二十日目(2)と二十一日目

娘、生誕三週間!親子共々なんとか生き延びたという気分。みんな生きててくれてありがとう。昨日(一月二十三日)は離れて暮らす実家の母が電車を乗り継ぎ、わざわざ会いにきてくれた。うちに着いてしばらくして、ギャン泣きする子を見ながら「かわいい〜!」ってスマホで動画を撮り始めた母の姿を見たときに、ふと「この人には敵わないな」と悟った。二人の娘を成人するまで育てた母である。たぶん、赤子に泣かれたくらいじゃどうってことないんだろう。子がオムツを替えて欲しくてわんわん泣いていても「かわいいねえ」と話しかけながらスキンシップをしつつ上手にあやす母。泣いている子を見ながら「眠くて泣いているんだね」とか「寝たくなくて泣いているんだね」とか、子が泣いている理由を瞬時に把握する母。満たされなくて眠れないのか、ゴキゲンで起きているのかを見極める母。わたしに温めたミルクを渡されれば、子のペースを上手に掴んで二回に分けて飲ませる母。私と違って余裕があるから、どんなときも子と接するときに温かさがある。母親の偉大さをこんな形で知るとは思わなかった。きっと、子どもの成長と共に複雑で難しい問題も発生する。そういうのを乗り越えてきた母(親)というのは、とてつもなく強いんだなと思った。お母さん、これまで大事に育ててくれて本当にありがとう。

 

 

 

 

前日の摂取カロリーが少なかったのか、今朝(一月二十四日)はお腹が空いて仕方なかった。普段は全く興味がない牛丼が食べたくなった。朝六時に泣いた(目覚めた)子に授乳したあと寝かしつけ、死にそうな顔をして哺乳瓶を洗っている私を見て、母がおもむろに「哺乳瓶、あと二本買いなよ」と言った。「毎回そうやって洗い物してたら大変じゃん。授乳が終わって寝かしつけたらすぐ休んだ方が良いよ。あと二本、哺乳瓶があればきっと楽になるよ」。「洗い物の回数を減らすために哺乳瓶を買い足す」という選択肢がなかった上、いま使っている哺乳瓶は新生児用なので、せいぜい2ヶ月ほどしか使わないものにそこまでお金をかける気にならなかったのだけど、母から「なんのために出産祝いをもらったんだ」、「手を抜けるところは手を抜くことが大切」と言われて納得した。出産祝いって子のため(洋服やおもちゃなど)の使わなきゃって思っていたんだけど、今は節約する場面じゃないし、なにより親の心が折れたら全て台無しだ。早朝から私は哺乳瓶二本と、それから購入を悩んでいた電動搾乳機を注文して、気持ち良さそうに眠る娘の隣で二度寝した。

 

それから、搾乳機とか授乳用の下着やパジャマとか、育児に必要なものとはいえ、どことなく贅沢品のような気がして&自分のための買い物な気がして出産祝いを使って良いのか悩んでいたのだけど、乳が出るのは私で子と過ごす時間が長いのも私なので、少しでも自分のテンションがあがるものを身につけて快適に過ごしたいと思い、母から勧められたおくるみを買うのに併せて下着とパジャマも買いました。お金で解決できることは、どんどんお金で解決していこう。自分のテンションあげてこう。とりあえず外行きの服も買おう。妊娠中も出産後もこれだけがんばったのだし、少し自分を甘やかしても誰にも叱られないはず。

 

 

 

産後は感受性が豊かになりすぎて、昨日は犬の散歩をしながら行き交う人々を見ていたら、「この人も誰かの大切な子」って思えてきて、それだけで涙が出た。子どもが生まれてから、世界の見え方がまるで違う。