豆炭、終わる

GoToトラベルキャンペーンが始まって、少し遅れて東京発着の旅行も割引の対象となって、徐々に私が住む街にも観光客が戻り始めた最近。SNSを見ていると、知人が旅行を楽しんでいる様子をアップすることも増えてきたように感じる。感染者数は、いまのところ大幅に増加したりしていない。あれは9月だったか、石川県からずっと出ていなくって息が詰まりそうになり、夫とノリで「野沢温泉に行っちゃう!?」となったことが一度あったけど、結局やめた。今の状況だったらきっと行っていただろう。あの時と今、一体何が違うんだろう。県をまたぐ移動や旅行が世の中に許容されているかどうか、それだけなんじゃないかと思う。結局私は、私たちは空気を読んでしまうのだ。最近はマスク着用や手指の除菌こそ当たり前になったけれど、それ以外は比較的、コロナ以前のような生活を送ることができているような気がする。それでも、先日夫がふとこぼした「息苦しさ」は、どこから来るのかなあと思う。コロナにより何が変わったのか、いま自分が何を不自由に感じているのか、まだ上手く言語化できない。

 

 

話は変わるけど、私の実家は祖父母と三世代で暮らしていて(祖父は二年前に他界)、豆炭カルチャーがあった。コタツは電気じゃなくて豆炭で温めていたし、布団の中には湯たんぽではなく豆炭あんかを入れて足下を冷えから守っていた。豆炭のあの独特の香りが好きで、冬に帰省してコタツに入り豆炭の匂いを嗅ぐと実家に帰ってきたことを実感するのだった。そんな昭和の匂いが残る実家だったけど、昨年から祖母が豆炭あんかを使うのをやめ、ついに今年はコタツも電気コタツに切り替えたと聞いた。豆炭は(需要の低下からか)価格が上がっているそうで、さらに、年老いた祖母は豆炭に火を起こす作業が面倒になってきたのだという。勿体ないし残念だなあと思いつつ、実家から離れたところで生活している私に口を出す権利はないのだった。