日記

元旦の能登半島地震発生以来、地震に詳しい専門家たちが能登半島西部や新潟・佐渡沖の断層で地震が発生しやすくなる変化が起きていることについて警鐘を鳴らしている。私の実家は防波堤を超える高さの津波が発生したら即終了ってくらい海のそばにあり、どれくらい近いかというと玄関を出てから徒歩30秒で海に着くほどで、津波ハザードマップを確認するまでもなく超危険地域だと思っていたのだが、改めて新潟市が公表しているハザードマップ(浸水想定図)を確認してみると「3.0〜5.0メートル未満」の津波浸水が想定されるエリアに属しており、わかっちゃいたけれど重い現実を突きつけられた感じがした。その土地に生まれ育った人たちが、いつ来るのかもわからない自然災害に備えて故郷を捨てることが簡単にできるだろうか。いま82、3歳のばあちゃんは地元から離れたらすぐに生きがいを失ってボケるだろうなとか災害が怖いから引っ越したいけど二の足を踏んでいるお母さんのこととかいろいろ想像した昨晩。東日本大震災から今に至るまでのたった10数年のあいだに熊本地震北海道胆振東部地震能登半島地震が起きている。不動のように思える大地さえも揺れるし災害は起きる。家は壊れる。技術の力で、絶対に津波に流されない家は建てられるだろうか。この狭い狭い日本で、絶対に災害に遭うことのない場所はあるのだろうか。みんなで都市部に住めば怖くないのだろうか。本当にそうなのだろうか。本当にそれが災害に強い国づくりなのだろうか。リスクを極端に避けて生活することではなく、壊れてもまたやり直せること、また同じ場所で一からやっていこうと思える仕組みを作ってこその強さなんじゃないのかという自分なりの結論に至って日付が変わる前に眠りに落ちたが、寝る前にこんなことを考えていたからか、4つも夢を見るくらい睡眠は浅かった。ちなみに一つは自宅マンションから鷺と鷹の喧嘩を眺めていたら桃をくわえたカラスが部屋のなかに迷い込んでくる夢。もう一つはリビングに大きな大きな八の字型のプールを置いて娘と水遊びを楽しんでいたら傍から水が溢れ出してマンションが水浸しになる夢。それに知らない誰かがデートを楽しむ様子を第三者としてただ傍観する夢と、あともう一つ何かを見た。

 

夕飯を食べ終えたあと、暇つぶしがてら「コンビニ行こうか?車と歩き、どっちがいい?」と娘に聞くと「あるいていきたい!」と元気よく返事がかえってきた。外は雪が降っていないし、そこまで寒くない。18時を過ぎたばかりとはいえ、外は真っ暗だ。暖かい格好をして二人で手をつなぎ近所のコンビニまでお散歩していると、娘が「ママ、マーマー!」と私を見上げる。「どうしたの?」とたずねると「おさんぽたのしい。いっしょにおさんぽいってくれてありがと」と言われて、言葉に詰まった。ときどき、娘の言葉やまなざしがまっすぐすぎて受け止めきれないことがある。娘が発する言葉はあまりにも嘘偽りがなく、私の心にストレートに刺さってくる。道すがら、娘は何度か足を止めて夜空を眺めては「ママ、ほら月だよ」「やったねえ」と楽しそうにしていた。コンビニで切らしたばかりの食器用洗剤と、娘が選んだドラえもんの棒突きキャンディを買い、来たときと同じように手を繋いで帰る。会話に花を咲かせながら自転車を走らせる高校生や仕事終わりのサラリーマンとすれ違った。育児のため、最近ではすっかり見なくなった風景だった。外を歩くときにスマホを触らないのも久しぶりだった。私はもっと世界を見たほうがいいと思った。遠くの世界じゃなくて、身の周りの世界。夜だけど外は安全で、学生たちが楽しそうに下校していて、3歳になったばかりの娘はコンビニまで行って帰ってくることができるくらいたくさん歩けるようになっていた。雲がかった月はぼんやりしていたけどきれいだった。