日記

母のすすめ(?)で、もう何年ぶりかわからないネイルサロンにきた。たぶん前に来たのは前の前の会社に勤めていた頃、ご褒美旅行でタイに行ったときで、おじさんたちとの飲み会が終わったあと、夜ひまでタイの街をぶらぶらしたついでにネイルをしてもらった気がする。マニキュア(っていう呼び方は古いのか?)は爪が呼吸できない感じがして苦手でほとんど塗らないけど足の爪なら耐えられそう。単にジェルネイルするって言ってもまず塗る前に爪を削って甘皮削ってとにかく丁寧に施術してくれるネイリストさん。一つひとつの作業はシンプルなのかもしれないけれど私からしたらその一つひとつを丁寧にできることがめちゃくちゃすごい。他人の仕事を「誰にでもできる仕事」とかいう人がいるけれど、じゃあ自分はその技術を習得するために勉強したり経験を積んだりできるかとか、仕事として続けていけるかとか考えたときに、仕事ってその仕事自体の難しさよりも、向き不向き、好きとか、好きじゃなくても続けられるかとかそういう要素の方が大きく影響しているような気がして、やっぱり「誰にでもできる仕事」なんてないんじゃないかと思うに至る。よく「モラハラ夫が家事なんて俺にでもできるって言うからやってもらったら一、二日はもちろん完璧にこなせるんだけどそうじゃなくてそれを365日できるのかよ」みたいに怒ってる人の投稿をSNSで見かけるけれどそんなようなこと。継続は力なり、もし自分がなにかをずっと好きでいたり一つのことを続けていたりしたらそれはもう立派な才能。

日記

午前中にネットで役職定年を迎えた女性の話を読み、どこか違和感というか引っかかるものがありながら一日を過ごし、夕方犬の散歩をしながら彼女の一連の投稿を読み返してそこにあった「多くの既婚女性が家庭に主体性を引き渡したように見えた」という言葉に引っかかっていたのだと気付いた。言いたいことはわかる。私にも男性に負けたくないと思っていた時期があったしキャリアを捨てたくないと思っていたから。だけどどうしてもひとこと言いたいのは、結婚・出産した女性に対する解像度があまりにも低くないかということ。ひとことと言いつつもう少し書くけれど、私は自分の選んだ道を正当化したいがために自分とは異なる道を歩んだ人を引き合いに出すようなやり方が嫌いだ。何かをアゲるために何かをサゲるみたいな。たとえば「ニトリのプロダクトのようなインテリアとしても中途半端で環境にも悪い家具は嫌いだ。だから私は昔からの職人の手業によるもので、多くのひとの人生を支えて時空を超えてやってきたようなヴィンテージの家具しか選ばない。」みたいなそんな書き方。ニトリに言及する必要、ある?この「自分の選んだ道を正当化したいがために自分とは異なる道を歩んだ人を引き合いに出す」ことは女性が人生を語る上でなぜかよく見かけることで、本や雑誌を読んでいたりSNSを見ていたりするとしばしば遭遇する。結婚はしないことにしました、なぜなら結婚した女は主体性を家庭に明け渡しているように見えたから。結婚はしないことにしました、なぜなら結婚した女は経済力を奪われるから。子どもは産まないことにしました、なぜなら出産した女は子どもに時間も金も奪われて不幸せそうだから。子どもは産まないことにしました、なぜならパートナーに育児を押し付けられて奴隷のような生活を送ることになるから。令和のいまになっても女性は世間から結婚しない理由や子どもを持たない理由を問われることが多く、本来は必要のない説明が求められているというのはわかっているのだけど、かと言って結婚も出産もした立場としては反論したい気持ちにもなる。そもそもだよ、こういう生き方をする女性は不幸だとか、こっちの人生は間違いだとか、女同士で引き合いに出したり歪みあったりすること自体が不毛ではないか。あえて言うまでもないが念のため書き加えておくと、私は他人が結婚しない人生を歩んでも子どもを産まない決断をしてもまじでどうでもいい。どうでもいいし勝手に幸せになってほしい。本当に、心の底からあなたの幸せを願っている。ただ、私は誰かの人生を肯定するために結婚したり子どもを産んだりしたわけではないということを強調しておく。

