日記

日に日に日記っぽさを増す日記。というか今回はもはや食べ物日記。先週の木、金そして今週の月、火と週末を除いて四連勤するなかで美味しい出汁の香りと天丼の誘惑に耐えられず、休みなのに結局お店に行ってもりそばセットを注文。ちなみに蕎麦は手打ち、うどんは自家製、すべての蕎麦メニューをうどんに変更できるのでもりそばセットのそばをうどんに変更という不思議な注文もできます。蕎麦も旨いしうどんも旨い。若い頃、32歳だってまだまだ若いと思うのだけど、将来自分がうどんそば屋でかけうどん食べるようになるとは思わなかった。食の好みが本当に大人になった。バイト先にはローカル紙のほかに週刊文春が置いてあってわたしは毎週益田ミリの漫画をチェックしているのだけど今日料理ができるまでのあいだパラパラとほかのページもめくっていたらノンフィク作家・河合香織の「母は死ねない」という本を紹介しているページに目が止まった。〈出産も子育ても、自分の思い通りにいかない日々を積み重ねていく。その時間から、人生も人も思い通りにはできないというのを学んだ。〉そういえば昨晩、読むべき本が分からなくて、簡単に言えば自分の気分が分からなくて、そこにあった本を久しぶりに開いた。ハンガンの「菜食主義者」だった。「ふとこの世で生きたことがない、という気がして彼女は面食らった。事実だった。彼女は生きたことがなかった。記憶できる幼い頃から、ただ耐えてきただけだった。彼女は自分が善良な人間だと信じ、その信念のとおり誰にも迷惑をかけずに生きてきた。誠実だったし、それなりに成功し、いつまでもそうであるはずだった。しかし理解できなかった。その古くて朽ちた仮設建物と長く伸びた草の前で、彼女はただ一度も生きたことのない子どもにすぎなかった。」ショックで吐きそうだった。ハンガンの小説はフィクションだ。冷め切った夫婦生活を送る女は植物に変わってしまうし夢に病んだまた別の女性は肉を拒否して菜食主義者になり家族から精神病院に入れられてしまう。妻の妹の尻にある蒙古斑に異常に魅せられた男性は、義理の妹と自身がまるで植物の「ツタ」のようになって交わる。フィクションなんだけど、限りなく現実の延長線にある物語で他人事とは思えない。お昼ごはんを食べたあと、珍しくわたしから声をかけて約束していた人と一緒に喫茶店でお茶をした。楽しくて調子に乗っていろんな話をしすぎてしまったような気がするけれど、わたしが「自分は想像することができないんだ」と言ったら、「たしかにほとんどの人は想像できるのかも知れないですね。想像することができない、ということを書いてみたらいいんじゃないですか?それも面白いと思います」とアドバイスをくれて嬉しかった。「友達」について書いたように想像できないことについても書いてみたい気がする。

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