「目に映る通りを道と決めてはならない。誰知らず踏まれてできた筋を道と呼ぶべきではない。」

15時過ぎ。夫も子も寝て優雅なコーヒータイムと思っていた矢先、ふだんはどんなに寝ぼけていてもちゃんとおしっこシートで用を足す犬が、私の目の前でテレビ台に向かって放尿した。いつも通りの時間に散歩へ連れて行かない私に対する犬による嫌がらせ行為。一瞬怒るがすぐ和解。ウクライナとロシアについての報道を見ながら思い出した。そういえば、トルコをひとり旅していたときにどこかの街でタクシーを乗り合わせた青年がウクライナ出身だった。「ウクライナといえばチェルノブイリだね」といった会話を交わした記憶がある。そして今日さらに思い出したのだけど、トルコの別の街で文化をめぐるツアーに参加したとき、仕事でトルコを訪れたついでに観光しているというロシア人のおじさんからやたらと気に入られ、最終的には結婚する?みたいなことを言われたんだった。ウクライナとロシア。去年UNHCRに寄付をしてからというもの、定期的に寄付を募るニュースレターが届く。先日は、ついに11年目を迎えてしまったシリア内戦について厳しい現状を伝える内容が書かれていた。忘れてない、忘れるわけないじゃんシリアのこと。たまたまインスタグラムのストーリーズで赤の他人(インフルエンサー的なひと)が「戦争が始まったというけれど、ずっとどこかの国で戦争は起こっている、シリアでもアフガニスタンでも」といったことを書いているのを見て、私はショックを受けたのだった。彼女は悪くない、私に向けられた言葉じゃない、だけどやっぱりSNSとは距離を置いた方がいい。内戦が始まった当初、私は大学生で、シリアの惨状に胸を痛めて当時受講していた社会学の先生(国際関係論なども履修していたが一番信頼を置いていたのが社会学の先生だった)にありのままの感情を伝えたり意見を交わしたりしていた。先生には「国連の職員になったら?」と言われた。国連の職員にはならなかった。ジャーナリストになりたかったから。トルコには2012年に訪れた。シリア内戦が始まったばかりの頃。ある街のホテルのロビーで暇そうなスタッフがずっとテレビを眺めていた。そのテレビにはトルコとシリアの国境が映し出され、大量のシリア難民がトルコに入国する様子が報道されていた。犬がソワソワしている。15時半、仕方がないのでブログを書くことを中断して散歩に出かける。来月、石川県で28年ぶりに知事が変わる選挙がある。金沢市長も変わる。候補者たちのHPを見ていたら、市長選で共産党から出馬する候補者の女性の公約に「戦争反対」とあった。つい一週間前までの私は市政で「戦争反対」を訴える理由が全くわからなかった。翻って今。各候補者が積極的に選挙活動を繰り広げているが、この状況で「戦争反対」の一言も発さない「政治家」を私はもう信じられない気がした。このあいだの取材で、インタビュイーが「どうせそうならないじゃないですか」と言っていたのが印象に残っている。悩んでも心配してもどれだけ考えても備えても選んでも「どうせそうならない」こともある。それは決してネガティブな発言じゃなくて、私の耳にはむしろポジティブに聞こえた。どうせそうならないから、せっかくなら好きなようにやる。思ったようにやる。想像していた通りの結果にならなくたって、すぐにへこたれない。自分だけのせいでもない。どうせそうならないんだから。ウクライナとロシア。ニュースを見ていたら、世界各国で戦争反対を訴えるデモが開催されていて、日本でも渋谷でデモが実施されたそうだ。ツイッターを見ていたら「じっとしていられなくてデモに参加してきた」という人がいた。じっとしていられなくて行動をうつそうと思ったときに、連帯できる仲間がいるのは羨ましい。犬の散歩をしながら、真っさらな雪のキャンバスにFUCK WARと足跡で書いて帰ってきた。何もできないけど何もせずにはいられなかった誰かが見なくても。「戦争反対」を訴えるのはダサいのだろうか。私が大学生の頃から決めていることがあって、独りよがりかも知れないけれど、関心を持ち続けることを意識している。