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zineのいろんなことが気になって一晩に二回も三回も目覚めるから今日こそはしっかり寝たいと思って眠剤を飲んだのに、午前1時頃になって悪夢にうなされて目が覚めた。ピノキオの挿入歌「困ったときには口笛を」をBGMに白人のおじさんが緑色のアメリカ車に乗ってゆっくりゆっくりと追いかけてくる夢で、娘が恐怖のあまり怯えて泣き叫んでいて、母親としては娘のひどく怯えた表情がトラウマ級に苦しかった。その後、二時間ほど眠れなくて気づいたらまた入眠していたのだが、今度は何者かに追われている夢を見た。私と父を本気で殺そうとしている人がいる。必死になって逃げるのだけど、家の外から攻撃されてどんどん家が壊れていく。睡眠導入剤って悪夢を見る副作用とかあるのだろうか。はやくいろんなものから解放されて楽になりたい。ちなみに今週末は新潟に帰って、来週末はひとり東京に行く。東京に行く当初の目的は美術館巡りをすることだったけど、予定を立てて一ヶ月が経ち、だんだんどうでもよくなってきた。3日間、一人を楽しめたらそれでいい。このあいだ雑貨屋さんの店内に併設したキッズスペースで子どもと遊んでいると、娘と似たような背丈の女の子がやってきて、娘が持っていたおもちゃの双眼鏡を指差し「これ貸してよ」と言った。児童館とかに行くと、よく同じようなシーンで「お友だちに貸してあげようね」と声掛けする親を見かけるが、私は二人のやりとりに口を出さず黙って見守ることにした。娘は「娘ちゃんこれで遊んでるから」と言ってはっきり断っていた。いいぞ、娘。譲りたくなかったら譲らなくていい。

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昨日の夕方、家族で近所の山へ犬の散歩に行ったら、同じタイミングでやってきた夫婦が大きなスコップを担いで脇目も振らず竹やぶへ入っていき、私たちが散歩を終えるのと同じタイミングで袋いっぱいの筍を抱えて駐車場に戻ってきた。雑木林を歩いていたら、筍を掘ったと思しき跡や剥いた筍の皮をたくさん見かけて、春らしいもの、山菜が食べたいと思い夕食の献立は山菜の天ぷらと蕎麦に決まった。帰り道スーパーに寄ると筍が山積みになって売られている。大きいもので1200円くらい、小さいと800円くらい。いまさっき、一時間のあいだに7つも8つも筍を収穫するのを目にしたばかりである。どうも筍を買う気にはなれなかった。山菜を求めて大型スーパーに行くのがそもそも間違っていたのだが、案の定、筍の他にはわらびしか見つからなかった。わらびを買うのは初めてで、アク抜きに半日以上かかるということを知っていれば「今晩の天ぷらの材料に」なんて思わなかっただろう。結局、鶏肉と大葉と舞茸とかぼちゃとナスを天ぷらにして、わらびは次の日になってとりあえずレシピで見つけたナムルにして食べた。夫は気を遣ってくれたのかおいしいねと言ってくれたけれど、私は普通のニラともやしのナムルが好きだと思った。zineを作ると決めてから頭のなかがzineのことでいっぱいで、日中はもとより寝ているあいだにも何かを思いついては起きてメモをするということを繰り返していたらだんだん疲れが溜まってきた。完成できるかわからないし、それが完成したとて、自分が納得いく出来栄えになるかもわからず不安でしょうがない。久しぶりに開いた森巣博の「無境界家族」に「しなければならないことは、しなくても一向に構わないが、したいことは、是非ともすること」と書いてあった。私の好きな言葉だ。一つ大きな仕事を終えたばかりで遊んで暮らすはずだった4、5月。自分で締め切りを設けて、苦しみながら文章を書いて、不安になって寝れなくなって一体何をしているんだろうと思ったけれど、これはしなければならないことでもなく、したくないことでもなく、私が進んでしたいことなのだ。

