日記

天気予報を見るのが苦手だ。苦手というか、天気に興味がないから見ない。興味がなくなったのは見ても理解できないからで、雑誌時代はロケ撮影もあったので天気予報と睨めっこすることも少なくなかったが、「晴れのち曇り」とか「降水確率◯%」みたいな情報をもとに予定を立てるのが苦手すぎて、結局出たとこ勝負に頼るようになった。気温もわからない。「昨日より寒い」とか言われればなんとなくわかるけど、「最高気温が12度しかない」とか言われても、どれくらい寒いのかがわからない。よって天気予報に基づいて服装を選ぶことも全然できない。だけどノーマルタイヤを冬用タイヤに変えるタイミングくらいはわかる。本格的に雪が降る前にタイヤを変えれば良いのだ。私は天気予報を完全に夫に頼っていて、夫によると先週から「来週の水曜は雪が降る予定」だったので、それに合わせて車のタイヤを変えてもらった。昨日も「明日は雪が降る」と言われていたので、明日はバイト暇かな〜と期待していたのに、実際のところ雪は降らないし天気は地味に良いしで、バイトを始めて以来一番忙しかった。蕎麦屋なのに蕎麦が売り切れ、無料で提供している煮出したお茶もなくなり炊いていたご飯もなくなって最後には麦ご飯で天丼を出した。それくらい忙しかった。賄いはあら汁と麦ご飯と納豆だった。お母さんに「ななちゃん、魚は好きか」と聞かれて、威勢よく「好きです!よく食べます、じいちゃんが漁師だったので」と答えたわりに、その汁物に入ってる魚が何なのか私にはわからなかった。魚の種類も全然わからない。寿司になっていればわかるけど姿形で名前を言い当てることができない。興味がないことに対する知識がまるでない。夫と共にお金を出し合って「おとなの自閉スペクトラムメンタルヘルスケアガイド」という本を買った。最近、夫は「発達障害への理解を深める(私の特性を知る)ことで夫婦関係をより円滑にしたい」と言っている。私は今年の春に県の発達障害支援センターを訪れ、カウンセラーとの面談を重ねるなかで「まあ、ASDという診断になると思います」と言われている。ASDに関する記事などを読むなかで、まるで心理テストを受けるような気持ち、当てはまる特性に触れて「そうそう、これこれ!」みたいに盛り上がることも少なくないのだが、言葉のイメージというものは意識していなくてもじわじわと心を蝕んでくるもので、定型発達に対する発達障害、みたいな言い方をされるとさすがに自尊心が傷つく。少し前にもブログで書いたような気がするけれど、忘れっぽいことや集中しすぎることを簡単に「発達障害」と表現している人に出会うと、ちょっと「うっ」ってなる。この「うっ」の正体がなんなのだろうと考えていたときに、古本なるやの堀田さんと話をして、本人がもつその特性により困難や不自由を感じていることを「障害」と呼ぶのではないか、私は発達障害によって困っていることを話したいのに、単なる「特性(個性)」として認識されることに違和感があるのではということに気づいた。ちなみに診断は受けていないし受けるつもりもないのだが、本を読んでいると、私はきっと「軽いASD」という状態になるのだろう。私の個性の話でも私が誰かに迷惑をかけている話でもなくて私が困っている(いた)話をたまに誰かに聞いてほしくなる。どうでもいいけど冷凍のたい焼きはオーブントースターで時間をかけて表面がカリカリになるまで温める派で、だけど今日は寝かしつけが終わって速攻たい焼きが食べたかったから、久しぶりに電子レンジでチンしたらふにゃふにゃで美味しかった。思いつきで名刺をプチリニューアルした。デザインを悩んだが、悩み始めると収取がつかなくなるのでデザイナーさんの提案通りにお願いした。これでよかったと思う。