無職33日目。

私が失業手当を受給できるのは120日間なので、遅くとも4カ月以内には再就職なり今後の収入の見通しを立てたいと思っている。

「100日後に死ぬワニ」に倣って、「無職〇日目」を「〇日後に就職する私」に変えたら少し物語性が出るのかも。どうだろう。

 

 

 

天気が良かった今日。

昼、夫が下味付きの鶏肉(非加熱)を買ってきたのでベランダでバーベキューをした。我が家、というか夫はバーベキューのハードルが低い。天気が良くて炭火で焼いたら美味しそうなもの(サザエとか骨付き肉とか)を見つけると、カジュアルに火を起こしはじめる。

 

 

今となっては夫は自称「火起こしの達人」だが、その背景には少し苦い思い出がある。

2015年、二人でアメリカをロードトリップしたときのこと。旅の最大の目的であったモニュメントバレーに到着した日の夜、夕飯のためバーベキューの買い出しをしてきたものの火を起こせず失敗。サンフランシスコを出発して3、4日間で走行距離は1800km超、相当な疲れがたまっているのに夕飯にもありつけず(いつまでたっても火が通らない鶏肉に夫は怒っていた)、大喧嘩をした。せっかくの新婚旅行だったのに。その日の夜、夫への怒りを堪えながら眺めた満天の星は今でも忘れられない。目の前に宇宙が広がっているかのような星空だった。

 

 

それ以来、夫はバーベキューの度に火起こしの訓練を重ね、今となっては自分の思うままに火を起こし、火加減もコントロールできるようになったのだ。

 

 

3本入り1パック398円の骨付き鶏肉のために、約40分間ほどかけて丁寧に火を起こし、炭火でじっくり焼いて食べる。

かかる時間や手間を考えれば買った方が早いし楽だという人もいるだろうけど、炭に火が付くまでの作業や、炭がパチパチと燃える音、食材が焼きあがるまでの時間は、私たちにとって全てが食事を楽しくするための要素だ。

 

 

 

 

高校生の頃、オープンキャンパスに参加するため一人で東京を訪れたときに現地で面倒を見てくれた親戚のおじさんが呟いた言葉を思い出した。

 

おじさんは駅のホームに次々と到着する電車を見ながら「東京は、待つ時間がないんだよ」と言った。意図せぬ待ち時間があるからこそ、人は立ち止まって考えたり休んだりすることができるけど、待ち時間がなかったら進み続けなきゃいけない。そういう話だった。

 

 

 

 

人生を語るような年齢ではないけれど、バーベキューをしながら人生には手間だったり無駄な時間と呼ばれるようなものが欠かせないんじゃないかと思った。

 

 

無職32日目。

一応、金曜日。

 

「共感」という言葉を、最低30回は口にした一週間だった。わたしが共感にこだわる人間なのだということが分かり、共感っていうのは、ある種の奇跡のようなものだと思った。相手に思いを正しく伝える、他人同士が同じ思いを抱くというのは奇跡的なことだ。

 

 

 

夫は午後から仕事だったので、午前中は家族(私たち夫婦+ピーツ)で医王山へ散歩に行った。ピーツは三人だといつもより楽しそうに見える。

 

午後から浅野川温泉に一人で行き、帰り道サーティーワンに寄って、フェイスシールドをしたお姉さんからアイスを買った。

 

 

夕方、ピーツの散歩で卯辰山。それから東山エリアをひとりで散策した。細い路地や昔ながらの家やそれぞれに個性が違う寺を眺めながら歩くのは楽しい。

金沢は面白い街だと思う。

 

 

 

 

しばらく前、仕事を一緒にしたことはないけれど大変お世話になった二人の大先輩(一人は出版、もう一人は新聞)から「自分でテーマを決めて何か書いてみたら?」と言われた。生涯追い続けたいテーマはまだ見つからないけど、いま書いてみたいことは、この間の様々な出来事により、有難いことに見つかった。

 

 

 

5年前、私の父に結婚挨拶したとき、父は私たち夫婦(当時は入籍前)をじっと見て「お金を目的にしちゃだめだ。自分が信じて、本当に良いと思ってやってきたことに後からお金がついてくる」と言った。

 

 

 

夫や私は、そのときの父の言葉を時折思い出す。

平日の動物園

無職31日目。

 

