それでも日常を書きます

それでも日常を書きます。じっくり時間をかけて考えたいこと言葉にしたいことたくさんあるけど今はそれがさまざまな事情でできない。ブログは私にとって文章を書く基礎練習みたいなものでもあるから、だからなんてことない日常について何かを書く。文章を書く練習といえば、新卒で入社した新聞社の直属の上司は、全国各地に散らばっていった同期たちのそれと違ってひどくスパルタで、といっても普通の新聞社にあるような、入社して一、二ヶ月間は新聞配達をさせられるとかそういうやつではなかったのだけど、「原稿が書けるようになるための毎日の宿題」として、日本経済新聞と自社の新聞のなかからそれぞれ一本ずつ「良いと思った記事」を選び原稿用紙に手書きで書き写すというのを課せられ、私は「毎日」と言われたら微塵も疑問に思わず会社が休みの土日祝も書き写しをしなくてはならないと思っていたので、365日かける2年間、欠かすことなく新聞記事の書き写しをしていた(新卒で赴任した金沢支局から東京本社へ移動するときに処分した、丸2年分の原稿用紙の量は今も忘れられない)。もう一つ、「ボイスレコーダーに頼ら(せ)ない」というのも私の上司のこだわりで、ボイスレコーダーなんて新聞記者の必須アイテムだろと思うのだけど、入社して一年間は、記者会見にも銀行頭取のインタビューにもボイスレコーダーの携帯を許されず(もちろん不安でこっそりスマホのレコーダーを起動するという手段もあるのだろうが、バカ真面目なわたしはやはりそこでも素直に上司の指示通りにしていたのだ)、もう、必死になって話し手の一語一句を紙に殴った。この「ボイスレコーダーに頼らない」というのはめちゃくちゃスパルタだったとは思うのだけどいま思い返しても良い修業をさせてもらったと感謝していて、私は手を動かして文字にすることで「話」が頭のなかに入ってくるし、ボイスレコーダーを使っているときよりも本気で相手の話を聞くし(重要)、なにより速記がめちゃくちゃ速くなった(頭痛が痛いみたいだな)。いまでもたまに取材のときに書くのめちゃくちゃ早いって驚かれます(プチ自慢)。取材メモ(わたしの場合はほとんど文字起こしをその場でしているようなもの)を書くのはとても良くて、速記とはいえ何かは抜け落ちていくのだけど、それは私が原稿を書く上で「抜け落ちていても良いもの」だったりする。あと、単純に音源を聴きながら文字起こしをするという時間がかかる上に超めんどくさい作業をしなくて済みます。前置きで1000文字も書いてしまったが今日書きたかったことは子が咳をしていてつらそうだったので、私が子どもの頃、母に連れられてよく行っていた小児科に行ってきましたという話で、実は私はその小児科に対しては良いイメージを持っておらず、というのも私が小学生の頃に体調を崩して一ヶ月間ほど風邪症状が続き、小児科に通い続けていたものの結局入院が必要になって総合病院に転院したことがあったから、しかも私の3歳下の妹も同じような経緯で小児科→総合病院で入院したことがあったからなのだけど、実に20年ぶりに訪れるそのこぢんまりとした小児医院は県外から帰省している私たちのことを温かく迎えてくれて、院内のところどころに子どもを和ませるためのキティちゃんやらアンパンマンのシールが貼られており、小上がりのキッズスペースには、コロナ禍で多くの病院では撤去されていた待ち時間に子どもが遊んで過ごせるためのおもちゃがたくさん用意されていて、処置室のベッドにはトイストーリーのカバーがかけられていて、本当に子ども思いの病院だった。院長先生、60代後半から70代前半くらいの雰囲気だったから私が通っていた頃は50歳くらいだったのだろうか。私が「子どもの頃にお世話になったんです。今回は帰省で、金沢から帰ってきていて」と言ったら「そうですか」とニコニコしてくれて、私の妻の実家も金沢で、たまに訪れますよなんて話をしてくれた。私が入院するきっかけになっていた小児医院なんて勝手にひどいイメージを持ったまま大人になり、親になり、たまに帰省して車で通りかかるたびに存在を思い出して懐かしくなったり複雑な思いになったりしていたのだけど、子どもを持った今、こんなふうにまたお世話になることができてよかった。ありがとうございました細く長く地域に愛される小児医院であってほしい。余談だけどいつかあるイベントの取材でお話する機会があった文筆家の佐久間裕美子さんは、どんな話の流れだったか「私はとにかく文章を書くのが早い。3000文字くらいの記事だったら1時間もあれば書ける」みたいなことを話していて、3000文字、内容にもよるのだろうけどプロはすごいなって思ったのを今でもたまに思い出す。