2023-2024

約2週間の長期休み。事前に本や雑誌を数冊買い、好きなだけ読んだり書いたりするぞと意気込んでいたものの、結局、実家帰省中に唯一読むことができたのは祖母の付き添いで訪れた、近所のスーパーで買った週刊文春正月特別号だけだった。休みに入る前、たまにバイト終わりに訪れるカフェ「one one otta」のさやかさんが言っていた。「だって休みっていったって子どもの面倒見なきゃじゃん、だったら働いていても変わらないかなって」。母親に「ゆっくりと」「自分だけの時間を過ごす」休みはない。さやかさんは12月31日まで営業すると話していた。夫が後から合流するまでの一週間、久しぶりに娘とたくさんの時間を過ごした。新潟に帰るたびに訪れている水族館では、娘は魚に一切興味がないので、イルカとペンギンを確認すると早々にお土産コーナーに向かっていた。金沢(北陸)にはないロイヤルホストで一緒におやつを食べた。脱ぐときに裏返ったズボンやタイツを手先を器用に使って元に戻したり、児童センターにあった「ひもとおし」のおもちゃで上手に遊んだり、園に預けているばかりでは気付けない成長がいくつも見られた。言葉もずいぶん発達していた。おでかけをして帰宅した際、「おてて綺麗にしてこようか」と声をかけたら、すぐさま「汚れてないから洗わない」と返ってきたのには笑った。少しずつ、着実に大きくなっている。大晦日は例年どおり、おばさん家族と東京で暮らす妹も集まって、わいわい楽しく過ごした。詳細は割愛するけどなかなかいろんな背景、特性を持つメンバーが集まっている我が家族、わいわいというよりもむしろ騒がしい、慌ただしいといった方がしっくりくる夕食だったけど、カオスななかでもみんなが笑っていて、それがすごく嬉しかった。来年も再来年も、こんな大晦日を迎えたいと初めて思った。ちなみに別の日に会ったお父さんも元気そうだった。家族とは同じ家に住んでいることを指すのではない。家族とは苗字が同じことでもない。家族を構成するメンバーが解散したり離れたりしてまた別の家族を持ったとしても、互いを気にかけたり思い合ったりできればそれで十分だと思う。今年も家族みんな元気で。2歳の娘も含めて紅白歌合戦を最後まで見届け夜更かしした翌日は、10時過ぎに目が覚めた。ばあちゃんお手製の具沢山の雑煮を味わい、のんびり支度をして、昼過ぎに私、夫、娘の三人で車で約1時間のところにある不動尊へ向かう。お寺なんだけど私の父が気に入っていて、何度も連れられた経験から定番になっている場所。おみくじは「吉」という良くも悪くもない感じだったが、そこに書かれていた言葉が気に入った。「古きをすてゝ新きにつくがよい あまり一つの物にとらわれて役にも立たぬことを思ってはだめです 元気を出して捨てるべきは捨て進む所へ進め」。今年一年、この言葉を一つの指針にしていきたいと思う。お参りのあとに立ち寄ったイオンモールで娘と共に遊んでいたところ、地震があった。最初は被害の全容がわからなかったのだが、スマホを確認すると父から「逃げろ」と短いラインが届いており、津波警報が発令されていることを知る。私の実家は海まで徒歩1分海抜0メートルのところにあるので、しばらくイオンで時間を潰し、夜に帰った。その日は余震や津波が不安で夜中までなかなか寝付けず、デエビゴを1錠飲んで夫に「何かあったら叩き起こしてほしい」と伝えて強制的に意識をシャットダウンして就寝。次の日、目が覚めたときに、いつも通り朝を迎えられたことが本当に嬉しかった。1月2日のこと。娘の誕生日は次の日の3日だけど、その日金沢へ戻る予定にしていたので、一日前倒しで誕生日パーティーを行った。日中に妹と娘と三人でトイザらスへ行き、「好きなもの好きなだけ買おう!」と娘のお年玉を原資におもちゃをふたつ、バスボール(1個500円と高価)を3つ購入。東京でバリバリ働く妹は、ゲームセンターで数千円を投じて娘の気が済むまでクレーンゲームで遊ばせてあげるというまさに理想のおばさんという振る舞いをしていて格好よかった。夜、ケーキを用意してさあお祝いをしようというタイミングで、火に包まれて激しく燃え盛る飛行機の映像が飛び込んでくる。釘付けになる大人たち。お祝いムードを台無しにしてはいけないとテレビを消して気を取り直したものの、地震に驚き怖い思いをした翌日に、またも大人たちが暗い表情を見せてしまうことになりちょっと申し訳ない気持ちになった。その後、夫が「お風呂に入ろう、どれがいい?」とバスボールを選ぶよう聞くと「全部入れる」と威勢よく答えた娘。1500円相当のバスボールを一度に使うことなんてそうそうないから、きっと楽しめたであろう。2011年にあった東日本大震災以降、毎年3月11日には主要全国紙を買って震災関連の特集すべてに目を通し、テレビでは特番をチェックし、泣いて悲しんで数日間落ち込むというのを何年間も続けてきた。数年前の春、いつものように新聞を買ってきて読みながら涙を流していると、夫から「自ら悲しくなるようなことをしなくてもいい」と言われてハッとしたことがある。当事者ではない自分が胸を痛めるなんて被災した人たちに申し訳ないという気持ちと、当事者ではないからこそ唯一できることは関心を持ち続けること、忘れないことだと思う勝手な使命感で心のなかがめちゃくちゃになっていたのだ。震災から10年を機に、新聞を買うことはやめた。捨てられないままになっていた溜まり溜まった新聞も捨てた。自分の人生を大切にするときがやってきたのだ。振り返れば、2023年は自分の心と向き合う一年だった。これまでの人生は自分の心や体になかなか関心が向かず、遠くの世界や他人のことばかり考え、動き、日常をおそろかにしてきた感が否めない。子を持ったいま、健康でいること、いつも通りの日常を送ることはとても大切で、また自分が心を病んでは元も子もないという意識から自分のメンタルヘルスをこれまで以上に大切にするようになった。直接被害を受けていなくても、ニュースから、周囲の言葉から、止まない余震から、不安になったり落ち着かなくなったりすることはおかしなことではない。今の私は自分の心を守ることと、自分や家族の日常を守ることで精一杯だ。被災していないことを後ろめたく思う必要はない。いろんな言葉が飛び交い、いろんな人のいろんな正義感に押しつぶされそうになるときは、一度情報から離れてもいい。できるときに支援をすればいい。無理にシェアしなくてもいい。表立って発信しなくても、余裕があるときに、心の中で思いを寄せるだけで十分だ。あなたが日常を送ったり笑顔で過ごしたりしているのは、全く悪いことではないし、誰かを傷つけたりしない。あなたの日常だって被災した人たちの日常と同じくらい大切なはずだ。他人の言葉を浴び続けて自分の心のペースを見失ってしまわないように。ここに書いたのは、10年前、どうすることもできずに悲しんでいた自分に送りたかった言葉。