引退を惜しむ

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あれから1年 寂しさ抱きしめて アフロ編集委員退社へ:朝日新聞デジタル

■(ザ・コラム)稲垣えみ子・編集委員 今回、とてもうまく書く自信がありません。でもとにかく一生懸命書きます。 私、朝日新聞を退社することになりました。このコラムも今回が最後になります。 念のためですが…

「元気が出た」とメールや手紙が大量に来たのです。闇の中、その声だけが灯台でした。その後も自分のことを書きました。薄っぺらい我が身をさらす恐ろしさ。批判もありました。でも世の中のことであっても「だれかのこと」でなく「自分のこと」として、せめて泣きたくなるような実感をつづらねば相手にしてもらえないと追い詰められた気持ちだったのです。
 自分のこととして世の中を見たこの1年、痛感したのは何が正しいかなんてわからないということです。皆その中を悩みながら生きている。だから苦しさを共有するコミュニケーションが必要なのです。なのに分からないのに分かったような図式に当てはめて、もっともらしい記事を書いてこなかったか。不完全でいい、肝心なのは心底悩み苦しむことではなかったか。
いつも人間味があって親近感を覚える一方、確固とした自分を持っていて、人間としてとても立派で、最も尊敬している記者さんの一人。この人の記事に初めて出会ったとき衝撃を受け、電子版で過去の記事を読み漁り、最後のこのコラムでしっかり泣かされた。
誰かの目線に立って書こうなんて思わずに、自分の視点で、自分が感じることや考えたことを真っ直ぐに伝えるのが大切だと教えてくれた。

スポーツに興味があるわけでも、好きなアイドルがいるわけでもないわたしが初めて、「引退しないでほしい」という気持ちを抱いたのが稲垣さん。やり場のない気持ちを代弁してくれるような記事が大好きだった。

付録。私が初めて読んだ彼女の記事↓
(ザ・コラム)阪神大震災20年 分かり合えない傷の先に 稲垣えみ子
 すとんと落ちてくるものがあった。傷ついた人が、傷ついた人を支えるのだ。人はなかなか分かり合えない。でも分かり合えない傷を抱えているから、他人を支えようと思うことができる。神戸では今も、世界のどこかで災害が起きるたびに必ず救援募金が立ち上がる。そのことを、元神戸市民として誇りに思う。改めて20年前、何の当ても約束もなく、全国から駆けつけてくれた100万人のボランティアのことを考えた。彼らも何らかの傷を抱えた人だったのではなかろうか。人はちゃんと助け合えるのだ。だって傷ついたことのない人などいないのだから。
最後の一節にすごく救われました。ありがとう。