日記

家族みんな疲れて寝るらしくて暇だしすることないしブログでも書くかとはてなブログを開いたけどそんなに簡単に書けるものでもないよなと思ってそれから私は普段けっこう真面目にブログを書いているんだなって気づいた。できれば面白いものを書きたいし、ボツにしているネタはたくさんある。投稿数よりもたくさんある下書きの数。今日はどうかな書き切れるかな、パソコンのバッテリーの残量が33%だからちょっと微妙だ。田舎のヤンキーたちに囲まれて思春期を過ごしたから(こういうときだけ環境のせいにする)たまにポロッと口の悪さを披露してしまうのだが、文章ではむかつくとか死ねとかそういう言葉じゃなくてむしろ愛を込めて怒りを伝えたい。私は私が怒っていることを書きたい。発達障害支援センターに通っていた頃、朝はコーンフレークとりんご、昼は(上司から食事に誘われることがなければ)出先のパン屋で買ったパン、夜はサラダかアイスという食生活を丸二年間続けていたことを相談員に伝えたところ「年単位ですか」と驚かれたときに、自分がちょっと異常だったのだと気づいた。自分が食べたいものがわからない。その日によって違うものを食べたいみたいな気分も特にない。栄養を摂ろうみたいな意識の高さもない。流行りのものとか新しいものを食べたいみたいな興味もない。そもそも自分の食欲、お腹が空いていることに気付けない。振り返れば酷かったのは一人暮らしの頃で、自分で食べるものを自分で考え自分で調達するということが私にとってはけっこう難しかった。考えられる理由はいくつかあって、一つ目は生活における食の優先順位が著しく低いことだ。Chim↑Pom from Smappa!Groupのエリイちゃんが著書「はい、こんにちは」のなかで「生命を誕生させる為だけのセックスは必要ない。快楽由来のセックスには名分があるが」と書いていたのが私は気に入っているのだが、食(欲)に関して思いを巡らせているときにこの言葉を思い出したのは、私は栄養補給をするためだけの食事に魅力を感じていないのかも、と思ったから。生きるために栄養を摂る、とりあえず何かを食べるってなんて味気ないんだろう。どうせ食べるなら好きなもの、美味しいものを食べたい。でも、そんなに好きなものもないし食べたいものもない。生きるための食事と関連して、日々の食事というものがある。外食とかご馳走とかをハレの食事だとしたら、日々の食事はケである。その、ケの食事で何を食べたらいいのかわからない。たぶんこれはASDの特性によるものでもあるのだろうが、私は「適当にする」の感覚がよくわからない。たとえば服にも色々あって仕事に着ていくだけの服とか近所で着る用の服みたいな、適当な服的なジャンルがあるけれど、特別好きでもない服には一銭も使いたくないという理由から私のクローゼットには本気でときめいた服しかない(といっても大したものではないけれど)。で、先に書いたこととも被ってくるが、適当に食べるものって何を選んだらいいの?好きなものならわかるけど、となってしまうのだ。みんな「適当に」何かを食べていてすごい。ちなみにこの適当な(日々の)食事問題は結婚して夫と生活を始めてからほとんど解決した。食べたいものがない私はスーパーへ出掛けても自分が何を食べたいのか(作ればいいのか)わからなくて発狂しそうになってしまうのだが、子どもが生まれてからは夫が買い出し&料理を担当してくれるようになり、私は腹が減ったら家にある食べ物をただなにも考えずに食べればいいだけになったのである。そういえばASDは自分が抱えているストレスや疲労に気づきにくいのだが、それに加えて食欲にも疎いらしい。食の優先順位が低いことと、適当に選ぶということができないということ、それとまた別の理由が鬱だった。「朝はコーンフレークとりんご、昼は(上司から食事に誘われることがなければ)出先のパン屋で買ったパン、夜はサラダかアイス」という生活をしていた頃、正確に言えば新卒で入った新聞社で、入社と同時に生まれて一度も訪れたことのなかった北陸の地に配属となり、パワハラ上司とお局ババア、それから当時は珍しかった女性社員である私を嫌っている中間管理職というたった4人しかいない逃げ場のない支局で過ごした2年間はただでさえ鬱気味な私が完全鬱になるにはもってこいの環境だった。不幸中の幸いで残業は少ない職場だったが、仕事を終えていちおう毎日コンビニなりスーパーに向かうけれど脳がまったく動かない。どんな食材を見ても食べたいとか買いたいと思えず、節電のため薄暗いスーパーの中をぐるぐると何周もし、絶望して何も買わずに帰ってくるという日々が続いたことがあった。料理家の土井善晴は「くらしのための料理学」で「自炊するってのはちゃんと生活しようとしていることだからえらいで」みたいなことを書いていたけれど、まさにその逆で、自分の食を蔑ろにすることそれはつまりよく聞く言葉を使えばセルフネグレクトだった。そして「食事に関して無駄に迷ったり悩んだりするのはやめよう」と自分なりに考えて編み出したのがコーンフレーク、パン、サラダというルーティンだったのだが、ここでASDが悪いように作用して、今度は一度定着したルーティンを崩せなくなり、2年間も続けるに至る。そういえば会社員の頃、私のことを可愛がってくれる上司がいて、昼食どきになるとよく「一緒にごはんいこうよ」と誘ってくれた。で、私に気を遣って「ご馳走するし何か食べたいものある?」と聞いてくれるのだが、食べたいものが本当にない。というか、わからない。でも「特にないです」とも言えないし、どうしようって毎回困っていた。めんどくさいからラーメンが好きということにして(実際、ラーメンは深く考えなくていいから好きだ)毎回「じゃあラーメン食べたいです」って答えてなんとかやり過ごしていたような気がする。1700字くらいまでテンポよく書いていたのだが、倒れるように眠った夫が目を覚まし、このまま放っておけば寝るだろうと見込んでいた娘までも目を覚まし、ブログ執筆が中断してけっこうどうでもよくなってしまった今。なにが書きたかったのかな、つまり自分が食べるものを選ぶ、決めるというのは大変だということだ。zineのイベントに出展したくて申し込んだのだけど、途端に何を作ったら(書いたら)良いのかわからなくなった。書きたいことはあったけど、本当に書きたいことなのかとか。ブログを印刷すればzineになると言ってくれた人もいて、そう思ったこともあったのだが、できれば書き下ろししたい。