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家族みんな疲れて寝るらしくて暇だしすることないしブログでも書くかとはてなブログを開いたけどそんなに簡単に書けるものでもないよなと思ってそれから私は普段けっこう真面目にブログを書いているんだなって気づいた。できれば面白いものを書きたいし、ボツにしているネタはたくさんある。投稿数よりもたくさんある下書きの数。今日はどうかな書き切れるかな、パソコンのバッテリーの残量が33%だからちょっと微妙だ。田舎のヤンキーたちに囲まれて思春期を過ごしたから(こういうときだけ環境のせいにする)たまにポロッと口の悪さを披露してしまうのだが、文章ではむかつくとか死ねとかそういう言葉じゃなくてむしろ愛を込めて怒りを伝えたい。私は私が怒っていることを書きたい。発達障害支援センターに通っていた頃、朝はコーンフレークとりんご、昼は(上司から食事に誘われることがなければ)出先のパン屋で買ったパン、夜はサラダかアイスという食生活を丸二年間続けていたことを相談員に伝えたところ「年単位ですか」と驚かれたときに、自分がちょっと異常だったのだと気づいた。自分が食べたいものがわからない。その日によって違うものを食べたいみたいな気分も特にない。栄養を摂ろうみたいな意識の高さもない。流行りのものとか新しいものを食べたいみたいな興味もない。そもそも自分の食欲、お腹が空いていることに気付けない。振り返れば酷かったのは一人暮らしの頃で、自分で食べるものを自分で考え自分で調達するということが私にとってはけっこう難しかった。考えられる理由はいくつかあって、一つ目は生活における食の優先順位が著しく低いことだ。Chim↑Pom from Smappa!Groupのエリイちゃんが著書「はい、こんにちは」のなかで「生命を誕生させる為だけのセックスは必要ない。快楽由来のセックスには名分があるが」と書いていたのが私は気に入っているのだが、食(欲)に関して思いを巡らせているときにこの言葉を思い出したのは、私は栄養補給をするためだけの食事に魅力を感じていないのかも、と思ったから。生きるために栄養を摂る、とりあえず何かを食べるってなんて味気ないんだろう。どうせ食べるなら好きなもの、美味しいものを食べたい。でも、そんなに好きなものもないし食べたいものもない。生きるための食事と関連して、日々の食事というものがある。外食とかご馳走とかをハレの食事だとしたら、日々の食事はケである。その、ケの食事で何を食べたらいいのかわからない。たぶんこれはASDの特性によるものでもあるのだろうが、私は「適当にする」の感覚がよくわからない。たとえば服にも色々あって仕事に着ていくだけの服とか近所で着る用の服みたいな、適当な服的なジャンルがあるけれど、特別好きでもない服には一銭も使いたくないという理由から私のクローゼットには本気でときめいた服しかない(といっても大したものではないけれど)。で、先に書いたこととも被ってくるが、適当に食べるものって何を選んだらいいの?好きなものならわかるけど、となってしまうのだ。みんな「適当に」何かを食べていてすごい。ちなみにこの適当な(日々の)食事問題は結婚して夫と生活を始めてからほとんど解決した。食べたいものがない私はスーパーへ出掛けても自分が何を食べたいのか(作ればいいのか)わからなくて発狂しそうになってしまうのだが、子どもが生まれてからは夫が買い出し&料理を担当してくれるようになり、私は腹が減ったら家にある食べ物をただなにも考えずに食べればいいだけになったのである。そういえばASDは自分が抱えているストレスや疲労に気づきにくいのだが、それに加えて食欲にも疎いらしい。食の優先順位が低いことと、適当に選ぶということができないということ、それとまた別の理由が鬱だった。