書きたいことが次から次へと思い浮かんで、書きたい思いが止まらない。
ほんと、恋かよって思う。思えば、十数年前からずっと文章に恋してきたけど、いまは読むことよりも書くことに興味がある。
書きたいって言ってもほとんどがただの思い出話や雑記に過ぎないから、伝えたいよりも書きたい動機が強い。この衝動は7、8年間の会社員生活のあいだ、考えたいことについてロクにゆっくり考える時間もなく自分のために丁寧に書き記しておく時間もなかったことへの反動と理解して、無職の間はとにかく膿を出すように書き続けたい。
9年前、東日本大震災が発生して日本中が一気に「自粛」ムードに変わったときのことを思い出す。
そのときわたしは大学2年生で、小田急線沿いのアパートで一人暮らししていた。
部屋は揺れたけど、何も壊れなかったし、何も失わなかった。
春休みだったからそもそも学校は休みだし、駅ビルにあるクリーニング屋でのバイトが少し減ったくらいで、小田急線がしばらく「新宿ー経堂」間のみ運行になったくらいで、近所のスーパーやコンビニから一切のモノが消えたくらいで、テレビCMがACジャパンばかりになったくらいで、それ以外はほとんど、わたしの生活に影響を及ぼさなかった。
ふと、自分の中である疑問がわいてくる。
人が大勢亡くなったのに、今なおたくさんの人が苦しんでいるのに、災害ボランティアとして被災地で汗を流している人たちがいるのに、自分は普段どおりの日常を送っても良いのか。
映画を観に行きたいけれど、外食したいけれど、友だちと出かけて洋服でも買いたいけれど、世の中にはふだん通りの日常さえ手に入らない人もいるのに、望んでもかなわない人もいるのに、自分ばっかりいつも通りの生活をしていいものなのか。
とたんに、「社会の中でのわたし」を意識するようになり、立ち振る舞い方が分からなくなった。
いまできることは我慢すること。何が正解かは分からないけれど、人よりも幸せになってはいけないと、ただひたすら我慢する。どんどん心が枯れていくようだった。無意識に、誰かの幸せに対して厳しい目を向けそうになる自分がいた。
いま、こんなことをしている場合なのか。
いま、本当に必要なのか。
震災時、よく聞かれた言葉だったと思う。
「必要最低限」の生活用品や食材など「衣食住」に直接的に関わるものの確保が急がれるなかで、生活を充実したり心を豊かにしたりするもの、例えばアートや美容、外食といったものが突然、精査の対象になった。
不要不急のもの。不要不急の外出。
「急を要するものではない」って後回しにしてしまったら、極端な話、永久に「急を要するものではない」と切り捨てられてしまうような気がする。
人によって必要とするもの、求めているものは違う。
自分以外の誰かに「いま自分が必要とするもの」が分かるだろうか?世の中に必要とされるものを、最大公約数で決めてしまって本当に良いのだろうか?
「必要最低限」は、一時的に命をつなげるかもしれないけれど、それだけでは生きていけない。わたしたちは、命をつなぐだけが人生の目的では決してない。
コロナ禍において「いま自分(だったり、店や仕事)は世の中に求められているのか」を否応なく考えさせられている人は少なくないと思うけど、なにかをするときの出発点には、「世の中から求められている」以外の理由を持つ人だっていると思う。
自分が好きだからやる。自分にしかできないからやる。自分に向いているからやる。自分の生活のためにやる。
そんなシンプルな動機が、災害によって「自分の行為は社会に必要なのか。求められているのか。」という問いに変わる。
だけど、必要かどうかは他人によって勝手に決められて良いものではないし、自分で決める権利がある。自分にとって必要、それも立派な理由だし、そもそもわたしは、「必要かどうか」で物事に優先順位が生まれる社会であってほしくない。
こんな状況だからこそ、まずは自分の心を大切にすることに意味があるのではないかと思う。
どこかの古本屋で買った『Hemisphere』(aalt coffee and roster発行)。なんでこれを手に取ったかは覚えていないけど、新潟県燕市にある『ツバメコーヒー』の店主・タナカヨシユキさんの寄稿「居場所を変えることなく、景色を変えるために」は何度読んでも素晴らしい。
タナカさんの考えを読むと、何よりもまず「自分」を主体に考えるということが、いかに大切かを考えさせられる。自分をないがしろにしちゃいけない。
素敵すぎるから全文引用。
ぼくがこのまちで生き続ける理由はこのまちで生まれたから。
