雑記

1月2日、スキー場へ行ってスノボをしてきたんだけど、道中の富山の雪景色がとても美しくて、思わず「おおかみこどもの雨と雪」のサントラを(Siriにお願いして)流した。雪が積もると、普段は見えないうさぎが駆けた跡や、木から落ちた水滴の印、自分が実際には見ていない、同じ場所を訪れ歩いた人たちの足跡なんかが見えて、周りは静かなんだけど目で見えるものが騒がしいというか、すごく生き物の気配を感じるから好きだ。昨日の朝、犬の散歩で近所を歩いていたら、すずめが車道で遊んでいて、ふと羽ばたくときの音が聴こえた。すずめが羽ばたく音ってこんなに大きいんだなあ、これまで聴いたことなかったなと思っていたんだけど、よくよく考えたら、まだ正月なので9時でも辺りを歩く人はいなくて、外が静かだから聴こえたのだと気づいた。冬が好きだ。

 

久しぶりのスノボはめちゃくちゃ楽しくて、出産前は夫とスキー場に出かけていたので夫不在でも楽しめるか不安だったけど、一人でも十分楽しかった(もともと一人で滑ってたしね)。スノーボードを手に入れてからもう6年ほどが経つけれど、私は夫と比べたらそこまで熱い思いを持っていなくて、年5、6回くらいしか滑らないからいつまで経っても上達しない。だから毎回スキー場を訪れるたびに自分の勘を取り戻したり、どれくらい滑ることができるのか確認する作業に時間がかかる。この間もしばらく「この傾斜を滑られるのか?」とか「このスピードのままターンできるのか?」の調整作業に時間がかかったけど、勘を取り戻したことがはっきりとわかる瞬間があって、それ以降がすごく楽しかった。私にとってスノボは自分との恐怖心との闘いで、無理に恐怖に勝つ必要もないし(過信は怪我につながるから)、適度に怖がることは必要なのだけど、自分を過小評価して必要以上に怖がっていると、本当は味わえるであろう楽しみを逃してしまうことがある。私は自分ならできる(けど恐怖心が勝る)シーンで、小さく「大丈夫、大丈夫」と呟きながら滑っていて、挑戦して「大丈夫」だったときが本当に嬉しい。失敗して転んだときも楽しい。日常生活のなかで転ぶことはほとんどないけど、大きく失敗して転んだときに気持ちが良いなあと思う。顔を刺すような冷たい風、リフトを乗り継いで頂上から見渡す雪山の景色、全集中して斜面を降っていく緊張感。スノーボードは楽しい。

 

これまで「頑張ればできる!」「やってやれないことはない!」「自分に自信を持って!」マインドで生きてきたんだけど(特に仕事において)、いま取り掛かっているものを進めるなかで、自信がないものがあってもいいんじゃないかなと思ったことがあった。世の中に出すのに自信がないものを出してどうする。自分が納得していないと世の中には出せない。そう考えていたんだけど、無理に肯定する必要もないというか、自分がまだまだで、できないものもあって、人の力を借りないと完成できない(人の力を借りてより良くする)ことがあっても良いだろうと思った。ずーっと「120%!」みたいなノリで、振り返れば「もっと頑張る!」「より良いものを!」「より良い自分に!」「限界突破!」みたいなテンションで生きてたというか、特に年初はそういう目標を立てることが多かったような気がするんだけど、これが30代なのか、はたまた子をもったからなのか、できないものはできないし、自分にも劣るところはあるし、無理しすぎず、自分を過大評価することもなく、特に今年は謙虚に生きたいと思った年始だった。