無人島のふたりの感想とか

話題の書。読んでいて苦しさや寂しさはなく、ただ、最後の(最期の)数ページを読みながらあの世とこの世をさまよっている感じ、だんだん意識が朦朧としていく感じ、寝ているのか目が覚めているのか、そんな著者の様子が伝わってきて、「死ぬ」にもいろいろあるとは思うのだけど、一つの死に方として、死ぬってこんな感じなのかなと割と具体的に想像することができた。


少し話は逸れるが、四年前、祖父の最期を看取った。今週末からお盆休みで帰省、というタイミングで、その直前に母親から電話があり、「じいちゃんが入院することになった。あと、もって1ヶ月ほどらしい」と伝えられた。何度目かの癌だった。予定通り帰省はしたけど、実家でじいちゃんに会うことは二度と叶わなかった。私にとって近しい親族の死は初めてのことで、余命が分かるなら、しかもあと1ヶ月しかないのならと思い、毎週末新潟に帰省してお見舞いに行った。上司に相談して、金曜は定時よりも一時間早く仕事を上らせてもらい、退社後その足で金沢駅に向かって高速バスに乗って新潟に向かった。じいちゃんが死ぬ数日前だったか、母と妹といつも通りお見舞いに行き、帰り際、当直の看護師がナースステーションでひどい悪態をついているところをたまたま見てしまった。不安で泣く母親。妹に母を頼み、私が祖父の部屋に泊まることにした。死が近いじいちゃんは、水も飲むことを許されなかった。気管に入ったりして窒息する可能性があったから。喉が渇くと「ひやくれ」と言う。その度に私は氷を持ってきてじいちゃんの口元にあててあげるのだが、たまに氷でもむせてしまい、私のせいで死んでしまうのではないかと恐ろしくなった。「ひやくれ」は、夜中も続いた。しかも頻繁だった。体感では30分から1時間ごとに、「ひやくれ」と言われる。だんだん疲れてうんざりしてきて、「もう寝かせてよ」と言ったら、じいちゃんは「一日寝ないくらいで死なねわや」と吐き捨てた。命があと一週間くらいしかない祖父に言われる「一日寝ないくらいで死なない」はめちゃくちゃリアルで、不謹慎にもちょっと面白かった。その数日後にじいちゃんは死んだ。その日は医師から「今日が山場かも」と伝えられていた。私、母、妹は夜にお見舞いを終えた後家に帰り、その連絡がくるのを待った。夜中、病院から電話があり、すぐに支度をして向かうと、祖父はもう生きているのか死んでいるのかも分からなかった。私は変なやりきった感があって涙が出なかった。悲しくもなかった。やっと終わったんだなと思った。じいちゃんのこと、好きじゃなかったわけじゃない。むしろ大好きだった。両親が離婚して、祖父母の家に引っ越すことが決まったとき、私が「これからお世話になるけど…」と言ったら「家族なんだからそんなこと言うんじゃない」と怖い顔をしたじいちゃん。薄着をしていると、「半纏(はんてん)着れや」って怒るじいちゃん。大好きだったけど、もっと長く生きてほしかったとは思わなかった。死ぬのが寂しくもなかった。こういう別れ方もあるのだと、自分のことながら思った。