食欲

生まれて初めて、「ショックで食事も喉を通らない」というのを経験したのは、両親が離婚した一週間後、父から「再婚した」とメールがあったときだった。さすがの私も、混乱、怒り、悲しみで、何も食べる気がしなかった。それでも夜は明ける。翌日、普通にお腹が空いて、普通にご飯を食べられたときに、こんな時でも腹が空くのかと自分に呆れた。それから何年か経って、二度目の結婚が上手くいかなくて再び離婚したと聞いたときも、三度目の結婚をしたと聞かされたときも、呆れはしたけど食欲は無くならなかった。

 

当事者ではない私が悲しんだところで、と思うことはよくある。当事者ではない私が悲しんだところで、本人の悲しみは到底知り得ない。だけど、私の悲しみは私のものだ。私の気が済むまで、悲しんでいいこととしたい。

 

体調を崩してはじめに受診した診療所からバセドウ病であると電話で告げられた次の日だったか、夫から「あなたが不憫で、かわいそうに思って泣いた」と言われた。私がショックを受けたのは数日後だったけど、私よりも先に悲しんでくれたことに、「私の気持ちなんてわからないくせに」とは一ミリも思わなかった。優しさが心に沁みた。

 

事あるごとに、このミュージックビデオを観てる。

初めはキツネの土に帰りゆく姿に驚いたけど、繰り返し見るうちに、命が消えゆく姿を美しく感じるようになっていった。何度も聴くお気に入りの音楽というのはいくつもあるけど、何度も観る映像はこれだけかもしれない。

youtu.be

 

今日と明日は独立していて、生まれてからずっと、明日が来るのは決して当たり前のことではなくて、毎日が奇跡の繰り返しなんだなと、今更ながら実感した。