はじめての失業手当受給日(?)を迎えた。実際に振り込まれるのは一週間以内とのこと。ハローワークは、当たり前だけど同じ日に失業手当受給日を迎えた元社員で溢れかえっていて、同窓会さながらの雰囲気。無職だけど陽気な人々。ほかの利用者は嫌だったかもしれない。

 

 

朝ごはんをスキップしたせいでお腹がすいて、昼はひとりでハチバンイートイン。

誰かの「気の緩み」発言が取りざたされていたけれど、外食も「気の緩み」とか言われたら、たまったもんじゃない。大雑把な言葉の影で振り落とされていく、個人の様々な思いがある。言葉が大きくなれば大きくなるほど、切り捨てられていくものが多くなる。私はそういうものがとても嫌い。

 

 

 

 

午後、義理のお母さんといしかわ動物園に行ってきた。

いしかわ動物園は、かれこれ6年以上前に一度訪れたきり。動物園がない新潟で生まれ育ち、初めて家族で行ったのは群馬サファリパークだった私にとって、ローカル感溢れる同園は新鮮だった。

 

驚いたのは、他の動物と別格扱いの「トキ里山館」。

2016年にオープンした同コーナー。トキの扱いが国賓級である。担当の職員さんによると「トキ里山館」は県知事の肝いりで、なんと建設費10億円(!)、2018年(だったっけ?)の大雪被害による対策で、天井ネットに融雪装置を設置するためにさらに4000万円がかかったそうな(職員さんがいろいろ教えてくれた)。ガラスはマジックミラーになっていて、ヒトからトキは見られるけれどトキからこちらは見られない。神経質なトキに優しい造り。館内には人口の棚田があって、松まで植えられていて、資料館はまるで石川門のように立派、というか加賀百万石!って感じだった。

 

聞けば聞くほど、トキという鳥は政治や権力争いに利用されてきたんだなと思ったけど、トキに罪はない。この立派な施設だけでも一見の価値あり、さらに担当職員さんはトキをはじめ鳥類にとてつもなく詳しくて、おしどり夫婦の由来や白鳥の習性についても面白く(大人向け)教えてくれたので私と義理の母は大いに満足した(二人とも凝った話が好き)。

 

 

無職のあいだに年間パスポートを買って動物園に通い、ZINEを一冊作ってみようか、と思った。

 

 

 

余談だけど、ゾウが身体に砂をかけていて、その理由が気になって調べたら面白いページを発見。

京都市動物園の「ご意見箱」に寄せられた疑問に答えるページ。

質問の数がめちゃくちゃ多い。「ぞうさんがなんでないていたのかききたいです。」とか、「ヤギは橋の上から落ちませんか?橋からうんちしません?」とか、「なぜ山羊の目の目は黒目はマイナス(-)なんですか?」(※掲載質問原文ママ)とか、NHKラジオの「子ども科学電話相談」みたいで質問を見ているだけで面白い。

www5.city.kyoto.jp

 

 

ちなみに砂をかける理由はここにあった。

https://www5.city.kyoto.jp/zoo/uploads/image/anone159.pdf

(なんでゾウは、からだにすなをかけるんですか?)

 

 

 

 

 

 

 

おとといから、スペクテイター最新号「秋山道夫」特集を読んでいて、このタイミングでこの本を読めることが有り難いと思う。

 

ふと、私はお金にならない文章を書きたいと思った。

矛盾もあるだろうし、うまく説明ができないし、限りなく感覚的なことではあるけれど、お金になることを前提としない方が、本当に届けたい人に届くような気がした。

 

 

終わり。

コロナ、むずい。

最近、めちゃくちゃ帰省したい気持ちが強くなってきた。少し前までは家族と「大晦日に会えるかな」なんて話ししてたのに、今すぐ帰りたくなってる。

 

無職だし、ほとんど外を出歩かないし(でもスーパーには行く)、なんとなくだけどかからないコツ?も感覚的に分かってきたような気がする。そろそろ新潟に帰っても大丈夫なんじゃないか。ってこれは、いわゆる気の緩みなのか?…と自問自答。

 

コロナ、むずい。って思ったのは人によってコロナに対する対策も違えば判断も違えば、感じ方(恐怖や楽観)も違うから。共通の認識がないから、世の中的に何がオーケーで、何がダメだか全然わかんない。