例えば日本のトップが超独裁者で私のような市民が飢餓に苦しめられたりもしくはシリア内戦のように政府軍に弾圧されるようなことがあったとして、これだけ「つながっている」国際社会から見向きもされず話題にもされないことが、どれだけ当事者たちの絶望につながるだろうと想像する。自分には関係ないことだと思いたくない、自分には関係ないことだと思われたくないから、他人事にはしたくない。それが正解かどうかもわからない。有事のとき、それぞれの正義感が溢れ交差する中でだんだんと自分が責められている気持ちになって胸が苦しくなる。「戦争反対って言っても意味がないなんてことはない、だからあなたも声を挙げて」的な投稿を見て、重たい気持ちになった。「戦争反対って言っても意味がないなんてことはない、だからあなたも声を挙げて」と数年前の私だったらSNSに書いていたかも知れないし SNSでロシアウクライナについて言及していない人に対して腹を立てていたかも知れないけれど、今は戦争反対って言いたくない人に対しても戦争反対って思ってない人に対しても戦争しちゃえって思ってる人に対しても平和を祈る。勝手に祈る。明日も生きているという確信がほしくて少し先の予定を立てる。いつか着るために高い服を買う。世界が終わっても人生は続く、と思ったのは大学を卒業する直前、2013年に渋谷のイメージフォーラムで映画「ジンジャーの朝」を観たのがきっかけだった。お父さんが親友と寝ている、家庭が崩壊している、世は東西冷戦真っ只中。最後にジンジャーの感情が溢れるシーンが記憶に残っている。東と西は衝突しなかった。世界が終わらなくても、家庭が崩れることもある。私はこれからも人生を続けていかなきゃいけないから、犬の散歩を終えたあとケンタッキーに寄って、ちょっと奮発して8ピースパックを買って帰った。「死にたい」が口癖だった高校生時代、非常識すぎてインターネット掲示板で出会ったひとに「遺書」と書いた手紙を送ったらめちゃくちゃ怒られて常識を知った。「死ね」が口癖だった頃、将来自分の夫となる人に「そういうことはあまり言わない方がいいよ」と優しく諭されてまともになった。大学生の頃には核戦争が起こって世界なんて終わってしまえって厨二病的な破滅願望があったけど、今は決してそうは思わない。素直に戦争が怖いと思えるようになったし素直にもっと生きたいと思えるようになった。私は未来と生きている。子どもと生活するということは、未来を抱え、未来を作るということである。簡単に未来を潰すことなんてできない。ウクライナとロシア。ツイッターで次々と流れてくる現地の様子にめまいがしそうになる。遠く離れているのに私の手のひらの液晶に動画や写真が映し出される。ふと5、6年前に金沢21世紀美術館で観たトーマス・ルフの『Night (nacht)』シリーズを思い出して調べたら、こんなインタビュー記事が見つかった。SNSで次々と流れる戦争の情報に陶酔しないこと、テクノロジーに魅了されないことを自分に言い聞かせる。戦争反対。ロシアが悪い、アメリカが正しい、ウクライナの対応が間違っていた、そんなこと一切思ってないし言うつもりもない。ただ一般人が傷つかないでほしいし守られてほしい。冬は部屋に暖房をつけて窓を閉めっきりにしているけど、夜は澄んだ空気が恋しくなってベランダ側の窓を開けて子と空を眺めたり空気を吸ったり何もない音を聞いたりしている。寝室は静かで、子の眠りを妨げるものはない。これが平和なのだとしたら、大切にするからこれからもずっと続いてほしい。

 例えば『Night (nacht)』シリーズの緑の光。第1次湾岸戦争が始まった1991年、デュッセルドルフにいたときに、テレビで初めてああいう緑色の夜景を見たんです。一方で私は、テレビが戦争をリアルタイムにヨーロッパの家庭へ放送することにショックを受けました。でも他方では、夜間の完全な闇の中で、我々が見ることを可能ならしめたテクノロジーに魅了されていました。つまりあれは、陶酔とショックの混合物なんです。

トーマス・ルフ – ART iT アートイット:日英バイリンガルの現代アート情報ポータルサイト