暇の醍醐味

暇の醍醐味、仕事ではなく自分のための、頭の中を整理するためにブログを書く時間があること。先月は毎週末、夫か私のどちらかに何かしらの用事があって家でゆっくり過ごす時間がなかった。久しぶりに二人とも予定がなかった昨日、午前中は丸2年間放置していたベランダ花壇用の花を買いにホームセンターに出かけ(たはずが、夫はパクチーの苗を4つ選んで大満足していた...)、午後は、私は気分転換に一人きりの外出、夫は子と家でのんびりベランダバーベキューをして過ごした。

 

子の慣らし保育は今日から2週目に突入。初めのうちは状況をはっきり理解していなかったのか、送迎のときには不安や安堵で泣き顔を見せるものの、園では楽しんでいると先生から聞いていた。それが4、5日目にもなるとだんだん保育園というものを認識し始めて、2時間の保育時間中ずっと泣いているように。土日を挟んだ今日、いつものように夫が子を送り届けると、ついに駐車場に到着した途端にぐずるようになった。悩んで迷って涙して決断した保育園への入所。踏ん反り返って顔を真っ赤にしながら大きな声で泣く姿を見ていると、どうしても申し訳ない気持ちになってくるのだけど、かわいそうに感じるのは違うと思い、保育園に預けることを決めた理由を改めて思い出す。

 

話の流れで「子どもが3歳になるまでは自分たちで面倒をみようと思っている」と言えば時代の流れと逆行しているように見られるというか「え?仕事好きじゃなかったの?」とか「仕事よりも家庭を優先させるの?」みたいな反応をされてモヤモヤすることもあったし、逆に子どもを預けることが決まってからは「バリバリ仕事できるね!」とか「早いうちから保育園に預けた方が社会性が付くしいいよね」みたいなことを言われて、私の口から言葉が出てくる前に勝手に蓋をされてしまうような、なんとなく居心地の悪い思いをすることもあった。子どもを保育園に預けるのは仕事のためとか、3歳になるまで一緒に過ごすのは子どものためとか自分を犠牲にしているとか、そう簡単に言い切れるものでは決してないのに、いろんな人たちのいろんな思惑、考え方のなかでさまざまな文脈に勝手に回収されていくことにすごく違和感があった。物事そんなに単純じゃない。その時々で反論したくなる気持ちを抑えながら、でもそのときに感じた違和感や、簡単に文脈に回収されてしまいたくはない複雑な自分の気持ちをどこかに残しておきたくなった。(似たような話で私はかれこれ4、5年「ワイヤー入り」のブラをつけていなんだけど、それは私がフェミニストだからじゃなくて単にノンワイヤーしか付けたくないからなんです、という話をまた今度書きたい。)

 

私はこれまで2つの会社を経験したことがあって、両社とも比較的忙しい仕事だったからまだ暇な状態に慣れていないというか、仕事がなくて暇だと漠然とした不安に襲われることがある。暇って言うと他人から仕事がないとかお金がないって思われてしまうんじゃないかという、これまでの人生で染み付いたしょうもない価値観というか思い込みがあって、コロナ禍は自分の考え方を見直す機会になったのだけど、それでもまだ自分自身を追い込むような考え方をしてしまうきらいがある。誰かが「仕事がたくさんあって忙しい」と言うとき、「忙しい」はあまりネガティブな意味では使われていないだろうし、「売れっ子ライター」は褒め言葉じゃん、分かんないけど。そんなことを一人でぐるぐると考えていたら、5年くらい前に買った雑誌『余談 スチャダラパーシングス』でめちゃくちゃ感銘を受けたテレビマン・岡宗秀吾さんの文章「ヒマが大事だと先輩は言った」を思い出し、久しぶりに読み返した。

 

「実際僕も三回ほど無一文になりました。それでも何にも代え難い良さがフリーランスにはあります。それは『嫌なことはやらない権利』とも言えるような気がします。企業の中で保証される給料と引き換えに嫌なことを引き受けている人たちの中に、仕事に対する異常なドライ感を見てしまう時があります。そりゃそうです。嫌なことをやっているのですから愛情を持つことが難しいのです。しかしそういう姿勢で作品に関わる人ばかりで、作品が当たることはありません。なんの世界でも『普通』に作るだけでも大変で、そこにキラリと光るモノを乗っけることだけが難しいのだろうと思います。僕にとって、その難しさに立ち向かうには、作品に対する愛情や情念が絶対に必要です。そうして初めて作品に血が通うようになるのですが、実際は愛情と情念だけではまた当たりません。そこに戦略やセンス、予算、人間関係などその他の『条件』が複雑に絡み合い、結果が出るんだなとだんだん分かってきました。だからこそまず、必要な愛情と情念だけは落とすまいと思うのですが、その環境を守れるのがフリーランスという立場でした。」

 

「『テレビの世界も音楽の世界もビジネスなんだから最大の利益を求められるよね。そんなゲームに参加したら大変だよ。注目されすぎると窮屈だし、関係する大人が多すぎて過剰な期待もされる。でもビジネスになってないとこっちも生活していけない。そのバランスの取り方なんだよね。でも僕らが選んだのはヒマだよ。時間があるってこと。友達とダベったり、昼寝したり、何度も観た映画をまた観たりする時間が欲しいのよ。ムダのようでそれが一番贅沢だと思ってるんだよ』そうだった。忘れがちになるが、そうだった。『フリーランス』でいる理由はサボりたいからだった。誰にも叱られない自分だけの自由な時間をキープしたかった。そのダラダラした時間に湧いてきたアイデアを形にするときだけ思いっきり仕事がしたいというわがままを何とか叶えようとあがいている途中だったことに、はたと気づかされました。』

 

孤独に慣れ暇を堂々と楽しむ大人になりたい。

 

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