わからないことばっかり

ネイティブアメリカンのことばに「あの人を知っているというとき、あなたは相手の顔を知っているだけで、こころまでを知っているわけではない」という諺があるんだけど、本当に人を正しく理解するっていうのは難しいな、っていうかあり得ないことなんじゃないかと思うことがある。

 


夫と一緒に、わたしのお父さんに結婚挨拶(報告?)をしたときに初めて知った父の側面っていうのがあった。亡くなってから知る、未公開エピソードみたいなのもある。タイミングが合わなくて届けられなかった言葉とか。喧嘩するつもりがないのに心のすれ違いで喧嘩につながるのも、正しく伝わってない、正しく理解できないからだと思う。

 


だから、目の前にいる人を正しく理解できているかどうか自信がない。自分の発言がどのように受け取られているのかも分からない。理解するために本を読んだり経験を積んだりしたら、それはそれで「知識」や「経験」が一つのフィルターとなって、正しく「理解」することを阻害することもある。柔軟な考え方ができなくなる。

 


もしかしたら理解しようとすること自体、もしかしたらおこがましいことなのかもしれない。理解してるなんて、分かってるなんて思わない方がいいのかもしれない。人の判断なんて、物事の判断なんて、急いでするものじゃないのかもしれない。わたしが目にしているのは、物事の一つの側面に過ぎないのかもしれない。

 

 

 

なんでそこにあったのかは忘れたけれど、2012年、横浜美術館のあたりでアーティストによる言葉が紹介されていて、そのなかの「見えなくて聞こえないもので現実ができていて、見えていて聞こえるものはまったくの理想だ」(現代美術家 八木良太)という一文がすごく印象に残ってる。『星の王子さま』の「What is essential is invisible to the eye.(大切なものは目に見えない)」はあまりに有名だけど、この他にも「見る」や「知る」ことについて、思い出すフレーズがある。

 


アニメーション映画『ポーラーエクスプレス』は「信じる」というキーワードが一つのテーマなんだけど、物語の終盤でこんなセリフが登場する。「And sometimes the most real things in the world are the things we can't see.」(それから時々、世界にある最も「本当」のものは、見ることができない)。それと去年、金沢市の『IACK(アイアック)』で買った写真集『THE EARTH IS ONLY A LITTLE DUST UNDER OUR FEET』。この本に惹かれた理由は真っ白なページに光沢のある白い文字で書かれたフレーズだった。「YOU ONLY SEE WHAT YOU UNDERSTAND(あなたは、あなたが理解しているものしか見ていない)」。このあと「WE CALL MAGIC TO THINGS WE CAN'T UNDERSTAND(わたしたちは、理解できないものを魔法と呼ぶ)」という言葉が続くんだけど、言い得ているなと思う。

 


新卒の社会人なりたての頃はとにかく分からないことを恥だと思っていて、知ったかぶりをして取材先の偉い人とか上司に話を合わせてたら、何も学びがなくなったことがあった。それから正直に分からないことを分からないと言えるようになってから仕事がたのしくなった。

 


なんていうか、知ったかぶりして決めつけて生きるより、わたしは十分に理解できていない、知らないことの方が多いスタンスで生きた方が楽だなって思う。世の中わからないことばっかりだから。

 

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