長い日記

今年のゴールデンウィークは、新潟の実家に帰省していた。「こんな状況だし、今年は帰るのやめておくね」なんて言って金沢で過ごした去年の5月が懐かしい。金沢に戻ってくる当日、朝から酷い頭痛とそれに伴う吐き気があり、移動を諦めそうになった。なんとか気力を振り絞り、片道4時間半のドライブに耐えて金沢に戻った。その翌日に発熱があり、「不要不急の県外との往来」をしたこともあり、不安で県のコールセンターに電話。朝から混み合っていたものの、13回目の電話でようやくつながり、発熱している患者を受け入れている市内の病院や診療所を教えてもらった。後になって知ったことだったけど、今って発熱があったらまず県のコールセンターや保健所に連絡、ではなくて普通にかかりつけ医に連絡なんやね。コールセンターで対応してくれた人がかなりのポンコツだったのだけど、直感で(?)ここに行ってみようと選んだ診療所を当日中に受診し、PCR検査を受けた。問診で、看護師さんがやたらと私の体調を気遣ってくれて、もしコロナが原因でなければ、貧血のせいなのではないかと心配してくれた。翌日、病院に電話をして結果を確認したところ、陰性。ホッと胸を撫で下ろすも、それから約一週間、体調は悪いままだった。ほとんど寝たきり、夫が家のことをほとんどしてくれた。偽陰性ということもあるし、症状を検索窓に書き連ねて調べたところ、自律神経失調症の疑いもある。再度、診療所を受診した際に、甲状腺を疑われた。もともと扁桃腺が大きくて、さまざまな病院を訪れる度に「甲状腺、気をつけてね」と言われていた。腫れはない、痛みもない。血液検査を受けて、「問題がなければこちらからは電話をしないので、翌日そちらから電話をして結果を問い合わせてください」と言われて帰宅した。夕方、院長先生から電話がきた。甲状腺ホルモンの数値が異常に高いので、バセドウ病を疑っています、と。大変失礼な話だがバセドウ病本田圭佑のイメージで、これまた大変失礼な話だが、私は目が飛び出していないからバセドウ病ではないと思っていた。後から調べたところ、眼球突出の症状があるのはバセドウ病患者の3分の1ほどだということだった。その次の日、詳しい結果を聞きに診療所へ。薬を飲んで治療をしていくのが一般的とのことだけど、バセドウ病の薬は他の病気の薬よりも副作用が大きいそうで、特に飲み初めは2週間に1度通院して、血液検査をしなくてはならないらしい(副作用で白血球が減る場合がある)。通院が必要になるならば、ということで、家から歩いて行ける距離にある総合病院に紹介状を書いてもらい、転院した。総合病院を受診して再度エコー、心電図、血液検査、尿検査を受けた結果、バセドウ病ではなく破壊性甲状腺炎(症状名が物騒だ)の可能性が浮上して、現在、結果待ちの状態。明日、結果を聞いて症状が明らかになり、治療を始めることになる。先週末に総合病院で検査をしてから、今日に至るまでが長かった。甲状腺ホルモンの数値が異常な状態を放置しておくと、「甲状腺クリーゼ」という致死率10%のかなり深刻な病気を発症する恐れがあるらしく、先生から「発熱や頻脈、腹痛があったらすぐに電話をしてください」と言われていたのだけど、正直言って、私の甲状腺ホルモン異常がいつ始まったものかもわからないので、不安すぎる。最初の診療所を受診した時点で私の脈拍は110くらいあったのだけど、甲状腺クリーゼになると130以上になるそうだ。死にたくないという感情は、初めて芽生えた。もうすぐ5ヶ月になる娘は、私のことが大好きだ。彼女を置いて、死ぬわけにはいかない。もうすぐ離乳食が始まるのに、育児をすべて夫に任せて死ぬわけにはいかない。何より娘のことが大好きで、たとえ死なないとしても、わずかな期間の入院でも、離れるのがつらすぎる。そう考えたら、不安になって涙が出る夜もあった。それから、私はもともと橋本病を持っていたそうで、総合病院の担当医からは、不妊や流産の原因にもなる病気なのに、妊娠中に血液検査をしなかったのか?と言われた。血液検査は受けていなかった。甲状腺ホルモンの不足は生まれてくる赤ちゃんの知能の発達にも影響を及ぼすそうで、不安になって新生児スクリーニング検査の結果を見たら、「先天性甲状腺機能低下症」には引っかかっていなくてホッとした。妊婦の甲状腺ホルモンの血液検査、義務化してほしいなあ。バセドウ病というのは特に女性にはよくある病気だそうなんだけど、よくある病気とはいえ病気は病気であって、つわりの辛さが人それぞれであるように、生理痛のしんどさが人それぞれであるように、おそらくバセドウ病にも色々ある。私はまず、これまでの自分とは違う身体で、一日中元気に活動していられないことが悲しくて、赤ちゃんを抱っこしてお散歩できなくなったことも悔しくて寂しい。早く治療を始めたいけど、仮にバセドウ病だったとしたら薬の副作用が出るのは怖い。これまで全く知らなかったんだけど、自分はずっと健康であることを前提として生きていた。そして病気を持っている人というのは、仮に元気に生活していたとしても、不安を抱えるということなんじゃないかなあと思った。気づいたら長く書きすぎて、疲れて適当になってきたや。とりあえずおしまい。