当事者と非当事者

よく戦後生まれの人のことを「戦争を知らない世代」と言うけれど、平成2年生まれの私でも(程度の差こそあれ)第一次、第二次世界大戦ベトナム戦争朝鮮戦争などは歴史の授業で学んだり本で読んだりして「知っている」。その時代を生きた人として、戦争を経験していないだけだ。2012年以降、毎年この時期は東日本大震災について見聞きする機会が多くなる。テレビを付ければどこかの局で震災特番やドラマを放送しているし、新聞には毎日のように震災関連の記事が載っている。ラジオで被災した人の声を聞くことも多い。東日本大震災の発災当時、私は小田急線沿いの小さな学生向けアパートで一人暮らしをしていた。私が住むエリアは震度4強くらいの揺れがあったと記憶している。幸い家の中のモノが倒れたり壊れたりすることはなかったけれど、すぐさま近隣のスーパーやコンビニに買い物客が殺到し、品不足となった。なんとか食糧を調達したくてコンビニを訪れたものの、あらゆる陳列棚が空っぽになり、蒟蒻(なんで?)とボールペンしか残っていなかったのには衝撃を受けた。小田急線はしばらく経堂〜新宿間しか運行せず、私は友人に会うこともできず、しばらく一人、余震の恐怖と戦っていた。発災から一ヶ月間くらい、都内の商業施設は自粛のため、どこも20時には閉店していたと思う。あの新宿が、夜8時にもなれば暗くなる。普段とは全く違う光景だった。東日本大震災の発生と、福島第一原子力発電所の事故。この頃、当事者と非当事者という言葉をよく聞いた。私は揺れを体験したものの、直接的な被害には遭っていない。世間ではいわゆる非当事者に属していた。自分より怖い思いをした人や今なお厳しい環境にいる人はたくさんいる。そう思うと、震災について言及したり悲しんだり、涙を流したりすることさえ不謹慎のように感じた。自分が非当事者であることが辛く、震災ボランティアに参加したい気持ちはあるものの、非当事者である自分が被災した地域に足を運び、被災した人と接することで傷つけてしまうんじゃないかとか、「何か少しでも助けになりたい」その思いすらおこがましいのではないかとか、そんなことを考えて行動することさえ憚られた。いち早くボランティアに参加した大学の同級生は同じ活動に参加していた人と仲良くなったようで「ボランティア、出会いがあるし本当に楽しいからおすすめ!」と意気揚々と私に勧めてきたことも、気後れする理由の一つだった。余計にボランティアというものが分からなくなってしまった。私にも、「役に立ちたい」という気持ち以外に、被災した地域を見てみたい気持ちもある。でもそんな気持ちでボランティアに参加しても良いのだろうか。私はなぜ被災地に関心があるんだろう。ただの野次馬根性じゃないのか。そんな思いが頭の中をぐるぐると巡った。当時は当事者・非当事者という言葉に加えて、想いを行動に移したり言葉にして発信したりする人が「偽善者」と呼ばれているのをSNSでよく見かけた。いま思えば人の善意(または偽善)なんてもの、一つの行動や発言を切り取って分かるものではないのに、善意から行動している人を「偽善者」と決めつける人の多さに、怖気付いてしまった。それから今日に至るまで、たとえ非当事者でないとしても、関心を持ち続けること、忘れないことで少しでも被災地の人たちに寄り添うことができるんじゃないかと考えてなんとかできることをしてきたつもりだったけど、どこまでいっても非当事者であることは私の心の中にわだかまりとして残った。2021年、世界的な新型コロナウイルスの感染拡大と自粛の日々。10年が経っていま思うことは、私は震災の被災者ではないけれど、当事者だったということだ。新型コロナウイルスに罹った人だけが「コロナ禍」の当事者じゃないように、東日本大震災も、その時代を生きていた人はみんな当事者そう言っても言い過ぎではないし、だからこそ、それぞれに当事者の意識を持ち続けることが大切なんじゃないかと思う。被災していなくても、つらいときはつらいと言っていいし、悲しいときは涙を流してもいいはずだ。毎年この時期は、震災を思い出して胸が苦しくなる。理由もなく涙が溢れることがある。テレビで震災を振り返る番組が流れてくると目が離せなくなる一方で、心がすごく疲弊する。そんな自分も間違っていない、悪くないのだと、「当事者」になれずに苦しんでいた過去の自分に伝えてあげたい。