十年前の佐渡は雨だった。友達に誘われるまま、佐渡行きを決めた。そこに行ってなにがあるのかは何も知らなかった。朝早くに家を出て、母から車でフェリー乗り場まで送ってもらった。外はまだ暗かったような気がする。そこに行って何をするのかも決めていなかった私たちは、路線バスに乗って小木の方へ向かった。友達が旅のプランを考えてくれたのかもしれないし、友達も行き当たりばったりだったのかもしれない。本当は、友達と佐渡で何をしたのかほとんど覚えていなかった。けれど小木、と地名を今口にできるのは、宿根木で撮った写真が残っているから。たぶん社会人になったばかりの頃だったと思う、たぶん夏の終わりだったと思う、私の記憶はたぶんで埋め尽くされている。日帰りだったからちょっと宿根木を歩いてそれからまたバスに乗り、両津へ戻ったんだと思う。ほとんどバスか、それか船に乗っているだけの旅だった。船に乗る前に、港の食堂でその土地っぽいものを食べたのを覚えている。何かを食べたことを覚えているだけで、何を食べたのかは覚えていない。最後に映像として思い出すのは帰りのフェリーの中、友達と、友達のお父さんそれから友達の妹と、私が二等席の絨毯の上に座って喋っている。夜、来たときと同じように母が港まで迎えに来てくれて、それで、家に帰った。
どこへ行って何を見て何をした。そういうわかりやすい記憶がないのに、だけど佐渡というものは強烈な印象を私に残した。だから十年ものあいだ、ずっと佐渡に行きたいと思っていた。久しぶりに訪れた佐渡は、快晴だった。台風が接近する日本の反対側の天気とは打って変わって、心地よい、秋の風が吹いていた。島についてはじめに私たちは、予約していたレンタカーを引き取り、下船直前に調べた食堂へ向かった。時刻は正午過ぎ。店の外までお客さんがあふれていた。駅前に戻って次なる候補を見つけるもオーダーストップ。結局両津港ターミナルに戻って、軽食を取り終えたのは一時過ぎだった。旅の目的だったお店を経由して小木へ向かう。カーナビに入れるとほとんど一直線に見える経路を案内されたが、それは拡大してみると峠のくねくね道だった。川を渡るとき、実りに実った稲穂の上を大きな鳥が飛んでいた。羽の先が美しいピンク色をしていた。「トキだ」「え、どこどこ」「ほら、あそこに」それは一瞬の出来事だった。途中、夫がトイレに行きたいと言い出した。山のど真ん中だ。路肩駐車できる場所を見つけて車を停め、しばらくして夫が「ちょっと、めちゃくちゃやばいんだけど」と言って戻ってきた。めちゃくちゃやばいんだけど、とは、めちゃくちゃスピリチュアルなんだけど、の意味だった。「でしょう」、私は自信たっぷりに答えた。行きたかったのは山の中にある本屋だった。私が本を選んでいるあいだ、娘は夫と一緒に、店の外の石が集められているところで石を選んでいた。「ひとつ選んでいいよ」店主はそう言ってくれた。娘は赤みがかった石を、夫は薄緑の透き通った石を選んでいた。三時頃に店を離れて、小木に着いた。娘が一番楽しみにしていたたらい舟に乗って、温泉に入って宿にチェックインし、予約していた居酒屋で刺身や焼き魚を食べた。外に出たのは八時頃だった。外は真っ暗で、人はいなかった。車も走っていない。「ほら、星見て」「よく見えないよ」「まだ目が慣れていないからだよ」空を見つめる。目が馴染んでくる。真っ黒のなかに白い点がひとつまたひとつと増えていく。甘いものが食べたい気分だったが、コンビニもなければ気の利いた飲食店もない。スーパーもない。肩を落としていたら娘が「娘ちゃんのドーナツをわけてあげる」と提案してくれた。宿に戻って、おやつに買ったドーナツを三等分にして食べた。
翌朝は港のそばのお店で朝ごはんを食べた。カウンター五、六席くらいのこぢんまりとした店で、食事をしながらときどき、お店の人と言葉を交わした。「昨日妻が夕ご飯のあとにスイーツ食べたいっていって。でもこのあたりってコンビニとかないじゃないですか」と夫が言うと、「私たちはそういったところに惹かれて移住しました。このあたりの人たちは、みんな、地元でお金を使い合ってそれでまわっている」と返ってきた。コンビニはない。スーパーも少し離れたところにある。ユニクロもない。だけどなかったらなかったで、ドーナツを分け合ったり、自販機でジュースを買うのが特別になったりする。自分の普段の生活を思い出す。普段の消費は、本当に必要な消費だったのだろうか。消費したくて消費していた気もするし、それは仕組みによって消費させられていたとも言えるような気がする。本当はすでに十分だったのだ。コンビニがなくても、百均がなくても、十八時にはどの店も閉まっても、生きていけるのだ。メニューは地元で採れた野菜や果物、佐渡で人気のベーカリーの食パンやクロワッサンに、地元の焙煎所のコーヒーだった。どれもしみじみ美味しかった。