「朝はコーンフレークとりんご、昼は(上司から食事に誘われることがなければ)出先のパン屋で買ったパン、夜はサラダかアイス」という生活をしていた頃、正確に言えば新卒で入った新聞社で、入社と同時に生まれて一度も訪れたことのなかった北陸の地に配属となり、パワハラ上司とお局ババア、それから当時は珍しかった女性社員である私を嫌っている中間管理職というたった4人しかいない逃げ場のない支局で過ごした2年間はただでさえ鬱気味な私が完全鬱になるにはもってこいの環境だった。不幸中の幸いで残業は少ない職場だったが、仕事を終えていちおう毎日コンビニなりスーパーに向かうけれど脳がまったく動かない。どんな食材を見ても食べたいとか買いたいと思えず、節電のため薄暗いスーパーの中をぐるぐると何周もし、絶望して何も買わずに帰ってくるという日々が続いたことがあった。料理家の土井善晴は「くらしのための料理学」で「自炊するってのはちゃんと生活しようとしていることだからえらいで」みたいなことを書いていたけれど、まさにその逆で、自分の食を蔑ろにすることそれはつまりよく聞く言葉を使えばセルフネグレクトだった。そして「食事に関して無駄に迷ったり悩んだりするのはやめよう」と自分なりに考えて編み出したのがコーンフレーク、パン、サラダというルーティンだったのだが、ここでASDが悪いように作用して、今度は一度定着したルーティンを崩せなくなり、2年間も続けるに至る。そういえば会社員の頃、私のことを可愛がってくれる上司がいて、昼食どきになるとよく「一緒にごはんいこうよ」と誘ってくれた。で、私に気を遣って「ご馳走するし何か食べたいものある?」と聞いてくれるのだが、食べたいものが本当にない。というか、わからない。でも「特にないです」とも言えないし、どうしようって毎回困っていた。めんどくさいからラーメンが好きということにして(実際、ラーメンは深く考えなくていいから好きだ)毎回「じゃあラーメン食べたいです」って答えてなんとかやり過ごしていたような気がする。1700字くらいまでテンポよく書いていたのだが、倒れるように眠った夫が目を覚まし、このまま放っておけば寝るだろうと見込んでいた娘までも目を覚まし、ブログ執筆が中断してけっこうどうでもよくなってしまった今。なにが書きたかったのかな、つまり自分が食べるものを選ぶ、決めるというのは大変だということだ。zineのイベントに出展したくて申し込んだのだけど、途端に何を作ったら(書いたら)良いのかわからなくなった。書きたいことはあったけど、本当に書きたいことなのかとか。ブログを印刷すればzineになると言ってくれた人もいて、そう思ったこともあったのだが、できれば書き下ろししたい。

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躁は昨日まででした、というか一度集中すると休憩することはおろか息をすることも忘れて作業に没頭してしまい、気がつけば何も飲んでも食べてもいないし酸欠になってて今すぐ倒れそうみたいになっていることが多い。100人に1人がASDらしい、ということを聞いて意外と少ないなと思った。インターネットを見ていると、自分がそういう情報を選んでいるからなのだが、結構ASD多いな〜と思っていたから。ASDが苦手とすることを一つ挙げるとすれば(他にもたくさんあるのだが)、それはネゴシエーションだと思う。会社員のとき、上司や会社から与えられた目標を達成できない人は努力不足だと思っていた。頑張るのが当たり前、締め切りを守るのが当たり前、目標は達成するのが当たり前。それは、いま振り返ると「そんな締め切りじゃ、私の休日がなくなっちゃいますよ」とか「与えられる仕事量が多すぎます」みたいなネゴシエーションをすることが頭になかったからで、やれと言われればできるまでやらなきゃいけないと思い込む(新聞記者の頃、「365日✖️2年間、欠かすことなく新聞記事の書き写しをしていた」ことは以前ブログに書いた通りである。それでも日常を書きます - nov14b’s blog)だから勤務中は昼食も食べずにずっと仕事をしているし、平日は取材ばかりで原稿を書く時間が作れないから土日を潰してまとめて原稿を書くみたいなライフスタイルで、仕事が「できる」から連載も突発的な業務もどんどん任される状態になっていた(そんなことをしていれば、他の人よりも「仕事を頑張っている」と評価されて当たり前だ)。