間くらい、都内の商業施設は自粛のため、どこも20時には閉店していたと思う。あの新宿が、夜8時にもなれば暗くなる。普段とは全く違う光景だった。東日本大震災の発生と、福島第一原子力発電所の事故。この頃、当事者と非当事者という言葉をよく聞いた。私は揺れを体験したものの、直接的な被害には遭っていない。世間ではいわゆる非当事者に属していた。自分より怖い思いをした人や今なお厳しい環境にいる人はたくさんいる。そう思うと、震災について言及したり悲しんだり、涙を流したりすることさえ不謹慎のように感じた。自分が非当事者であることが辛く、震災ボランティアに参加したい気持ちはあるものの、非当事者である自分が被災した地域に足を運び、被災した人と接することで傷つけてしまうんじゃないかとか、「何か少しでも助けになりたい」その思いすらおこがましいのではないかとか、そんなことを考えて行動することさえ憚られた。いち早くボランティアに参加した大学の同級生は同じ活動に参加していた人と仲良くなったようで「ボランティア、出会いがあるし本当に楽しいからおすすめ!」と意気揚々と私に勧めてきたことも、気後れする理由の一つだった。余計にボランティアというものが分からなくなってしまった。私にも、「役に立ちたい」という気持ち以外に、被災した地域を見てみたい気持ちもある。でもそんな気持ちでボランティアに参加しても良いのだろうか。私はなぜ被災地に関心があるんだろう。ただの野次馬根性じゃないのか。そんな思いが頭の中をぐるぐると巡った。当時は当事者・非当事者という言葉に加えて、想いを行動に移したり言葉にして発信したりする人が「偽善者」と呼ばれているのをSNSでよく見かけた。いま思えば人の善意(または偽善)なんてもの、一つの行動や発言を切り取って分かるものではないのに、善意から行動している人を「偽善者」と決めつける人の多さに、怖気付いてしまった。それから今日に至るまで、たとえ非当事者でないとしても、関心を持ち続けること、忘れないことで少しでも被災地の人たちに寄り添うことができるんじゃないかと考えてなんとかできることをしてきたつもりだったけど、どこまでいっても非当事者であることは私の心の中にわだかまりとして残った。2021年、世界的な新型コロナウイルスの感染拡大と自粛の日々。10年が経っていま思うことは、私は震災の被災者ではないけれど、当事者だったということだ。新型コロナウイルスに罹った人だけが「コロナ禍」の当事者じゃないように、東日本大震災も、その時代を生きていた人はみんな当事者そう言っても言い過ぎではないし、だからこそ、それぞれに当事者の意識を持ち続けることが大切なんじゃないかと思う。被災していなくても、つらいときはつらいと言っていいし、悲しいときは涙を流してもいいはずだ。毎年この時期は、震災を思い出して胸が苦しくなる。理由もなく涙が溢れることがある。テレビで震災を振り返る番組が流れてくると目が離せなくなる一方で、心がすごく疲弊する。そんな自分も間違っていない、悪くないのだと、「当事者」になれずに苦しんでいた過去の自分に伝えてあげたい。