最近のこと

いろいろあって気がつけば生後四十六日目。赤子は四キロを超えていた。

 

子が生まれてから、夫とたびたび喧嘩をするようになった。喧嘩というか口論というかささいな衝突というか・・・。大体は育児の疲れによるもので、どちらかに原因があるものではない。互いに気遣いあっているのに、その気遣いが思いとは異なる形で相手に伝わったり気持ちがすれ違ったりすることが、衝突の原因になっている気がする。私は自分の考えや感情を言葉にするのが得意だ。そして相手にも言葉で表現することを求めてしまう。苛立ちを感じている理由を言葉で説明してほしい。感謝の気持ちや反省の気持ちを言葉で表してほしい。そんな態度が、時々夫を追い詰めてしまう。当たり前だけど、表現には言葉以外にも様々ある。言葉ではなく態度や行動で示す人もいれば、そもそも自分の考えや感情を表に出すことが苦手だったり、出したくない人もいる。「週末スノボしてきたら?」「育児ですごく疲れてるし、スキー場混んでるだろうから行けないよ」じゃないんだよ。めちゃくちゃ初歩的だけど、相手の気持ちを想像することが大切だと改めて思った最近。

 

離れて暮らす父と久しぶりに電話をした。父はまだ赤子に会ってないんだけど、わたしから送られてくる写真を見ていると、自然と顔がほころんでしまうんだと照れ笑いしていた。お前がお母さんになったなんてなあ。出産がんばったなあ。おじいちゃんって呼ばれるのは複雑な気持ちだなあ。育児大変だろう。頑張りすぎるなよ。赤ちゃんってこんなにかわいいんだなあ。俺がこんな気持ちになるなんてなあ。不思議だなあ。お前が生まれたときのこと思い出しちゃうよ。外の世界はこんな状況だけど、こんな嬉しい気持ちにしてくれてありがとう。いろいろ言っていたけど、父の言葉は全て本心だったと思う。わたしはどうしても過去の出来事のせいで父に対して素直になれないところがあって、父の優しさに触れるとどうしても自分のことが嫌になる。ふつうの関係に、ふつうの親子になれたらいいのに。そんなときにふとふつうの親子関係って何だろうと思った。同じ人間が誰一人としていないなかで、家族や親子関係に平均も普通もないだろう。どうしても負の感情を抱いてしまうことをネガティブに捉えたり、より良い関係をと思ったりしてしまうのだけど、別に「ふつうじゃない」なんてことはない。今のまま、仲良くしていきたい。

 

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THE PEANUT BUTTER FALCONを観た。映画の主人公はダウン症のある青年・ザックだ。映画の感想とは話が少し逸れるんだけど、山崎ナオコーラの『母ではなくて、親になる』を読んで、ダウン症は個性の一つなので(ダウン症以外にも疾患を抱えていることはあるし、ダウン症=パーソナリティではない。例えば小児がんがあったとしても、「小児がんの子」とは呼ばない)、「ダウン症の子」ではなく「ダウン症のある子」と表記することを知った。日本ダウン症協会のホームページ(

https://www.jdss.or.jp/family/)でも、「ダウン症のある人」と書かれている。一方、映画の公式HPや映画のレビューでは、ほとんどが「ダウン症の青年」、「ダウン症の俳優」となっていた。映画を紹介する上で障害について言及するなら、書く前に表記方法を調べても良いのではないのかなあと少し思った。検討した上で「ダウン症の青年」だったのかもしれないけれど。私はいちいち細かい。でも、細かいことを言う人も世の中には必要なのだ。と自分を正当化して、これからも気になった表現や言葉を受け流さないようにする。