つまりは自分の生活を優先させる選択肢を知らなかったのだ。昨日、県立図書館で6時間ぶっ続けで仕事をしていたら夜から体調を崩してしまい今朝も具合悪くて死にそうなのだけど、具合悪いっていうか胃が気持ち悪い理由が来週中に完成しないといけない案件のプレッシャーからくるものでもあるような気がして、思い切ってバイト先にシフトを変更してもらえないか相談のラインを送った。ネゴシエーション少しずつできるようになりたい。ついでに書くか今年度参加することになった保護者アソシエーションのこと(オブラートに包んだつもりだが丸わかりのような気がする)。このあいだ役職を決めるための初会合に参加してきたのだけど、学級委員会かよって感じでちょっときつかった。たぶん一般のこういう集まりでよくあることなのだろうけど、みんなの緊張をほぐすためにわざとギャグや冗談を言って笑いを取ろうとする人がおり、空気を読んでそれに乗っかる人がいるみたいなそういう構図。それ自体は悪くないのだが(私は苦手だけど)、その笑いを取るためのネタが特定の人物の悪口で最悪だった。そもそも私たちはある目的のもとに集まっているのだから、その目的さえ力を合わせて(役割分担をして)達成できればそれで十分で、無理して親しくなる必要なんてないはずだ(そもそも、親しくするとはどういうことなんだろう。少なくとも、誰かの悪口で盛り上がることではないと思う)。久しぶりに「空気読む」人たちが集まり愛想笑いを求められる環境に置かれて極度にストレスが溜まった私は会合のあとドラッグストアに直行し、普段食べないポテトチップスを三袋と炭酸飲料を買って帰った。こういうところがASDなんかなあ、知らんけど。

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昨日の朝、てきぱきと身支度を済ませていざ出発というタイミングで保育園から着信があった。事務の先生によると、娘が登園後すぐに嘔吐し、しばらくしてまた胃液のようなものを吐いているとのこと。夫が気を利かせて「俺が迎えに行くよ」と言ってくれたので、娘のことは任せてそのまま県立図書館へ向かい、取り急ぎの原稿を仕上げて昼過ぎに帰宅した。家に戻ってきてから少し食事をとったものの、依然としてだるそうにしている娘。風邪のような症状はなく、熱もなく、ただだるそうにぼーっとテレビを見ながら横たわっている。そんな娘に寄り添って横になるうちにいつの間にか一時間ほど眠っており、気づいたら隣には暇そうにしている犬がいて、反対側には一時間前と変わらない様子でディズニープラスを視聴し続ける娘がいて、窓の外には青空が広がっていて、なんだか穏やかでいい日だと思った。その後、夫は仕事のため外出。娘が「ママ、あそぼう」と誘ってきたので付き合ったものの、体力が落ちているのかすぐに横になっていたので、寝室まで連れて行って寝かせることに。突然手持ち無沙汰になった平日の午後4時。1ヶ月以上手をつけていなかった手書きの日記帳を久しぶりに開いて、まとめて記録を書くことにする。ほとんど記憶のない3月のこと、そして先日のディズニーリゾート旅行のこと。ディズニーでの出来事を振り返るなかで、娘に対し「いろんな経験をさせてくれてありがとう」と書いてハッとした。「いろいろな経験をさせてあげたい」と思っているのは親である自分だったはずなのに、気づけば娘を通じて新たな経験をしたり見たことのない景色を見せてもらったりしている。先生が胃液と話していたのは、娘が朝飲んだオレンジジュースだった。オレンジ色に染まった内履きは、ウタマロ石けんでは汚れが落ちなくてドキッとしたけれど、ハイターに浸けるとすぐに元の白さを取り戻した。長い昼寝から目覚めた娘に好物のドーナツを食べるかと聞くと、「ぐあいがわるいときはドーナツたべちゃだめなんだよ。ぐあいがわるいんだから。ごはんをたべないとだめだよ」と言って元気に白ごはんを食べていた。