いろんな場所に住み(ノマド的なあり方を含めて)生きることはもちろん尊重したい。
けれど、生まれたまちを「母」のように捉えることはありえると思っている。
すぐれているから、とか、たのしいから、というようなメリットが多いから、ではない理由で、あるいはどこかから主体的に選ぶという行為ではない仕方で、なんとなくそのまま住み続ける、ということもまたありえる、とも。
もちろんないものがないわけではないけれど、ないことを憂うひまがあったら、じぶんがつくる、じぶんがやる。
理想的なものなんて、つくれるかわからないし、はやるお店なんてつくれる気がしない。
けれど、あーだこーだ言いながらつくり続けているうちは、それはそれでしあわせだったりする。
どこかに辿り着いたからしあわせで、辿り着かなかったから、ふしあわせ、ではなく、こうあったらいいと思う姿を思い描き、そのために日々を過ごす、そのどうってことないように見える日々にこそしあわせな風景があることに気付く。
というようなことは、コーヒー屋をはじめてみなければわからなかったことだ。
このまちに住む人はどんなコーヒーを必要としているのだろう、とは考えられなかった。
ろくすっぽデータもないくせにマーケティングみたいなことをしても意味がないと思ったから。
だれかのことはわからない。(わかった気になることしかできない)
じぶんができることは、じぶんがほしいものをただひたすらにつくることだけだと思った。
みんながほしいものを安い料金で提供するってのは大きな会社が得意なことだからぼくみたいなちいさい会社が太刀打ちできるわけはない。
だから、どれだけ合理的にやったかってのがビジネスというゲームのルールだとすると、ぼくはとことん非合理的なことをつきつめたいと思った。
かんたんには売れない(けれど、長くつきあえる、育て甲斐のある)ものを提案しよう。
売れなくても、そういうのを見たり触れたりする機会はあまりなかったし、そういうのは見ているだけでたのしかったりする。(そしてそのスタンスを変えないために、ぼくはひとりでお店をやっている)
もちろん売れてほしいけど、まずは見てたのしんでもらえたらいいや、と思った。
だからぼくはそんな商品たちをレジまで持ってきてくれるお客さんに向かって「これで大丈夫ですよね?」とあらためて確認する。
そしてそれに共感してくれたお客さんに会うことができたというお金ではないなにかをもらってとてもうれしい気持ちになる。
ぼくはずっとコーヒー豆の焙煎もまだまだ初心者だし、まずは行くに足る魅力をつくらなきゃ、とあせっていた。
庄野さんからは「まずはコーヒー豆という軸があってからの話」
と焙煎に没頭すること(そしてコーヒー豆を売ること)の大切さをいつも指摘された。
もはやまずいコーヒーに巡り合うことのほうがむずかしくなってきたこの頃だからこそ、そのとおりだと思った。
「Life is Short, Do it Now」
やるべきことは無限にある。
しかし、時間は限られている。
まちを手段にする人たちと目的にする人たちがいる。
短時間で見る人たちと長期的に考える人たちがいる。
ニイガタつまんないと思ってまちを出てからおよそ20年後に真逆の考えをもつに至ったぼくがここにいる。
これから20年後の夢はツバメ市に住むひとが「住むまちがすきな理由」の3位以内に「ツバメコーヒーがあること」が入ることです。
書き写しながら、自分ができることを模索し、奮闘している人の顔が頭に浮かんだ。
余談。
わたしがジャーナリストを志していた頃から一貫してやりたいと思っていることは、声を挙げられない人に寄り添い、代わりとなって声を挙げること。わかりやすい事象ではなく、見逃されやすい人・モノ・コトにこそ、自ら近づいて話を聞くこと。最大公約数的な正義・正論を大きな声で述べるのではなく、小さい声でも、誰かの心にしっかり届けること、寄り添うこと。
後で振り返って恥ずかしい思いをすることもあるけれど、自分の理想、信念を書き留める、誰かに伝えるって大切なような気がしている。わたしの場合、周囲の人に自分の夢を話すことによって、これまで心強い励ましをもらったり、アドバイスをもらったりすることができた。多くの人からの言葉によって支えられ、助けられてきたから、やっぱり言葉と共に生きていきたいと思うし、一生懸命ブログを書くことに何の意味があるのかって毎日思うけど、それはまず自分の書きたいという気持ちを大切にするためだし、わたしの言葉によって誰かの心に寄り添うことができればとも思っている。
無職15日目。