「わからないこと」ーEテレ「ぼくは しんだ ひとりで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」文字起こし(一部)

(文字起こしです)

 

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谷川俊太郎「ぼくは基本的に、自殺には理由がない、ないっていうとちょっと大袈裟なんだけども、人間が社会生活を送っている上でね、生活難とか病気とか親しい者の死とかいろいろあって、それが理由だっていうふうに言われますよね、もっと深い理由があるんじゃないかっていう気がするんですよね。だからそこのところを書きたかったっていうのがありますね、わかってもらわないようにするっていう、や、変な話なんですけどね、自分が書いたものをね、だいたいわかってほしいわけだけど、この場合はつまり、わからないことがテーマなんだというふうに思いますね」

 

ナレーション(石田ゆり子)自殺防止のための電話相談を20年にわたり行っている村明子さん。相談を受けるときに「わかる」という言葉を決して言わないようにしていると言います。

 

村明子さん「”わかる”とか、”わかるよ”とかね、それいるのかなあと思うんですよね、話聞いていて。”わかったよ”って言ってもらいたくない気持ちも私は強いと思う。その死にたい気持ちがどこからきているかって理由はわたしは聞かないですけど、生きられない気持ちになっているんだと思うんですね。生きることができるなら生きたいと思っているんだけど、その状況とかで気持ちが生きられない気持ちになっているってことを受け止めるってことがすごく大事だと思う」

 

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村明子さん「高校生の相談を受けていて、”誰も私が死にたいなんて思わないですよ”って言われて”なんで?”って聞くと、”学校ではめちゃくちゃ明るいから。で、なんとかの委員とかもいっぱい受けちゃってやってるんだけど、うちに帰ってくると、すごくつかれてしまって、それ全部嘘なのでね、悟られないようにしたいって気持ちがすごく強くって、余計死にたくなる"って言われたりとか、そういうのが現実なんだよなあと思うんですね。周りの人が死にたいかどうかなんて、本当にわからないと思う。わからないんですよね。例えば、もう死ぬって決めて電話してくる人もなかにはいらして、もうこれで受話器置いたら自殺する準備もしてもう迷ってないって言われるんですけど、それでもなんで電話してくるのかってことなんですよね。それって最後に、"ここに自分がいた"ってことを誰かに分かち合いたいとか、誰かにわかってもらいたいのか、こんな自分に付き合う人がいるんだろうかっていうような確認、最後の確認みたいな、そんな思いで電話をしてくる人がいるような気がして。」

 

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谷川俊太郎「生きたいってことと死にたいってことは、別々のことではないし、反対でもないと思っていますよね。自殺っていうのは僕はやっぱり本当に生きたいってことの連続っていうのかな、なんか、自分が死んでも自分は生きるんだみたいな心がどこかに隠れていると思うよね。死んで何もかも忘れてしまうんじゃなくて、一緒にどこか行ったときの思い出とか、そういうのは持っててほしいって気持ちがあったと思う。僕にね」

 

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(読者に伝えたいメッセージは?)

谷川俊太郎「一切ないですね。あの、一般的な読者っていうものに対してなにか言うことはできないって思っているわけ。だから、もし死にたいと思っている子が目の前にいて、何かこっちに話かけてきたら、なんか言うことあると思うけどね、なんか、一人ひとり全然違う境遇で全然違う人間関係を持っている子どもたちに、何か一般的にメッセージっていうのは、言えないと思いますね。なんか今は、ほら、意味偏重の世の中なんですよ。誰でも何にでも意味を見つけたがるわけね、で、意味を探したがるわけ。でも意味よりも大事なものは何か存在するってことなんですよ。なにかあるってことね、その存在ってことを、言葉を介さないで感じ取るってことがすごく大事だと僕は思っているよね。なかなかそういう機会がないんですけど、生きているうえでそういうふうに意味をなんかこう回避するっていうのかな、意味付けないでじっと見つめるとか、我慢するとかってことがあるんだけど、みんなけっこうそういうことはしなくなってるんですよね。意味を見つけたら満足しちゃうみたいなね。そうじゃないものを作りたいと思っています」