男性が制作した作品(伝統工芸品)にあえて女流作家の名を付ける

伝統工芸の世界で(に限らないけど)、「女流作家」って言葉がありますよね。「女性伝統工芸士」でもいいんだけど。「女流作家」って括って展示会をすると、個々で活動をするよりも注目を集めやすいということもあってよく使われているけれど、当人たちは「女流作家」として紹介されることに対してどう思っているのだろうか。去年、ある仕事で伝統工芸に携わる女性に話を伺う機会があり、話の流れでそんな話題を振ってみたら(インタビューとは直接関係のない話だったのだけど)、「男性が制作した作品にあえて女流作家の名を付けることもあるんですよ、その方が売れやすくなるからって(笑)」というエピソードを教えてもらった。女性の社会進出や活躍を後押しするために、あえて「下駄を履かせる」ことについて様々な意見がある。当然必要な場合もあるだろう。だけど、そこで必ず見落としてはならないのは当事者(女性)の意見だと思う。というのを昨日、「エッセイストで珈琲焙煎家」の男性のツイートが流れてきて考えていた。私が引っかかっているのは「4」の部分で、ジェンダーギャップ解消のための熱い意志は十分に伝わってくるのだけど、そこに当事者(女性)の視点が抜けていないかということが気になったのだ。雑誌を作っていた立場としては、例えばコーヒー特集内に、女性を応援する意味合いで「女性焙煎士」を紹介するカテゴリーを設けるというのは違うなあと思うし、女性が少ない分野において(私はコーヒー業界を詳しく知らないが、ツイートにあったとおり女性の焙煎士は少ないこととして)、「女性焙煎士」と「女性であることを強調される」ことを嫌がる女性は少なくないとこれまでの経験上思う。正解がないなかでどうしたら良いのかねと考えること自体に意味があるのだろうけど、それにしても、私は当事者の声を聞かないことには前進はありえないと思うのだ。と、ここまで長々と書いていて気がついたのだけど「男性が制作した作品を女性の名前で売る」って、トレパクで話題になったイラストレーターみたいだなあと思った。余談でした。