日記

日記を書こう。寝かしつけを終えて、今、世界一大好きなクロワッサンを食べている。探せばもっと美味しいクロワッサンはあるのかも知れないけど、美食家が認める世界一美味しいクロワッサンというのもあるかもしれないけれど、私がこのクロワッサンを愛して、一番美味しいと思っていて、世界一大好きと思っていることが大切。remref(レムレフ)のクロワッサン、西川さんのクロワッサン。去年夫がしんどいとき、夫と娘を連れてremrefに行ったら、夫がケーキを何度もケーキを眺めながら「美しい」「幸せってこういうことなのかな」と言っていたから、久しぶりに夫が元気を無くしていた今日は急遽remrefに行って夫の仕事場にケーキを届けた。私がブログのタイトルを「日記」にばかりするようになった理由は、私はもともとキャッチコピーや見出し、特集タイトルといったものを考えるのが苦手だからで(新聞時代はひどいもので考えるのが面倒くさいから適当につけて上司に直してもらったものをそのまま採用していた)、本当は気の利いたタイトルをつけられればと思うのだけど、毎回、結局消去法で「日記」としてしまう。今朝のこと。普段はほとんどテレビを観ないのだけど、NHK総合を付けたら「あさイチ」に西加奈子が出ていたので、気になって少し観ていた。私は日本語を聞き取るのが苦手で、というかテレビとか映画の音声が苦手なのかな、全て「音」にしか聞こえなくなってしまうので消音にして日本語字幕でテレビを観ているのだけど、そこで西加奈子がカナダに留学していたこと、乳がんを患ったことを初めて知った。カナダでは自分よりも年上の人たちが普通にビキニを着て海水浴を楽しんだりなんとかしたりなんとかしてる(ぜんぜん覚えてない)と話していて、異文化に触れてハッとする感覚、ここ数年ずっとしていないから久しぶりに海外へ行きたくなった。わたしは西加奈子の熱心な読者ではないのだが、「夜が明ける」を読んだときに抱いたなんとも言えない気持ちが拭い去れないままでいた(いつかブログで書いた気がするけれど、本に関するあるインタビュー記事で、著者が自身のことを「当事者ではない自分が」と語っていたのを読んで冷めてしまったのだ)。今回、初めてのノンフィクション?を書いたと聞いて、西加奈子が「当事者」として書く文章を読んでみたいと思った。さっきのこと。人が書いたブログというかnoteを読んでいたら、「もっと頑張ります」とあって、自分が「もっと頑張ろう」と思ったことってここ最近あっただろうかとふと考えた。若い頃、それこそ10代とか20代の頃はジャーナリストになりたいとか悲しい思いをしている子どもを救いたいとか当事者意識を持って気付きを与えるような記事を書きたいとかそんなことを胸を張って言っていたような気がするのだが、いまはやりたいこともないしなりたい自分も特にない。いかにたくさん働きいかにたくさん稼ぎいかに高いものを買い多くのものを買いいかに旨いものを食いいかに誰も訪れたことのない場所を旅行するかみたいなのって、SNS時代のいま競うようにしている人もいるし、わたしもかつては東京の知人とかを意識したりしながらもっと大きな仕事を、とかいろんな体験を、みたいなこと思っていた時期もあったけど、妊娠とコロナで物理的に働けなくなった、頑張れなくなった、どこへも行けなくなったというのはかなりショック療法で、本当にこのとき自分の価値観が一気に変わったというか、結局「もっとがんばらなきゃ」「かせがなきゃ」「りっぱにならなきゃ」みたいなのって環境がそう思わせていたのだよねという感じで、いまわたしが置かれている環境は良い意味でも悪い意味でも刺激がないので、最近はとにかく粛々とモードである。中国大陸をくまなく旅したいとかそこで野生のゾウを観たいとかまた中東地域で生のアザーンを聴きたいとか南半球旅してみたいとかもちろんそういうのはあるけど。(追記)そう、それで西加奈子の近況?が気になって調べたらヒットした記事で、彼女が「ベタやなと思いました。よく聞く言葉ですが、『まさか私が』という言葉通りにほんまに思うんだな、と。小説家として作品ではベタを書いてはいけないと思い込んでいましたが結構、人間ってベタやんと思いました。一人一人違うベタな人間をどう描くかが大事やなと気づくことができました。小説家として、この変化はよかったことですね」と語っていたのを読んで、めちゃくちゃ共感したのだ。人間はふつうだし、特別すごいとかそういうのももはやないような気がしていて、でもその「ふつう」は「いっしょ」というわけではなくて、ベタだとしても、それぞれのベタがある。私はそれを軽く見ることができないと思うし、むしろそこにこそ人間の、人間の営みの真髄みたいなものがあるような気がしている。一人ひとりの生は面白い。ベタでも面白い。面白くなくてもかけがえがない。くだらないのも救いがないのもしょうもないのも全てかけがえのない一つ一つの生。