新生児期が終わりました(三十一日目)

娘が「オ゛ム゛ツ゛替゛え゛て゛〜!」と泣き出したのが19時。おしっこだったので油断していたら、オムツを外した瞬間に追加の放尿。びしょびしょになる洋服とおくるみ。お着替えして寝かしつけようとするも、抱っこ→寝落ち→ベッドに寝かせる→泣き始める→抱っこ・・・のいたちごっこで、さすがに疲れ果てて片手で子を抱きながら息抜きにコーラを飲もうとしたらペットボトルを倒してコタツ布団と絨毯が大惨事になった。出産祝いにもらった秒で吸水するハンカチがそばにあってほんの少しだけ救われた。21時になり、子はやっと眠りのなかへ。ふぅ。ブログを書く余裕もない、というか育児していると新しい発見とか感動とかネタばかりなんだけど、すぐに時間を作れずに先延ばしにして僅かな時間で急いでまとめようとすると内容が削ぎ落とされて(悪い意味で)、やっつけみたいになっちゃう。そんな理由で一度公開を保留にした夫のワンオペ育児2DAYSのブログ。こういう感情まみれの体験(育児)は表現を削ぎ落とさない方がいいなあ。忘れる前に一つひとつちゃんと言葉にしたい。

 

今日でなんとか生後1ヶ月。夫は昼、一ヶ月検診を待たず初めての一緒にお風呂をしていた。微笑ましい。泣く以外の自己表現方法を持たない娘に翻弄され、振り回され、疲れ果て、落ち込み、メソメソ泣き、それでも不思議なもので娘と過ごす毎日を楽しく感じる。夫と私の関係もこれまでと変わった(たぶん)。なんだろうこれまでは互いの人生をより充実させるためのパートナーみたいだったけど、いまは戦友みたいな…(笑)。それから、言葉にはしないけど互いをより気遣いあえるようになった気がする。これ読んだ夫に「違うよ」って言われるかな。とにかく、子どもが生まれると夫婦の形も変わるのだなあと実感している。

 

生まれてきてから日々これだけ泣きまくる子を見ていると、子宮の中というのはよっぽど快適で幸せな場所だったんだろうなあと思う。毎日、慣れるまでの辛抱だよ、と伝わらない言葉で話しかけている。この世界は楽しいことばかりだから安心していいよ。

 

授乳で苦労している。実際は大した苦労じゃないんだろうけど、私としては今のスタイルがベストではない(気がする)と思っていて、非効率的だし改善したい。今日ゆっくり犬の散歩をしながらそんなことを考えていたら、効率性や完璧を求める価値観こそが私を苦しめているんじゃないかという結論に至った。子育てって非効率の連続だ。どれだけ私(親)が効率よくしようとしたって子は協力してくれないし、昨日の経験が今日に生かされることはほとんどない。毎日イレギュラーが発生する。完璧を求めたところで自分ひとりの努力でどうこうなるものじゃない。自分の思い通りにいかないのが当たり前、というのが育児なのかもしれない。よくもこれまで、「世の中は努力したり工夫したりしたらそれなりの成果が得られる」と思い込んで生きてこれたな私、と思って恥ずかしくなった。子育て、効率とか完璧とかそういう価値観を一度投げ出してしまわないと気が狂う。効率よくなんて子育てに求めるのがそもそも間違っていた。完璧にもできない、っていうか完璧ってなに?上手くできないのも仕方がないし、こちらの想いが伝わらないことだってある。上手にできない自分を許し、受け入れて生きていくしかないのだ。理解できなかったり成果を出せなかったりするのは努力不足で絶え間なく努力すれば必ず成果を出せるとか、特に仕事で成功しちゃいがちな私のような自惚れの頭でっかちにこそ、育児をして従来の価値観をぶっ壊して(ぶっ壊されて)ほしいです。ほんと、世の中の見え方・人との付き合い方が変わるからおすすめ。

 

それから、子育てにおいて自己犠牲は禁物だと思った。夫のワンオペ育児2DAYS初日、夫に赤子を預けていると朝起きてまず۬顔を洗えることに感動したんだけど(普段は赤子の泣き声と共に目が覚めるので、真っ先にオムツ替え、授乳から始まり気づいたら洗顔するのは昼・・・なんてザラにある)、よくよく考えたらたったの数分くらい子を泣かせておいてさっさと顔を洗ってしまえばいいのだ。自分のことを後回しにしているといつまで経っても自分のことはできないし、そうしていると自己肯定感は下がるし、なんと言っても虚しくなる。子に満足してもらうとか犬を悲しませないとかそういうのって結構難しくて、とりあえず誰かの幸せ優先で生きるのではなく自分が幸せでいることが一番、家族にとっても良かったりする。のかもしれない。

 

夫のワンオペ育児2DAYSは、それをした(してもらった)だけでも大変有意義だったのだけど、それ以上に、後日その経験を経て二人で育児について話し合えたことがとても良かったです。近いうちにちゃんとまとめたい。まとまらないけどいったん終わり、ここまで書いて気がついたら23時半になりました。