33歳の夏休み

フェイスパックをする時間は、商品にもよると思うけれど、だいたい5分から10分くらいが良いらしい。顔に貼っている時間が長ければ良いというものではなく、長すぎるとかえって肌の水分を奪ってしまうのだそうだ。若い頃、「フェイスパックが肌に良いのだとしたらフェイスパックをしたまま寝た方が効率が良い」とそのまま眠り、朝起きたときに肌がカピカピになっていたことがある。母から「お風呂に入るとき、母のパック使っていいよ」と言われたので湯船に浸かりながらフェイスパックをしているあいだずっと時計を眺めていたら、5分って意外と長いなと思った。中学生の頃、ダイエットをしていて痩せたい一心でとにかく汗を流そうと一所懸命湯船に浸かっていた時期があった。お風呂に入っている時間はヒマで、ぼーっとすることができない私はシャンプーや入浴剤や父のシェービングクリームなど、浴室にあるあらゆる商品の説明書きをひたすら読んでいた。いつかツイッター(X)で「ツイッターを見ている人は商品の説明書きを端から端まで読んで楽しむような人」といったつぶやきを見たことがあったが、どちらかというと、ぼーっとするとか何も考えないみたいな、上手に脳を休ませることができない人なんじゃないかなと思う。娘とふたり、電車を乗り継ぎ新潟へ帰ってきた。直江津から柏崎の区間、特急電車は海岸線に沿って走る。砂浜にパラソルを広げたり海水浴をしたりしている人たちを眺めながら、海を楽しむ彼らは電車の車窓から見られていることさえ気づかないのだろうと思った。高校二年か三年生のときに、母方の祖父母の家が私の実家になった。玄関には亡き祖父が手に入れたであろう鹿の頭部の剥製(のレプリカ?)が飾られており、そのリアルさに以前はむすめが怖がったものだったが、今回は流石に慣れた様子で「しかさんだ」と一言発しただけだった。毎朝の音楽を聴きながら洗濯物を干すルーティンがないだけで調子がちょっと狂う。新潟を離れて18年になる。そろそろ、人生の半分を故郷以外で過ごした計算になる。だんだん、どこが自分の「帰る」場所なのかがよくわからなくなってきた。昨晩、妹に誘われて7年ぶりのカラオケに行った。「7年ぶり」だとわかるのは雑誌社に勤めていた頃、ストレスが極限に達して、夕方取材をしたあと会社に直帰の連絡をして繁華街のカラオケ店にひとりで向かったのが激辛特集を作っていたときだったと覚えていたからで、「雑誌名(スペース)激辛特集」で調べたら上戸彩が腕を組んでいる表紙画像と発行月年をネットで確認できた。昔は中学生同士で行っても年齢確認することなく灰皿を出されたり、隣の部屋で別の中学生や高校生が飲み会をしているようなカラオケ店だったが、10年以上ぶりに訪れてみると地元のヤンキーと呼ばれるような若者の姿は一人もなく、マナーを守ってカラオケを楽しむような30、40代がほとんどのようで、治安が良くなる(?)と引き換えに地元から元気な若い人たちが消えていっているような感じがして寂しく思えた。地方の少子化はこれからもっともっと進んでいき、どこへ行っても若い人の姿は見れなくなるのであろう(と思ったけれど、今日行ったイオンモールには若いファミリーがうじゃうじゃいた)。7年ぶりのカラオケは何を歌って良いかわからなくて、だけど妹と一緒だから変に盛り上げようとしたり気を使ったりする必要もなく、お互いマイペースにカラオケを楽しんだ。カラオケの機械には詳しくないのだが、別に二人とも歌が特別上手いというわけでもないのに何故か採点が86点以上しか出ない機械で、極め付けに私がハンバートハンバートの「夢の中の空」で96点(!)を叩き出した。叩き出したというとさぞ誇らしげな感じだが、採点機能とはつまり音程とリズムが一致しているかを点数にしているだけで、声が似ているとかそういうのはほとんど関係なく、歌詞を間違っていても関係ない。やっぱりちょっと自慢しておくと私は絶対音感があるから歌の上手い下手はさておき音はほとんど外さないし、リモコンで半音ずつ上げられても(逆に下げられても)完全に音を合わせることができる。7年に一度しかカラオケしないのに無駄にカラオケが上手い(※歌が上手いのではない)。当初一時間の予定だったけど30分延長して、90点以上を取った画面を店員さんに提示して5%割引してもらい、22時半過ぎに自宅に帰った。たった1時間半しか歌っていないのに家に帰ってきたら声が少し枯れていて(というか、歌うことに疲れて3分半の曲でさえ途中で疲れて演奏中止したりした)着実に年を取っていることを実感した。33歳の夏休み。

 

追記/先日取材をした起業家のひとが「僕も人から聞いた話なんですけど、起業とかスタートアップが向いてある人って、実はDNAで6、7割決まっているらしいです」と話していた。こんなことを書くとかまってちゃんみたいで嫌なのだが、ブログを公開すると毎回「つまらない文章を書いてしまったのではないか」と不安になる。書くことは好きだけど読まれることは正直いつでも怖くて、会社員時代上司にチェックしてもらうこともそうだったし、新聞や雑誌が発行される度に読者の反応を内心ドキドキ、というよりヒヤヒヤしていた。自覚しているけれど、完璧主義なのだ。自分のことを客観視できないから、他人の評価が気になって仕方がない。なにか一つでも間違いや良くないところが見つかると全てが否定されたように落ち込んだり自分を責めたりしてしまう(傾向にあると発達障害に関する本で解説されており、自分のことが書かれていると思った)。だから起業家の話を聞いたとき、本当は自分には今の仕事は向いていないのではないかと思った。それから最近仕事仲間と雑談をしていたときのこと。その人はすごく話が上手で仕事も人気でひっぱりだこで、いつも明るく場を盛り上げていてかっこいい人なのだけど、私が「毎回取材は極度の緊張状態で臨んでいる」と漏らしたところ「自分もいっつも緊張しているし、上手くいくか不安になる」と言われて少しびっくりした。これほど仕事ができて堂々としているように見える人でも緊張したり不安になったりするのだと思うと、仕事をする上で多少の緊張や不安は誰にでもあるもので(とはいえ少ないに越したことはない)、みんなそれをなんとか乗り越えて頑張っているのかもしれない。そう考えると、自分は一人ではないように思えた。気持ちは簡単にあっちに傾いたりこっちに動いたりする。

 

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