日記

そこからどんな流れでそういう話題になったのかは思い出せないが、その車内でわたしは「将来子供は持ちたくない」と宣言した。生きるということはめちゃくちゃ大変なことだから、自分の分を生きたらもう、それでよしとするべきだ、というのがわたしの考えだった。当時わたしはどっぷりと暗い時期にいて、こんな人生を生きる人間をまた一人作るという可能性に懐疑的だったのだ。それを聞いて、母はつまらなそうな顔をした。そして「子供は産んだ方がいいよ」と言った。「なんで?」「おもしろいから」ひどい、そんな理由で人間を産むってどうなの、と思った。おかげでわたしは今、大変な目にあっているんだよ。

 

編み物に興味を持ったのはChomoChomoの作品に出会ってからで、そういえば妊娠中によく目にした生まれたばかりの赤ちゃんのためのミトンや靴下、ベストや帽子、おもちゃはやわらかな毛糸で編まれていることが多く、これから出会う我が子のためにそういったものを手作りする母親も少なくないのだと知った。これまでほとんど興味を持ってこなかったけれど、赤ちゃんを包み込むために生み出されたような、やさしい風合いの毛糸に一気に惹かれた。私は編み物について何もわからず、挑戦してみたいと意気込んで手芸屋さんに向かったものの作りたいものがあるわけでもないので「とにかく何かを編んでみたいんですけど何からはじめたら良いですか」と店員さんに声をかけて答えに困らせた。ひとまず編み物入門編の本と編み針、毛糸を買ったもののいまだに編み図も読めず途中でリリヤンや手編みに浮気したりしていまに至る。

 

三國万里子さんのことは知らなかったけど、私と同じ新潟出身ということと、タイトルにひかれて買った「編めば編むほどわたしはわたしになっていった」。世代なのか志した業界(仕事)がそうだったからなのか分からないけれど、私もずっと「将来子供は持ちたくない」と思っていた。もっと言えば、妊娠したことが分かったそのときまで「子供はいらない」と思っていた。学生の頃、私はひねくれていて、長らく専業主婦だった母に「女性も手に職がないと」「子供の面倒を見て家事をするだけなんて暇じゃない」「子供ができたら仕事が続けられなくなる」「自分の時間がなくなるのが嫌だ」なんていじわるを言ったりした。母はちょっと困りながらも「子供はかわいいよ」「お母さんは育児が楽しかったよ」と言っていた。私はそんな母のことを理解できないと思ったし、無責任だと思った。今日、仕事がひと段落してお風呂で冒頭に引用した部分を読みながら胸がいっぱいになった。やっとわかった。子供を持つことに否定的だった私に対して母が「子供はかわいいよ」「お母さんは育児が楽しかったけどなあ」と言ったのは、出産や育児は簡単だとかそういうメッセージではなく、私という存在をただひたすら肯定してくれていたのだ。いつか大きくなった娘が「子供は持ちたくない」と言ったとして、もちろん子を持つかどうかは自由だけど、私はこれまでにあったいろんな苦労も全て忘れて「子供はかわいいよ」「お母さんは育児が楽しかったよ」と言ってしまうのだろうと思った。