 

 

たとえばわたしは無職だからステイホームしようと思えば徹底して家に引きこもることができる。わたしからしたら外に出て働く人たちの「人と接する機会」ってものすごく多い。でも、誰が人と接する機会が多くて誰が人と接する機会が少ないかって、実際のところすべて憶測に過ぎない。数値化してない。見えない。

 

 

感情面だと、たぶんこの間徹底してステイホームしてる人がいて、そういう人に比べたら私は外出している方で(犬の散歩やスーパーでの買い物やハローワーク)、どこで感染しているかなんて分からないから、やっぱり近づかないで欲しいかもしれない。

 

金沢ナンバーの車で新潟帰ってきたら嫌な人はたくさんいるかもしれない。わたしの家族も、とたんに感染を疑われるかもしれない。…ってなると、わたしが日頃いくら感染対策をしていても、説明の余地もない。

 

めちゃくちゃ楽観するのも危険なんだろう。人によって他人との接触頻度や感染対策に差異があるなかで、わたしのように「そろそろ大丈夫かな」って思った人たちが、全国で、同じようなタイミングに移動し始める。

 

…ダメそう。

 

 

コロナ、めっちゃ難しい。

誰かが移動していいよって言ってくれるわけではない。移動を禁止されもしない(日本は)。だから、人々がお互いに空気を読み合い、我慢し合う。許される範囲を探る。個人の問題、自己責任で済ませられないから難しい。全体の問題だったら、道筋を作り人間関係がギスギスしないような世の中の雰囲気を醸成するのは誰なのか?何なのか?明確なルールができれば解決する問題なのか?

 

 

せめて県を超える移動をするときの目安とかあればいいのかな。発熱が過去2週間以内ないとか?体調の異常がないとか?近くに感染者がいなかった、とか?

 

 

コロナむずい。

でも石投げられたり、個人情報をおおっぴらにされたり、噂されたり、感染した人が悪者扱いされて引っ越しにまで至ったり、そういうギスギスした雰囲気が続いてほしくない。

 

コロナむずい。

祝!無職30日目。

1カ月間、わたしは無職を守り抜いた。

無職を守り抜いたっていうか、もちろん無職で居続けることが目的ではないんだけど、これからの働き方や仕事についてしっかり悩み、ちゃんと考えている、と思う。

 

 

 

昼から山本さんが我が家に遊びに来てくれて、お土産に持ってきてくれたデリシャスごはんとノンアルドリンクをいただきながらお喋りした。

目の前に話している相手がいることが、すごく嬉しい。

4年間、同じ職場で同じように不満を抱えて同じように喜びや達成感を得ながら仕事をしてきた先輩。雑誌に対する思いだけじゃなくて、仕事に対する姿勢や価値観を分かち合うことができるって、今となっては奇跡のようなことなんじゃないかと思う。

 

 

 

 

夕方、義理のお母さんに手作りマスクを届けて、いつものように卯辰山

 

スぺクテイターの最新号、いま、このタイミングで読めてよかった。

 

無職29日目。

今日も朝から医王山。最近山で見かける人たちは、みんなワラビを採っているらしい。挨拶したおじちゃんが「夕飯の酒のつまみにワラビ採りに行くんだよ」って言ってた。豊かだなあと思う。思い立ってお世話になっていたデザイナーさんに連絡を取り、昼過ぎに会いに行く。お土産(?)というか話のネタに最新号のスペクテイターを持って行き、雑誌論みたいな話で盛り上がった。気が付けば、明日で無職歴も30日になる。夕方、義理のお母さんに会いに行き、ちょっとおしゃべり。無職の間に、平日の昼間に動物園に行くことを約束した。

無職28日目。

考え事があって朝はピーツを連れて医王山に行き、夕方は同じくピーツを連れて卯辰山に行った。山はいい。犬を連れた知らないおばさんにピーツが「ピーちゃん」って話しかけられてた。ピーツはわたしよりも顔が広いのかも。幸い失業手当は120日間もらえる。早く就職すれば早期就職手当(?)がもらえる、それだけ。じっくり考えられるときにこそ、じっくり考えたほうがいい。悩んだら悩めるだけ悩んだほうがいい。相談にのってくれる人が周りにいることが嬉しい。